憧憬/降谷零


走馬灯じゃ満たされない


走馬灯。ある一説では明るい光が駆け抜けることを指しているというし、またある一説では生き延びるための方法を探して脳が全ての記憶を読み直す作業のことだという。結果、諸説あって明確な情報は存在しない。脳波で記憶を整理しているとかわかったって、最後の最後に誤作動を起こしてるだけかもしれない。一度死んでみなくちゃわからないけれど、死んでしまったら戻れやしない。臨死体験だって本当の体験かなんてわからない。つまり、今こうしてわたしがひどく懐かしさを覚える場所いて、ベンチへ座り空を見上げているのも走馬灯かどうかなんてわからないんだ。

「(たった数年前のことなのに、かなり懐かしい感じがするなあ……)」

空を見上げる頭をおろせないのも、声を出そうと思っても出せないのも、これはわたしの記憶で、もう変わることのない情報にしかすぎないからなんだろう。通い慣れた大学でよく利用していた教室棟のすぐそばにある喫煙所。申し訳程度のベンチと吸殻入れが置いてあるそこ。ベンチの隣りに座る友達は、今じゃわたしが吸い慣れたあの香りを勢いよく吐き出した。

「ね、1本ちょうだい」
「紗希乃、やめな。あんたは吸わない方いいでしょ」
「大丈夫。時々しか吸わないし。ていうか卒業したらすぐ寮だから今くらい遊ばせてよ」
「ケーサツの言う言葉じゃないわ」
「まだ卵にもなっちゃいませんけどねー」
「ていうか本気で警察なろうと思ってるのに驚きだよ」
「うん。でもなってみたい」
「そんなに正義感強かったっけ」
「どうだろう。正義とかそういうのより、ただ何かを守ってみたいだけなんだよね」

守ってみたい。それは単純な好奇心での思いだったりする。べつに何てことない。幼少期に父を病気で亡くして母がいわゆる女手一つってやつで姉とわたしを育ててくれた。母はどちらかというと父の役割を担っていたし、そのぶん姉が母代わりのような役割をこなしてくれた。父である母と母である姉に守り育てられたわたしには当然ながらなんの役割もない。強いていうなら守られ役ってところ。だから、わたしが誰かを、何かを守るってことは生まれてこの方一度も無い。

「守る、って広義に捉えると何にでも当てはまるじゃん。保育士だって医師だってそうだし…、ほら警備員とか?介護士とかもあるねえ」
「なーに、警察って考えが安直すぎるとでも?」
「普通に紗希乃は弁護士にでもなると思ってたよ、あたしは」

そうだなあ。弁護士になれてたらこんなところで走馬灯とは何だなんて思考を巡らせることもなかった。そっちの方が楽しい人生歩めていたのかな。あ、でもダメだ。そっちには降谷さんがいないじゃない。あの人がいないのはイヤ。ずっと付いていくって約束したんだもん。戻らなくちゃ。はやくあの人のいるところに戻らないと、

「まーでもさ。紗希乃がどこで何しててもあたしは応援してるから」

隣りで照れ臭そうに笑う親友に向き直る。ねえ、この日に戻りたい気持ちはもちろんあるけど、今はそれ以上に戻りたいところができたよ。何かを守りたいって漠然とした好奇心だけじゃなくて、もっと明確に守りたいものが出来たの。まるで今のわたしの思いが伝わってるんじゃないかってくらい、記憶の中の彼女は眩しく笑ってる。

「頑張ってね、紗希乃」


*


夢でも見ていた気分だった。ぼやけていた視界がクリアになっていく様はいつもの起床とあまり変わらない。違いといえば身体が痛くてしょうがないこと。それに酸素マスクまでつけられているようで、腕には何やら点滴までついていた。大袈裟すぎるでしょ、と思ったけどちょっとでも深く息を吸おうものなら胸の痛みに襲われて脂汗が流れた。病室の中を見える範囲だけで判断すると、ここは東都警察病院みたい。だ、誰かー……。か細くマスクの中でくぐもる声は誰にも拾われない。ナースコールを押せばいいんだろうけど、痛くて痛くてそれどころじゃない。ほんとに誰か来ておくれ、今は何時であれからどうなったのか教えてくれ。まるで捨てられた犬。なんだか孤独な気分になってきたわたしは病院にいるのにこのまま息絶えてしまって一生降谷さんに会えないんじゃないかなんて馬鹿な考えがよぎった。ねえ、一目でいいからあの人に会わせて誰か。一生のお願いだからー!と叫ぶのは痛いので心の中で思うのにとどめていると、廊下から音が聞こえる。足音と、誰かが会話している声がする。誰だかわかんないけど入って来て!起きてる、吉川起きてます!

