憧憬/降谷零


秘密は徹底的に隠すもの


警備が解除されるという通達がきたのは沖矢昴との通話の翌日だった。風見さんからわたしのメールボックス宛てに送られたメールには降谷さんが上層部に出したと思われる報告書が添付されていた。

「……"組織はキュラソーの記憶喪失は公安を欺くための演技だったと認識している"かあ……」

ということはキュラソー周辺の詳細が漏れていないことは確かみたい。あれが演技だと言うのなら彼女は相当の演者だ。コナンくんが偽装メールを送った時間とキュラソーが記憶喪失だった時間は被ってるのにベルモットは本人が送信したと確信してる。その経緯はまだわかっていないみたいだけど、やっぱりあのゴンドラでキュラソーとベルモットが何らかの接触をしたのかな。

それとキュラソーが記憶喪失を装っていたため公安は組織の情報を手に入れることはできなかったと思い込んでるみたい。まあ、大きなものは確かにそうなんだけども。組織は三人もノックを始末できたわけだし今回は大収穫だったでしょうねえ。ひとり手放したとしても遅かれ早かれってところだったかもしれないし。ベッドの上でスマホがひとり唸ってる。手に取ってみれば風見さんからの着信だった。

「はい、吉川です」
『添付ファイルは読んだか』
「今確認したところですよ。彼女の周辺情報が漏れてないところからすると警備は解除でしょうか」
『ああ。少なくともお前は面が割れてないらしい』
「え?そうなんですか?どこかからキュラソーを監視しようものならゴンドラで見つかってそうですけど」
『キュラソーに隠れて見えない人物がいた、とベルモットから証言があったらしい』
「そんなバカな」
『ああ、本当かどうかは怪しいからな。一応据え置きというところだ』

隣りに座るわたしがキュラソーに隠れていたということは観覧車の正面のどこかから監視していたのか。単純に考えたら水族館のレストランが一番楽だけど。警備は明日から解除となるそうで、わたしは今週いっぱいこの病室で過ごすことになるみたい。と言ってもあと3日くらい。最長で1か月缶詰にされるとか言ってたからそれと比べたら随分と短いなあ。よかった。

「降谷さんは落ち着いたようですか?」
『自分で連絡してみたらどうだ?』
「しようと思ったら邪魔されたんですもん」
『何の話だ一体』

もう少しかかりそうだという風見さんのため息交じりの返事に、そーですかーと返せば「真面目に答えてやっただろうが」と怒られた。だって喜んでいいのか悪いのか。頭の隅っこでぼんやりニヤニヤしてる細目のとある人物が浮かんでいる。鉢合わせだけは避けたいから降谷さんに来てほしくないけど、本当は早く会いたいしお話したい。

"貴女が上司を裏切っているかどうかの悩みは、僕の話を聞いてから判断してもらいましょうか"

そんな言い方されたら、まるでわたしが悪くないって言われてるみたいじゃない。風見さんとの通話を終えてからすぐにとある番号に電話をかける。2コールほど鳴らしてから、電話の主は静かに応答した。

『言った通りだっただろう?』
「今日はそっちなんですね……ええ、悔しいですが貴方の言う通り警備は明日から外れます。この病室を使用するのは今週一杯。明後日は傷の抜糸があるものでご遠慮願いたいですね」
『ならば明日伺おう。場所の希望はあるか?』
「……わたしが指定してもいいんですか」
『怪我人相手だ。俺のせいで悪化したと安室くんに余計な恨み言を言われても面倒だからな』

場所は改めて連絡すると伝えると、沖矢昴…いや、今日は本来の声だったから赤井秀一が了承して通話を切った。どこがいいだろう。足が痛むし階段は登りたくない。けど、歩けないわけでもないしなあ。エレベーターで移動できて、他から見えないところ……。いや、見えないところに居てもしも誰かに感づかれたとしたら今のわたしじゃ急いで逃げることは不可能だ。だったらむしろあそこでいいか。さっきの番号宛てにショートメールを送る。了解、とだけ返って来た。それから廊下に立っている部下をスマホで呼び出す。

