憧憬/降谷零


嘘も方便とは言いますが


「ねえねえお姉さん、ほんとにこの女の人ここに入院してないの〜?」
「ごめんね、お姉さん受付だから入院してる人のお顔までわからないの」
「そっかー、残念」

東都警察病院の受付に差し出した写真をポケットにしまって、受付の女性にわざと子供らしく手を振ってから離れた。ロビーのソファへ向かうと灰原がしかめっ面で座ってる。

「そっちはどうだ?」
「こっちもダメよ」

手分けして看護婦や受付に聞きまわっているのは、観覧車でキュラソーと対峙して怪我を負ったあの人のこと。最後に見たのはストレッチャーに乗せられて救急車へと運び込まれている姿だった。安室さんに彼女の安否を確認したいけど、安室さんはしばらくお休みだとポアロの梓さんから聞いてるし、確認のしようがなくてこうして地道に探っている。

「本当に警察病院に運ばれたんでしょうね」
「もう一人の公安の男の人がいただろ?あの人に肩を貸してた人らが警察病院に行きますって報告してるのを見たんだ」
「それでもあの日からもうすぐ1週間経つんだからほかの病院に移ってる可能性もあるわよ」
「それはそーだけどよ」

移っているのなら仕方がない。が、ここを移らないだろうと考えているのには理由があった。理由はとてもシンプルで彼女が公安警察だから。身分を明かせなく、組織に限らず何かから狙われることも少なくないだろうあの人を隠すならここしかないんじゃないか。ということはこの聞き込みもあまり意味は成してない。受付はもちろん、病院の関係者の一部は彼女がここに入院していることを知らない可能性がある。

「どっかに小さな糸口があれば簡単に割れそうなんだけどな」

廊下で見た、とか。極秘で匿っている患者がいるとかそういった情報がどこからか拾えたら儲けものだけど。と悩んでいると、隣りからつんつんと肩をつつかれた。

「見つけたわよ、糸口」
「は?」

走っていく灰原を追いかけて見えてきたのは、警視庁捜査一課の高木刑事だった。その先には目暮警部や佐藤刑事、千葉刑事もいた。

「あれ、二人ともどうしてここに?!」
「高木刑事たちこそどうしてここに?」
「どうしてって、こっちの台詞だよ」
「わたしたち紗希乃お姉さんがここに入院してるって聞いてお見舞いに来たの」
「それなのに受付の人も看護婦さんもみんな紗希乃お姉さんはここに入院してないって言うんだ」

ねえ、お願いどんな容体なのかどこにいるのか何でもいいから知ってることがあったら教えてよ。と子供の能力フルパワーで高木刑事に声をかければ、奥で目暮警部が諦めたように溜息をつくのが見えた。よっしゃ、これいけそう。

「いいだろう。高木君、二人に付き添ってあげなさい」
「はいっ」
「わーい!ありがとう警部!」

これから事情聴取のために紗希乃さんの病室へ向かうらしい捜査一課の後ろを二人でついていく。事情聴取ができるってことは容体は悪くなさそうだな。

「他のみんなはどうしたの?」
「騒ぐといけないから置いて来たわ」
「そ、そうなの……」
「君たちはどこで彼女と知り合ったんだい?」
「公園で偶然会ったんだ。千葉刑事はその時いなかったっけ。拳銃の入ったバッグを見つけた公園だよ」
「あれ?でも僕の車に乗せた時の話だとあの時すでに知り合いみたいだったけど」
「うん。あの時は2回目だったんだ」
「ねえコナンくん。それ以降、その公園で彼女に会ったことはある?」
「ううん。公園では一度もないよ」
「そう……」

そういえば元太たちが紗希乃さんが警察病院へキュラソーを引き取りに来たって言ってたな。ってことは捜査一課には公安警察だってばれてんのか。てことはやっぱり捜査一課の捜査中止で別の所が引き継いだってのは公安が捜査権をとったのか。それで、その時のことが引っかかってるんだろう。到着したフロアはひっそりとしていて、迷わず進んでいく捜査一課の後ろを歩いていたら急に立ち止まった。スーツ姿の男が一人病室の前に待機してるのが見える。

