憧憬/降谷零


責めてくれたら楽なのに


大滝さんにホテルの前まで送ってもらい、降谷さんから連絡のあった部屋の番号のカードキーを受け取る。ぐるぐると頭の中で色んなことが動いていて駆け込みたい気分だった。足のことを考えてそれをぐっと抑え込み、目的の部屋へと入る。カードで開錠された重たいドアを開くと、奥へと続く通路にキャリーバッグが二つ見えた。……ふたつ?

「なっ……」

奥に入るとベッドがふたつ並んでいた。手前のベッドには降谷さんが来るときに持っていたバッグが投げ捨てるように置いてある。おかしい、そんなわけない。部屋の内線で確認すると、「安室様はツインルーム1室でご予約されておりますが……」はいそうですかー。

「やられた!」

うわーん!と、何も乗ってない奥のベッドへと横になる。二部屋取ってくれるもんだと思ってたけど甘かった。せめてダブルベッドじゃないだけましか……。わたし生きていけるんだろうか。いやね、確かにね?降谷さんの家で降谷さんの服着て降谷さんのベッドで降谷さんと寝ましたけど!……大丈夫。これは仕事だ。仕事で来たんだから何もない。

「何もない、なんて期待してるみたいじゃん」

あーもう、やだー。ぐらぐらと揺れそうな頭をなんとか起こして、一服しようとバッグに手を入れる。……あれ。こっちに入れたんじゃなかったっけ。ポケットかな。でもこっちにもない……。ってことは、

「また忘れたのかよわたし…」

明日にでも大滝さんに聞いてみよう。


*

いい香りがする。ふわり、と鼻をくすぐるのは苦みも何もない爽やかな香り。ぼんやり開いた視界でゆれる明るい茶髪に、なぜだかとても安心してしまった。

「おかえりなさい、降谷さん」
「……ただいま。パソコン借りてるぞ」
「あー、ハイ。どうぞ。っていうか降谷さん頭びしょ濡れですけど」

備え付けのデスクでパソコンを使ったまま寝落ちしていたらしいわたしのすぐ横で、降谷さんが別な椅子に座ってわたしのノートパソコンを使っていた。それも、上半身裸で髪が濡れたまま。

「シャワーの途中で組織から連絡が来たんだ」

視線は画面から離さず、手も動かしたまま降谷さんはわたしに返事をしてくれる。上半身を直視しないように目を逸らしつつ椅子ごと後ろに移動する。それから、降谷さんの首にかけてあるタオルを使って降谷さんの頭を拭くことにした。

「急に吃驚するだろ!」
「だって言ったらやらせてくれなさそうですもん」

綺麗な髪だなあ。髪の根元から水分を取るようにタオルを当てて動かしていく。

「わたし、小さい頃に祖母の家で飼ってた犬を洗うのが上手だったんですよ」
「ホー……俺が犬と同じだって?」
「そんなことは言ってませんって」
「言ったも同然だけどな」

ふと思い出しただけなんだけど。まあ、でもやってることは同じか。そう思ったら何だか面白くなってきちゃった。零れる笑い声に反して、さっきまで止めることのなかった降谷さんの手が動きを止め 腕を組んですっかり落ち着いていた。これは本格的に乾かすのに応じてくれるみたい。後ろにある自分のキャリーケースからドライヤーを取り出して、コンセントに繋いだ。

「お前ドライヤーなんて持ってきてるのか」
「この子優秀なんですよー。音は静かだし、風も弱くないし。ほら、わたしの声ちゃんと聞こえるでしょう?」
「……ああ、ちゃんと聞こえるよ」

風になびく髪はとても綺麗で、顔のつくりも髪の質もいいのが揃うなんて神様は贔屓しすぎだよ、なんて思う。

「吉川」
「はい、なんでしょうか」
「……今日はどうだった?」
「はは、もしかしてどう聞いたらいいか迷ってました?」

表情は見えないけれど降谷さんの声にすこし迷いが感じられた。

「大阪府警本部長のご子息に会いましたよ」
「墓参りで会ったのか?」
「そうなんですよ。どうやらよく来てくれてるみたいで。会ったことあるよなあ、って言われちゃいました」
「……さすが西の高校生探偵だな。それで、彼はなんて?」
「適当に誤魔化しておいたので特には」
「ばれてるんじゃないかそれ」
「その可能性は有りですね。その場にコナンくんもいたので」
「コナンくん?」
「驚きですよねほんと!さっき帝丹小の予定調べたら先週の学年行事の振り替えで次の月曜がお休みらしいですよー。それで彼に会いに来たみたいで」
「まさか毛利先生たちの姿まであったんじゃないだろうな…?」
「どうでしょう。コナンくんにしか会いませんでしたが」

降谷さんからのシャンプーの香りが部屋中に広がっていく。あらかた乾かし終わって、ちゃんと梳かそうと思ったのに降谷さんは手串でざくざく直して終わってしまった。もったいない。ちゃんと梳かしたらもっとつやつやしてきれいになるのに。

「ばれそうならいっそのこと先に教えてやったらどうだ?」
「なに言ってるんですか自分から公安の人間ですーって言う馬鹿いませんよ」
「コナンくんとつるんでいるのならお前の情報が割れるのは時間の問題だと思うけど」
「そうですけど!」
「まあ、彼らに情報を渡すとしても早くて今の件が片付いてからだしな。その後でもいいからもう一度考えたらどうだ?」
「降谷さんは彼に本当のことを伝えた方がいいと思ってるんですね」

降谷さんはきっと誤解してる。この件に関してわたしが耐えて我慢してると思っているに違いない。

「全てを背負いこむのがお前の仕事じゃないんだよ、吉川」

わたし以上に色んな事を背負ってる人の言葉じゃないですよ降谷さん。ドライヤーも消えて聞こえてないわけがないっていうのに、さっきのわたしの言葉を降谷さんは聞こえてないふりをした。この人の抱えることを一つでも多くわたしが代わりたい。そうしたら、聞き流されるこの言葉を降谷さんはちゃんと聞いてくれるのかな。そのためにはやっぱり本当のことを彼に伝えるのはやめておきたいところだ。小さくはいた溜息を降谷さんに目敏く見つけられて、風呂に入って来いと無理やり背を押される。

あーあ、お寺で会った時に責めてくれたらよかったのにな。お前のせいであの子が死んだって責めてくれたなら、こんなに悩む必要なんてなかった。きっと彼はわたしを責めないし、仮に感情に流されて責めたとしてもすぐに謝るんだろうな。次にコナンくんに会う時は少し気を付けよう。そう心に決めて、シャワールームへと向かうことにした。





責めてくれたら楽なのに

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