「お願いがあるんですけど……」


*

東都警察病院の敷地内にある庭園。大きい物ではないけれど、そこにベンチが背中合わせで2基置いてある。病棟に背を向けている方のベンチに腰かけて一息ついた。ちょっと休んでただけでこんなに体力落ちるんだもんな…はやく治ってもらわなくちゃ困る。持ってきたコンビニの袋から取り出したのはファッション雑誌と煙草とライター。昨日、部下にお願いして買ってきてもらったものだった。風見さんは財布とスマホは持ってきてくれたけど煙草は持ってきてくれなかった。病院だから当たり前だけどさ。でもよく考えたら灰皿がないから吸えないや。部下の買ってきてくれた雑誌をペラペラ捲る。こんなの何年も買ってないから、きらきらと飾り立てられた紙面がとても眩しく見える。

「君もそういう雑誌を読むのですね」
「嫌味ですか。貴方こそそんな可愛らしいラッピングのフルーツなんて選びそうにないですよ」
「こういうものは渡す相手に合うものを選ぶものでしょう。お見舞いです」
「ありがとうございます」

雑誌から顔を上げると、大きなリボンで飾られたフルーツの盛り籠を抱えた沖矢昴が立っていた。貴方の席は後ろですよ、と後ろを指させば「なるほど」と呟きながらわたしの横に籠だけ置いて反対のベンチへと座った。互いに背を向けてベンチに座っている様子はベンチで偶然背中合わせになった男女にしか見えないはず。

「予め言っておきますが盗聴器の類はありませんよ」
「ええ、疑っていません。誰かに見つかった時の対策もバッチリなようなので」
「どうせ怒られるなら最低限で済ませたいじゃないですか」

それで話してくれるんでしょうね。雑誌を読むふりを続けながら、後ろへと問いかける。

「ああ……何から話そうか」
「っ…その、急に声変えるのやめてくれません?吃驚する!」
「見えていないのだから良いだろうに」

気持ちの問題だわ、と思いながら一枚ページを捲った。女子は秘密のひとつやふたつあって当然!なんて謳い文句が新商品コスメのページに書いてある。当然って。

「君は安室君が俺を恨む理由を知っているか」
「あの人と同じく組織に潜入していたうちの部下を貴方が殺したと」

部下とひと括りにするにはしっくり来ないほど降谷さんと彼は親しい間柄だったという話を聞いたこともある。身内を目の前で殺されたも同然だったというわけだった。それならば恨まないわけがない。

「けれど、知っているのは結果だけです」
「……結果だけとは?」
「彼が死に至った状況の詳細を知りません」
「日本警察は今後のノックのためにも詳細込みで記録しておいたりしないのか」
「あ?今馬鹿にしましたね。ほんっとこれだからFBIはイヤ!」

もちろん普段から潜入含め様々なことを記録に残してはいる。そのせいで報告書に追われている日々だ。降谷さんもその日の事をちゃんと報告はしていたけれど、FBIのノックである諸星大と名乗る赤井秀一という男に公安部からのノックが射殺された、ということしか記録にはなかった。ノックだと漏れて射殺されたのだろうけど、漏れた経緯が判明していない。これから真相を探る、という文面を最後にあれからその件について会議でも上がることはなかった。

「ダブルフェイスをこなしている身でも定期報告は欠かさず、漏れも少ないあの人の報告にしては情報が少ないなと思ってはいました」
「ホォー…何か裏があるとでも?」
「そうですねぇ。裏というか、何かを隠しているというか……」

降谷さんはあえて何かを隠してる。公安が不利になるようなことはいくらなんでも隠したりしないだろうから、きっとこの赤井秀一に関することであの人が隠したくなるくらいの出来事があったに違いない。

「すこし昔話をしよう」

君は知っているところもあるかもしれないし、知らないこともあるだろう。まるで絵本の冒頭を読み聞かせようとしているように赤井が呟き始めた。

「君が何を信じるかは自由だが、最後まで聞いてもらえるだろうか」
「当たり前じゃないですか。そのためにわざわざこうしてセッティングしてるんですから」
「ああ……そうだな」





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