憧憬/降谷零


決意を新たに歩き出そう


いつのことだったかぼんやりしているけれど、疑問に思ったことを風見さんにぶつけてみたことがある。

「風見さんがもしノックだったとして、同じように別のどこかから潜っている人物を見つけたらどうしますか」

赤井秀一についての資料を捲りながらのわたしの問いに、風見さんは忌々し気に溜息を吐いた。

「FBIの考えることなんか考えても無駄だ」
「えー、だから風見さんだったらって言ってるじゃないですか」
「……目的が同じなら協力し合うのも手じゃないか」
「そうですよねえ」

だったらどうして赤井はスコッチを殺しちゃったんだろう。資料に載っている単語と鋭い目つきでこちらを睨む写真を見比べてそう思った。スコッチが二重スパイだった?いや、それはないな。だって彼は降谷さんと親しくしてたそうだし。

「シルバーブレッド……そう恐れられるほどの実力者がチャンスを逃すなんて……」


*

許しを乞いたくて君に話すわけではないことを念頭に入れておいてくれ。何を思ってそう言っているのかは真後ろに座る男から読み取ることは難しかった。淡々と並べられていく言葉は、わたしがずっと気にしていたスコッチの死にまつわる状況そのものだった。組織がスコッチを公安からのスパイだと感づいたことから、処分しにいくフリをしてスコッチに近づいた。それから拳銃を奪われて彼は自殺。運悪く、死んだ直後に降谷さんが現場に来てしまったという。他殺で処理されたから相違点は自殺だったという点のみ。赤井の口から語られた言葉にわたしは首を傾げた。

「……それだけですか?」
「ホォ。それだけだと思わないと?」
「貴方が組織を追いつめる手段を簡単に手放すとは思いませんね」

降谷さんを敵に回したくないから、とコナンくんを使ってわたしに接触を図って来たのだって最終的には組織を壊滅させることが目的なわけだ。スコッチの自殺さえなければ手に入れられていたかもしれないパイプを、今ここでわたしを利用して掴もうとしてる。

「君は、左胸のポケットに携帯をしまっている」
「はい?」
「例えば自分が敵に捕まりそうになる。捕まれば待っているのは死のみ。その時君はまず何を気に掛けるだろうか」
「……左胸の、ポケット?」
「そうだ。自分が死んだ後に、その端末からあふれ出す情報は君の身の回りを巻き込んでそれはもう悲惨なことになるだろう」

左胸のポケットにそれが入っていることを気取られてはならない。自分が捕まる前にそれを奪われたらどうしようもないからだ。

「目の前に忍び寄る死の影と、遺された者へ降りかかるであろう闇。それを打ち消すために君はどうする?」
「左胸を…撃ち抜く、」
「そうだ」
「……それでも、貴方は止めようともしなかったの?自分はFBIで、目的は一緒だと彼に告げていたら結果はどうなっていたか」
「止めたさ。だが、運の悪いことに足音が聞こえた」

これで最後だ。と、笑っているようにも聞こえる声色で赤井はわたしに語り掛ける。
もしかしたら助かるかもしれない。そんなわずかな希望が見え始めたその時、現実に引き戻す音が聞こえた。階段を登る人の足音がする。自分たちのいる場所は屋上。目的地はここしかない。目の前の男は味方だという。じゃあ、今階段を駆け上がってくる人物は?敵か?それとも味方か?

「すでに死を覚悟した身なら選ぶ選択肢はひとつしかないだろう」

階段を登る足音。スコッチが死んだ後に現場に駆け付けた降谷さん。それって、

「誰も、悪くないじゃないですか……」
「そこで彼の行動を止められなかった俺に落ち度がある」
「それでも真実を降谷さんは知らないだけです。知ったら、」
「知ったらどうなると思う?」

自分の足音がスコッチを追いつめたきっかけのひとつになってしまったのだと知ったら、きっと降谷さんは自分を責める。今、赤井に全て向いている憎しみが自分へと向いていくだろう。

「スコッチは"俺が殺した"。それは変わらん。安室くんが俺を憎むことで組織の壊滅へつないで行けるのだとしたら俺はこのまま喜んで憎まれよう」
「どうして本人にも話していないことをわざわざわたしに?」
「もし彼がこのことを知った時に彼がどうなっていくかを一番想像できるのは君だろう?彼が俺を手にかけないように手を組んでくれと言ったが、それは俺を守るためでもあるし安室君を守ることにもなる。真実を知らぬまま、恨み、俺が逃げ果せたのなら何も問題はない」
「つまり…貴方やコナンくんと手を組むことは裏切りではなくあくまで降谷さんを守るための手段であると言いたいわけですね」
「ああ。真実を知って安室君が潰れるか、真実を知らない安室君が俺を潰すか。どっちも組織の壊滅を目的としているのなら避けたいケースだ。それを防ぐために我々と手を組んでほしい」