「この先は身分証明を」
「目暮だ。5分後に事情聴取を指定してあるはずだが?」
「承知しております」
「我々にだけ確認させてそちらは何もないのかね?」
「……失礼しました」

警察手帳を提示した目暮警部に威圧されたのか、男はしぶしぶと自分の警察手帳を取り出した。どうやら警視庁公安部の人間らしい。

「君たちはロビーで待っていなさい。事情聴取が済んだら呼ぼう」
「彼らは?」
「江戸川コナン君と灰原哀君だ。名前を伝えれば彼女もすぐわかるはずだ」
「わかりました。伝えてきますのでお待ちください」

扉が開いて高木刑事以外が病室へと案内されていく。べつに高木刑事も中に入ってもらっても構わないんだけどな。高木刑事と灰原とソファに腰かける。全員が入ったかと思えば公安の人が一人出てきた。こちらをちらりと見ると、スマートフォンを耳に当てながらエレベーターへと進んでいった。

「そんなに睨んだところで何にもならないわよ」
「あ?」
「江戸川君じゃないわよ」
「ええっ、僕?!」
「高木刑事、やっぱり公安の人たち嫌いなの?」
「やっぱりってコナンくん…?」
「よく言うじゃん、公安と警視庁は仲が悪いって」
「業務上よく思わないことは確かにあるけど嫌いってわけじゃないよ」
「まあ、向こうもやむを得ずってところだろうからね」
「そうそう。向こうも仕事だし、その点はわかってるよ。でもなあ……」
「でも?」
「嘘を吐かれていたのかと思うと、どこまでが本当でどこからが偽物なのかわからなくて嫌にはなるかな。仲が良くも悪くもなくて、普通に会話ができて、良い知り合い人だと思ってた人が名前も違って、聞いてた話の印象がまるっと変わると急に不安になるよね」

別に彼女に限った話じゃないけど。と付け足して高木刑事は不器用に笑った。

「彼女の名前が違って、経歴が違って、貴方たちに何か害はあったのかしら」
「が、害っていうほどないけど……」
「だったら今も仲が良くも悪くもない、普通に会話のできる良い知り合い止まりなんじゃない?」
「まあ、そういわれるとそうだなあ。って、別に吉川さんのこと言ってるわけじゃ、っというか君たちは彼女の事どこまで知ってるんだ?!」

吉川さんというのは篠原さんの本名で、彼女は事情があって、と急に理由を並べ始めた高木刑事に紗希乃さんの事情はすこし知ってるよと伝えると安心したようで脱力している。

「本当に悪い人じゃないってのはわかるんだよ。謝られたって困るから謝って欲しいわけじゃないし、ただ、嘘を吐かれたとこっちが一方的に傷ついた気になってるだけなんだ」

嘘を吐きたくて吐いてるわけじゃないのもわかってるんだけど。とわざとへらりと笑ってから腕時計で時間を確認している。もうすぐ時間だ、と高木刑事が立ち上がる。

「もう?まだ20分くらいしか経ってないけど……」
「彼女が公安の人間である以上は職務に関係することは口を割らないだろうから、結局は他の関係者からとった調書との情報をすり合わせるために来たんだ。あとはお見舞いかな」
「お見舞いって、嫌ってる割には甘いのね」
「だから嫌ってないって言ったじゃないか〜!千葉のやつ、同期だから気に掛かるみたいだったしさ」
「えっ、千葉刑事と紗希乃姉ちゃんって同期なの?」
「みたいだよ。彼女の方が成績は遥か上だったらしいから接点はあまりなかったようだけど」