「降谷さあん……!」

精一杯振り絞ってみた声は部屋の中で響きもしなかったけど、病室の引き戸が慌ただしく開け放たれる。よかった、誰か気付いてくれたんだ。

「吉川…?」
「降谷さん、」

飛び込むように入ってきたのは降谷さんだった。パチパチと大きく瞬きをして、まるでこれは夢じゃないだろうかというモノローグを振り払ってるような彼は、大きなため息とともにベッドわきのパイプ椅子に腰かけた。背もたれにだらりともたれ両手で顔を覆い、尚も長く長く息を吐いていて表情が読み取れない。

「あの、すみません寝すぎたみたいで」
「本当だよ。もう二度と目が開かないかと……喋ってくれないのかと思った」

よかった、ぽつりと零れたその言葉。ため息は呆れとかそういうんじゃなくて安堵からだったのかと気付いたら、強張っていた自分の喉がゆるむのがわかった。降谷さんが座りなおして真剣な表情で、わたしに向き直る。

「ちゃんと覚えているか」
「はい。キュラソーの記憶を取り戻すために観覧車に乗り、組織の襲撃を受けてゴンドラごと落下。降谷さんと合流後、別れました」
「別れた後はどうした?」
「降谷さんの姿が見えなくなったあたりで、動けなくなったことぐらいまでしか記憶が残っていません」
「そうか」
「キュラソーはどうなりました?」
「彼女は死んだ」
「……そうですか」
「観覧車もコナンくんのおかげで食い止めることができたし、大きなけが人はほとんどいない」
「ほとんどって、」
「ああ、お前くらいさ」
「なんで!」
「風見も肋骨骨折程度だし、俺も打ち身くらい。コナンくんは少々怪我をしたけど、一番の重傷者は吉川だな」
「……わたし何本折りました?」
「聞きたいか?」
「やめときます……」

なんでより危険な場所にいた貴方たちよりもわたしの方が怪我してるんだ。うわー恥ずかしい。それに痛い。わたしの肋骨はボキボキ自由行動してるんだろう、胸に巻かれたコルセットが苦しい。加えて銃創もあるしなあ。

「わたし何日眠ってましたか」
「4日」
「そんなに!」
「お前は本当にいつでも眠いんだな」
「うう、否定はできない……!ご心配おかけしました」
「……もう、戻って来ないんじゃないかと思うには十分すぎる時間だったな」
「体感時間的には数時間も経っていないような気分ですけどね。あ、降谷さんて走馬灯とか見た事あります?」
「本当に見るのか、走馬灯なんて」
「うーん、そうなのかはわかんないんですけど、懐かしい人に会いました」
「……吉川がその人に連れていかれなくてよかったよ」
「連れていく、というかそこに居てくれるってくらいでしたけどね」
「へえ……俺は夢の中でさえ誰も会いに来てくれたりはしないよ」

走馬灯だったらまた会えるのかもしれないな。と微笑む降谷さんは笑っているのに寂しそうだった。無意識に伸ばした手は、降谷さんの手の上に重なった。

「冷たい」
「冷え症なんです」
「知ってるさ。お前の手はいつ握ったって死んでるみたいな温度で気が気じゃなくなるくらい冷たいんだ」
「わたし自身は冷たい自覚ないんですけどね」

降谷さんの手の上に置いてたはずのわたしの手はいつの間にかするりと彼の手の中におさまっていた。

「夢の中じゃなくても、わたしは降谷さんにずっと付いていきますよ」

だからそんな寂しそうな顔はしないでください。わたしの手を握る、降谷さんの手に力が入った。貴方が望むなら、例え命を落としたとしてもうるさく夢に出てやりますよ。そう言ってみれば、おかしそうにくつくつと笑われる。しばらく笑ってから、ふうと息を吐いた。

「ありがとう、生きていてくれて」

握られた手がほどけていく。それから降谷さんはわたしの頭をポンポンと軽く撫でてからナースコールを押した。また来るよ。そう言い残して病室を出て行った。

貴方に会いたくて戻って来たんですよ。そうちゃんと伝えられたらよかったんだろうか。降谷さんが居なくなったらキシキシ痛む身体の感覚が戻ってきたようだった。







走馬灯じゃ満たされない

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