憧憬/降谷零


溢れだしたの色んな事が


目が覚めてからバタバタと記憶の確認だのなんだのと目まぐるしく状況が動いていった。記憶にも何のダメージもなさそうだし、問題は骨と足だけだった。けれども現状耐えられないと思ってしまうことがひとつだけあった。

「禁煙だなんて……」
「その状態で吸おうと思えるなら大丈夫だな」

心配して損したとでも言うように病室の入り口に立っていたのは風見さんだった。思わず「風見さん!」と声を上げれば、痛み止めで和らぎはじめていた痛みが主張し始めた。いっっったい!!痛くてひいひい言っていると、「お前は馬鹿か」と笑い始めた風見さんも胸を抱えて前かがみになってる。肋骨折ってる人が笑ったら痛いに決まってるじゃないですか。そっくりそのままお返ししてやりますよ!

「もう退院したんですか」
「とっくにしたさ。こっちはお前と違ってちょっと折れただけなんでね」
「不公平ですよね……今回、わたしばかり怪我をしてるなんて」
「男女でも骨密度の違いもあるし身体のつくり上そうも言ってられないだろう。これを機に禁煙しろ」
「嫌でーす」
「この…っ!」
「ほら〜大声出すと痛みますよ」
「っはあ……わかってるなら出させるような返事するな」
「はあい」

お互いにちょっと大きな声を出すだけでも痛くて悶えてる。この状況がすこしおかしくて笑ってしまいそうだった。笑うのも痛いのが辛い。しばらく無感情で生きろって言うのか。

「そうだ、ネクタイすみませんでした。止血までして頂いてありがとうございます」
「なんのことだ?」
「えっ、わたしの銃創の止血をしてくれたのって風見さんですよね?」
「オレはしていないが」

じゃあ、誰が?そういえばあの時ゴンドラの中にはコナンくんがいた。もしかするとコナンくんがわたしの止血をしてくれたのかもしれない。あの少年ならやりかねないな、そう思うのは子供らしからぬ判断力と知識を持っているのを何度か見てきたせいだった。

「吉川の回復を待って事情聴取を行うと警視庁からの通達だ」
「今回は誤魔化さないんですね」
「現場に捜査一課がいたんだ。観覧車が崩壊し始めてから現場で協力してくれたこともあって無下にはできん」
「どこまで話せばいいですか」
「任せる。あくまで観覧車事故の被害者としての調書だ」
「了解しました」

それから今後のわたしの身の振り方を説明された。足は縫合手術を終えているし、骨折も長期入院を必要とはしないと担当医から判断された。けれど今回の件で組織に顔を見られたおそれがあるためしばらく警備をつけることになる。それならばとわたしは最長で1か月ほどこの病室に缶詰にされるらしい。どのみち一人暮らしだからいいんだけど、こんな何もない部屋で横になってるだけなんてつまらないなあ。

「安心しろ、仕事は持って来る」
「逆に安心できませんよ!」
「パソコンは後で持って来させる。資料も警備の交代のたびに新しいのを持って来させる予定だ」
「本気なんですね……!」

わかりましたよやってやりますよ。確かに痛いことは痛いけど、鎮痛剤を飲めば多少は我慢すればいけるはず。これからこの病室にやってくるであろう資料たちを思い浮かべると頭が痛くなってくる。

「そういえば降谷さんは大丈夫なんですか?」
「しばらく組織の仕事中心になる。後始末はこっちでやることになった」
「そうですか……そういえば、降谷さん変な時間に病室来てたんですけどあの人休んでるんですか」
「どうだろうな。病室に来たのは二度目だったそうだがその間も組織の方に顔をだしていたそうだから休んでいないかもしれない」
「……二度目?」
「ああ。吉川が搬送されて手術を終えた数時間後に1回と、目が覚めた時の2回だ」
「わたしが起きるのタイミングぴったりじゃないですか……!」
「……降谷さんに何かされたのか?」
「ちっがいますよ!たまたまです!偶然!…っ、いてて…」

風見さんが変なことを言うから不必要に慌ててしまって痛い思いをしてしまった。わたしが起きた時に、外に誰かがいると思ったのは警備担当の部下だったらしい、そこへ降谷さんが来たところで目が覚めたと……。なんだこれわたし降谷さんレーダーでもついてるみたいだ。観覧車のあの時も、まさか本当にあそこに降谷さんがいるなんて。