警視庁に配属されてる時点で千葉刑事も成績は良いはずだけどな。まあでも警察庁に入庁するにはトップ付近じゃねーとやっぱり無理があるか。
病室から出てきた目暮警部はあまり長居しないようにと言ってから他の刑事たちを連れて警視庁へと帰っていった。公安の刑事も戻って来ないし、もういいかと病室のドアをノックする。

「はい、どーぞ」

病室に入ると、ベッドに座っている紗希乃さんが手を振って待っていた。

「紗希乃さん!大丈夫なの体は?!」
「ちゃんと生きてるよ〜」
「あなた起きてて平気なの?」
「今は鎮静剤効いてるからいくらかね。何度も姿勢を変える方が響いて辛いからいいの」

心配かけたねと笑っている紗希乃さんに促されて、灰原とそれぞれパイプ椅子に座る。

「あ、そこのお菓子好きなの持っていっていいよ」
「そこのって、かなりあるじゃん」
「そうなの。みんなお見舞いにもってきてくれるんだけど1人じゃ食べきれないんだよ。ほらそのバームクーヘンとか」
「これって駅前の有名店のバームクーヘンじゃない!このサイズだとかなり高いわよ」
「いつもだったら激しく喜んでたけどね〜。痛くて飲み込み辛い怪我人にはいじめみたいなチョイスだよね。局長そこらへん気が回んないから」
「局長って……」
「うちの局長だよー」

軽く言ってるが一般人は目にすることができないクラスの幹部だろそれって。公安警察、特にゼロは存在くらいしか世の中に知られていないからどんな構成になっているのか不明だけど、局長直々にお見舞いにくるって紗希乃さんの公安内での立ち位置はかなり上なのか?

「紗希乃さんってもしかして幹部なの?」
「全然。下っ端も下っ端よ」
「じゃあ上の人から気に入られてるの?」
「普通じゃない?仲良くしてもらってはいると思うけど」
「女性が少ないんでしょ。だから目にもつくし気にもなるし上も重宝するんでしょうよ」
「さっすが哀ちゃん。まあ、そんなところだろうね」
「ふーん。じゃあ、女の人はどれくらいいるの?」
「さあ、どれくらいだろう」

教える気なんてさらさらないんだろう。にっこり笑ってはぐらかされた。

「さて、改めまして。君たちには大変お世話になりました。なんとお礼をしていいやら…、お礼に関しては降谷さんから後々なにかあると思います」
「わたしは何もしていないわよ」
「最初にキュラソーを見つけてくれたのはあなたたちだよ」

それがなければこちらはもっと劣勢になっていただろうね。と悔しそうに呟く。

「ねえ、紗希乃さん。安室さんは大丈夫なの?ポアロをしばらく休むと言ってたみたいだけど」
「ちゃんと生きてるよ。生存確認もとれてるし、何よりコナン君のおかげでノックの疑いが薄れた」
「でも、あの偽装メールだけで組織が信じるとも思えないんだ」
「その点に関しては問題ないと思うな。『キュラソーがそのメールを自分で送ったと断言した』らしいから」
「それってどういうこと?メールの改竄は江戸川君が独断でやったことよ。それを彼女が知ってるわけないじゃない」
「キュラソーが断言するに至った経緯までは知らないの。ただ、この情報を持ってきたのはベルモットだよ」
「ベルモット……!」
「彼女、そのメールの送り主が江戸川君ってわかってそう断言したのかしら」
「可能性は高いと思う」
「……あの人、子供達を助けようとしたわ」
「どういうこと?」
「自分が狙われているのをわかっていて、子供達がゴンドラにいることを知って崩壊する観覧車を止めようとしたの」

組織の人間だったのに。灰原は紗希乃さんにキュラソーがただの悪人じゃなかったんだと伝えようとしている。でも、それを遮るように紗希乃さんは灰原へ手をかざしてストップをかけた。

