憧憬/降谷零


彼女の言葉はとどかない


東都警察病院から東都水族館への移動中に降谷さんから連絡があった。一時間おきの生存報告が一度途切れていたことを風見さんから聞いていたから、降谷さんが無事だとわかって内心とても落ち着いていた。よかった、あの人はまだちゃんと生きている。浅くなっていた呼吸をゆっくり深くすることでもっと落ち着こうと試みる。焦ってはダメ。すぐに焦るのはわたしの悪いところだ。ふと視線を感じて横目で見れば、隣りに座るキュラソーがぼうっとわたしの方を見ていた。

「なにか?」
「……いいえ、何も」

公安で引き受けてから、宙を見ているだけで何の反応も示さなかったキュラソーが何かに反応したのはそれくらいだった。今のキュラソーはわたしたちが公安の人間だと言うことを病院で聞いただけで以前一戦交えたことは忘れてる。風見さんが電話をしていた相手が誰なのかなんてわからないはずなのに、何に反応したんだろう。やっぱりこの記憶喪失はフリなのか。風見さんは降谷さんからの観覧車に乗れ、という指示に一体どういうことだとブツブツ文句を言っていた。たしかにどういうことなのかはわからないけれど、降谷さんからの指示だから従わない訳にはいかない。

「あの観覧車で発作を起こしたらしいじゃないですか。もう一回発作でも起こしたら思い出すってことなんじゃないでしょうか」
「また搬送されるってオチか」
「ふりだしに戻るか、進めるかやってみなくちゃわからないですよ」

いつの間にか外は薄暗くなっていた。警察庁の廊下で、確かに狙って撃ったのに掠っていくだけだった光景がふと浮かぶ。またあの時のような夜がやって来る。


*


「主要ポイントへの配置完了しています」
「ああ。応援部隊もそれぞれ加勢するよう指示を出しておいた」

組織がキュラソー奪還で目の前に現れるのはおそらく地上。また、狙撃できそうな位置にあるアトラクションや建物のあたりにも警備の部下を派遣している。わたしは風見さんと共にキュラソーを観覧車に乗せる役目だった。わたしはもしキュラソーが観覧車内で記憶を取り戻して暴れた時の保険。風見さんが制圧しきれなかった場合、わたしがキュラソーを仕留める。この前は動きを留めようとしてあの程度だった。ならば、息の根を止めようとするくらいでやっと留められるのかもしれない。それでも観覧車という狭い空間の中じゃあのスピードは活かしきれないはず。……いや、予測に頼るばかりもいけないな。目の前の情報からその場で判断しないと足元を掬われちゃう。観覧車のゴンドラが止まり、わたしとキュラソーが先に入って後を追うように風見さんも乗り込んで来た。キュラソーの左手にかけていた手錠をゴンドラの手すりに繋ぎ直して、わたしはキュラソーの右隣りに座る。それから風見さんがキュラソーの向かいに座った。ホルスターから拳銃を抜いて、キュラソーへ銃口を向ける。二つの銃口を突き付けられたキュラソーは居心地悪そうに目を伏せた。

「貴様、本当にオレたちのことを覚えていないのか?」
「ええ……」
「まあいいさ。記憶が戻ったら思う存分痛めつけて、ノックリストの隠し場所…組織の情報を洗いざらい吐かせてやる」

この図だけみたら風見さんのが悪の組織のようにみえる。まあ、わたしも同じことを思っているわけだけども。この位置はキュラソーの右半身から撃てる。もしも風見さんにキュラソーが何か仕掛けてきたらその右腕を撃ち抜いてやるんだから。ゆっくりと登っていく観覧車の中で、何度も撃つ姿をシュミレーションしながらその時を待つ。

*

「キュラソーをゴンドラに確認。同乗者は公安が…おそらく2名よ」
『おそらくとはどういうことだベルモット』
「キュラソーと向かいにいる公安の男は見えるけど、キュラソーの奥に一人いるようにも見える。彼女に隠れてるくらいだから体格は良くないわね。たしか警察病院で女刑事がいたって話だけど、それかしら」
『女か。別に問題ねえ』
「頂上に到達するには約十分ってところね」
『十分か……ほかの公安どもは?』
「各セクションに数名ずつ張り付いてるようだけど計画に支障はないんじゃない?」
『では、計画通りお前の合図で結構する』
「了解」