裏切っていないという赤井の言葉は赤井自身の考えだ。勝手に、貴方のためなんです、という看板を掲げようとしてるだけ。あー、やだなこういうの。真実がどうとかじゃなくて、裏切っている気分が不快なのに。

「何の犠牲も伴わずに守ることができる人間なんて一握りだ」
「要するに、覚悟を決めろってことですね」

わかりましたよ、と呟けば赤井がふっと笑ったのがわかる。それから、また情報交換をできる場を設けよう、今度はボウヤも一緒にな……と言葉を残して去って行った。これからもこうして偽装しながら仕事していくことになるのか。降谷さんと違ってダブルフェイスというわけじゃないけど、これからもっと大変になりそうだなあ。とため息が出る。風が吹いて、膝の上にあった雑誌のページがばらばらと捲れあがっていく。降谷さんに知られちゃいけない。……けど、降谷さんは本当に気付いていないのかしら。親友の死に動転して、情報を集められなかったのかな。スコッチの死体を発見して、目の前に赤井がいたのだとしたら降谷さんが他殺だと判断するのは分かる。けれど、拳銃は赤井からスコッチが奪っていたはず。だったら自殺という仮定も立てないわけはない。

「わたしが死ぬなら……」

手を使って拳銃を模した形をつくり、銃口が顔の正面に向かうように掲げた。狙うは脳幹。軌道がぶれずに確実に狙うとしたら、銃口を口にくわえて上向きに撃てばいい。心臓を撃っても即死には至らないケースもある。ならばさっきのやり方が妥当。どうしてスコッチが心臓を狙ったのか、という理由は赤井から聞いたけど、知らなかったらすこし疑問に思う点かもしれない。その疑問だけじゃやっぱり他殺の線が濃くなるだけかな。顔の正面に向けていた指先をそのまま胸のあたりまでスライドさせる。目を閉じて、想像する。銃口は左胸へ向いている。正面にはFBIだと名乗る男。撃てないように男に銃を抑え込まれている。けれども、引き金に指をかけているのは自分。……引き金?あれ、引き金に指をかけているのだとしたら……

「吉川!!」
「降谷さん……?」

目を開けたら、降谷さんが立っていた。銃を模していたわたしの手は降谷さんの大きな手に握りつぶされるように掴まれている。

「何してる」
「えーと、息抜きでちょっとここに……」
「ちがう。今、何をしていた」

自殺をする場合のシュミレーションをしてました、なんて言えなかった。冗談めかして言ってやれたらよかったのに。静かに怒りを抑え込もうとしている降谷さんに口を噤んでしまう。だけどこれじゃダメなんだ。嘘を吐く覚悟を、降谷さんを守るという覚悟を改めなくちゃならない。

「……わたしが敵を始末するとしたら、どこを狙うかを考えていました」
「なぜ」
「キュラソーが、撃った場所が死に直結するものではなかったので気になりまして」
「……本当にそれが理由か?」
「はい。というか、手のひらじゃ撃てませんって」

降谷さんに強く掴まれていた手は血が止まっていたのか白っぽく血色が悪くなっている。悪い、と呟く降谷さんに手をひらひらさせて何ともないことを伝えた。これくらいなんてことない。それでも気になるみたいで、今度は両手でそっと包み込まれる。わたしの手を包んだまま降谷さんはその場にしゃがみこんだ。

「ハァ……余計な心配をかけるんじゃないよ全く」

手のひらからは弾丸なんて飛び出さない。胸に当てたって傷ひとつつけられない。それだというのに、降谷さんはまるでわたしが本当に死のうとしてるのを目撃したかのようなリアクションをとってる。

「これが本物の銃だったら、どうしますか」
「それ以上言ったら怒るぞ」
「すでに怒ってるじゃないですかー。冗談ですよ冗談」
「この前まで死ぬ寸前だった奴の冗談は笑えん」

不機嫌そうな表情で立ち上がった降谷さんの手を借りてベンチからわたしも立ち上がる。ベンチの上の荷物をまとめると、フルーツの盛り籠は降谷さんが持って行った。

「誰からもらったんだこの盛り籠」
「通りすがりの人ですよ」
「これ有名な青果店のだろ?」
「そうですねえ。病室で一緒に食べましょ、わたし一人じゃ食べれませんし」

手を繋いで二人で歩く。まだゆっくりとしか歩けないわたしを気遣って、降谷さんはとてもゆっくり歩いてくれた。本当のことを言ったらどうなるんだろう。さっきのわたしの手を掴んでいた降谷さんの表情が頭から離れない。……やっぱり、本当のことを言っちゃいけない。この人を苦しませたくない。

「降谷さん、ごめんなさい」
「……もう紛らわしいことするんじゃないぞ」
「はい」

頑張って隠していこう。それが降谷さんを守る手立てのひとつなんだから。







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