「ごめんなさい。その思いや、考えはあなたの中にしまっててほしい。酷いと思うだろうけど、キュラソーが今回招いたことは我々日本警察に大きな痛手を残す結果になったことは事実なの。それを彼女が改心した可能性を見出して庇うことはわたしにはできない」
「そう……よね、」
「ごめん。だから、哀ちゃんやコナンくん…それに少年探偵団の子供達。あなたたちはそのまま信じてあげて。それがきっと彼女の救いになるはずだから」

庇えないとか言ってるくせに悲しそうに話す紗希乃さんは、まるでキュラソーが救われたらいいと思っているように見えた。

「ああ、そうだコナンくん。あの人はちゃんと逃げ切れた?」

紗希乃さんと最後に会ったのは観覧車の内部。ってことは赤井さんのことか。赤井さんなら……と言いそうになって、はたと気付く。隣りには灰原がいる。ここではこの話題は出せない。

「あー……うん。ちゃんと帰れたみたいだよ!」
「そっか」

オレが誤魔化しているのに気づいたらしく、特に深く突っ込まない紗希乃さん。でも、それに気付いたのは灰原も同じだったみたいだ。「バームクーヘン、食べていいんでしょ。お茶用のお湯でももらってくるわ」と病室を出て行く。バタン、と扉が閉じた瞬間に紗希乃さんがすごい形相でオレに詰め寄った。

「ねえ!観覧車で赤井と降谷さんは何かあったの?!」
「は?何のこと?」
「それはこっちが聞きたいよ!降谷さんが何か勘違い起こすようなこと赤井が言ったりしなかった?むしろコナンくんが言ったりしてないよね?」
「いや、べつに何も……あ。」
「なに!」

勘違い、といえば爆弾解体の直前に赤井さんが適当な言葉を安室さんにふっかけてたような気がする。絶対それだ。煽るような物言いに見事に安室さんが釣れてた。

「あれは赤井さんの言葉が足りなくて安室さんが勘違いしただけだよ」
「いやだから、その勘違いによる怒りの矛先がわたしに向くのおかしくない?」

赤井と接触したのかって問い詰められたんだからね!とオレの両肩を掴んでがくがく揺らす。ちょ、おい、怪我人大丈夫なのかよそんなに動いて!

「紗希乃さん落ち着いて……!」
「落ち着いてられない。降谷さんに疑われて嘘ついちゃったよ、わたし。言ったでしょ、コナンくんには手を貸すよって。それが巡り巡って奴の手助けになってしまうことも理解してはいたんだけどさ。実際に本人へ面と向かって嘘ついて、誤魔化すのって結構メンタルにくるものがある……」

こんなの裏切り行為と同じだ。そう落ち込んでいる紗希乃さんになんて声をかけたらいいんだ?僕はちゃんとわかってるよって言えばいいんだろうか。それでもそんなの紗希乃さんからしたら多分どうでもいいんだよな。この人は安室さんにわかってもらえなきゃ、こうやって苦しいだけなんだから。

「そんなの気にする必要ないわよ」
「はっ、灰原?!お前いつの間に戻って来た!?」
「江戸川くんが肩を揺さぶられ始めたあたりから。それで?内容はさっぱりわからないけど、あの男を裏切ったってメソメソしてるわけ?」
「メソメソはしてないけど……」
「十分してるわ。そんなちっちゃなことで悩んだって無駄よ」
「ちっちゃいってお前な……」
「あら。ちっちゃなことよ。だって、裏切りは女のアクセサリーって言葉もあるくらいだもの」
「あ、哀ちゃんかっこいい……!」
「それってどこぞの怪盗の仲間が言ってた言葉じゃねーか」
「怪盗?」

あ、やべ。急に仕事モードの顔つきに戻ってやがる。職業柄しょうがねえけど、仕事ばっかりやってるから、こんな裏切ったかどうかで落ち込むんじゃないか?……いや、逆か。仕事の関係以上に信頼して思いあってるから落ち込んでるのか。

「(どっちにしてもめんどくせー二人だな……)」




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