*

沈黙の続くゴンドラの外では楽し気な音に混ざって、ドンっと大きな音が響き渡っていた。花火だ。こんな仕事中じゃなけば最高に綺麗だったんだろう。キュラソー越しに見えた花火は暗いゴンドラ内を明るく照らしていた。すこし花火に気を取られている様子だけど、決定的な影響はなかったらしく彼女はぼうっとゴンドラの外を眺めているだけ。

「どういうことだ…さっきの花火じゃなかったとすると降谷さんからの情報は間違いだったってことに…」
「まだ頂上までほんの少しありますよ。頂上で発作が出たって言うんですし、まだ、」

「うああああああ!」

突然キュラソーが頭を抱えて叫び出す。花火の終わったタイミング。何がきっかけなのかはわからないけれど、キュラソーは確かに発作のように頭を抱えて苦しんでいる。「落ち着くんだ!」風見さんが無理やり座らせようとキュラソーを押さえつける。わたしはキュラソーに向けた拳銃を構え直した。もうすぐ、来る。

「吉川、離すなよ」
「わかってます」
「いま救急車を呼んでやるから、待ってろ」

風見さんがスマホを取り出して耳に当てたその時だった。ひくい声がゴンドラ内に響き渡る。

「その必要はない」

きた。引き金を引くも、狙った先に的は無かった。その場で座って苦しんでいたキュラソーは飛び跳ね風見さんの首を両足で締め上げていた。「風見さん!」キュラソーを狙おうにもわたしの方へ風見さんを向けるために彼女を狙えない。何とか狙える位置に潜りこもうと踏み込んだところで、締め上げた風見さんをそのままわたしへ向けて振り投げた。勢いよく飛んでくる風見さんもろともゴンドラの壁へと叩きつけられる。

「っ……!」

背中から勢いよく叩きつけられて、鋭い痛みが襲ってくる。揺れるゴンドラのせいでわたしの上でのびている風見さんをどかすのもままならない。何とか少しどかせたけれど、意識を失っている人間は想像以上に重い。キュラソーはわたしに目もくれず、手錠を外そうとこちらに背を向けた。風見さんを完全にどかすのは後にして、風見さんの下敷きになりながらキュラソーに片手で持った拳銃を向ける。発砲した瞬間、振り向いたキュラソーの瞳孔が開いた色素の薄い瞳と目が合った。片手撃ちで軌道がぶれたのか、奴の瞬発力の良さなのか、耳の端を持って行くだけしかできなかった。風見さんを転がすようにして何とか下敷きから脱する。真顔で血の滴る耳を押さえるキュラソーは、足元に転がった風見さんの拳銃を拾った。そして、風見さんへ銃口を向ける。

「その銃を捨てろ」
「……」
「応じなければその男を撃つ」
「……」

完全に分が悪いのはこっちだった。下敷きからは脱出できても体制は崩れたまま。尻餅をついたままのような姿勢のままじゃ、風見さんを撃たれてすぐにわたしも撃たれて終わりだ。でも、ここで捨てたらどのみちやられるだけだ。

「捨てなさい」
「いやだ、って言ったら?」

目の前に横たわる風見さんを両足で蹴り飛ばすと同時にキュラソーへ発砲した。向こうも同時に撃った弾は風見さんに当たることなくわたしの太ももを掠る。わたしの弾はキュラソーの肩を掠っただけみたいで、手錠の外れたキュラソーの手がわたしの首元へ伸びていた。ぎちぎちと締められる首を自由にしたいのにもがけばもがくほど首がしまっていく、わたしに手をかけているキュラソーの表情は初めて見る表情だった。なんでそんな顔してんの、あんたのほうがこの日本じゃ悪者なのよ。寂しげな表情でキュラソーが何か呟いているけれど、ちいさな言葉はうまく聞き取れなくて、遠くなっていく意識の中で掴み取ろうとしてもちゃんと拾うことはできなかった。


「どうして、貴女は守ろうとするの?」





彼女の言葉はとどかない

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