「すごい心配してたんだぞあの人」
「はい、本人にも言われました」
「全然わかってないよお前は」
「はい?」
「お前が思ってる以上に降谷さんはお前のことを考えてるよ」
「……わかってますよ」

ほんとかよ、と小さくため息をついた風見さんは「ネクタイは気にするな」と言い残して出て行こうとした。これから事後処理に回るんだろう。「あ、」思いついたことをあって口から声が漏れる。聞き逃すことのなかった風見さんが立ったまま顔だけわたしの方に振り向いた。

「どうした」
「パソコンとか持って来るならわたしのスマホも欲しいなあって思いまして」
「観覧車で壊れただろう?」
「いえ。あれは支給のやつです。プライベートのはロッカーの金庫にあります」
「何で開く?」
「右に5左に2で開きます」
「女子のロッカールームには入れないから他に頼むことになるが誰か指定はいるか」
「特には。わたしが友人とか少ないって知ってるくせにー」
「聞いてみただけだ」
「ひどい!」

じゃあな。と風見さんが出て行く。廊下に警備の部下がいるけれど、ぽつんとベッドに寝そべるわたしの呼吸だけが聞こえるこの部屋のせいで一人ぼっちな感覚が以上に迫ってくる。一人暮らしにもとっくに慣れたのに。一人で何かするのに全く抵抗なんかないのに。瞼を閉じて現れるのはいつだって、あの人。生きているだけでお礼を言われるなんて思ってもみなかった。ありがとうって言いたいのはこっちの方ですよ。そう伝えたいのに伝える方法がない。連絡先を知っていたって自分から連絡もせずにただ写真を眺めているだけだったのに、その手段が手元にないとわかったら途端に心細くなる。こんな怪我をしてなかったら走っていくのに。あんな事件に巻き込まれなかったらすぐに連絡できたのに。どうもできない考えばかりが頭の中を巡って消えてくれない。あ、やだ。鼻の奥がツンとしてきた。それでもどこかが昂ぶって何かがじわりと喉元までせり上がってくる。腕を目元に乗っければ、真っ暗になる視界の奥に降谷さんがいる。

「吉川」

瞼の裏側の降谷さん。お願いだから声なんかかけないで、そんな声をかけられたら何とか堪えてるのが流されていってしまう。

「吉川」

なんでそんなにはっきりと声が聞こえるんだ。消えて、お願い。今だけでいいから、お願い。

「紗希乃」

思わず、目に押し付けていた腕が緩んだ。あ、れ…、いま名前を……

「降谷、さん……?」
「なに吃驚してる。ずっと呼んでただろ」
「だって、あれは本物じゃなくて、」
「ここにいるよ」
「…っ……」
「ちゃんと、ここにいるから」

流れてく。さっきまで一生懸命閉じ込めておこうとしていた、寂しさや不安とか悔しさが混ぜこぜになって、あふれ出る。情けないぐらいボロボロと零れていく涙はわたしの頬だけじゃなくて、添えられた降谷さんの手も濡らしていく。

「言っただろ、ちゃんと引っ張ってやるからって」

覚えてたんだ。わたしだけかと思ってた。嬉しい、けど、今はぐちゃぐちゃすぎて何でも涙になってだらだら流れてくる。

「い、いまそういうこと言わないで〜〜!」
「はは、ぐちゃぐちゃだな」
「だって、ふるやさん、いるんですもん」
「また来るって言っただろう?」
「た、タイミングが悪いんです、」
「俺としては良いけどね。一人で泣かれるよりはずっといい」
「っ、やさしく、しないでください」
「ああ。優しくしようと思ってしてるわけじゃないよ」
「なに言ってるんですか、優しくするくせに」
「自然にそうなってるだけなんだけどな」

嗚咽のせいで胸が痛い。もうぐっちゃぐちゃのわたしを見下ろす降谷さんの顔は見たことないくらい優しくて、見るだけでもっと涙が出てくる。貴方に会いたくて仕方がなかったこと、言いたいけど言えないよ。言ったらきっと、戻れない。優しい降谷さんにずぶずぶと溺れていってしまう。もうむしろ、ほとんど溺れているようなものなのだけど。







溢れだしたの色んな事が

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