憧憬/降谷零


自ら守るわたしの居場所


東都警察病院に到着し、部下を二人見送る。それぞれを各階の逃走ルートの確認に送り出してから、わたしは病院の受付に向かった。

「先ほど入院手続きを行った記憶喪失の女性の面会希望なのですが」

キュラソーの写真を受付に差し出すと、受付の女性は小さく あっと声を漏らした。

「大変申し訳ございません。その方は現在面会謝絶となっております」
「……上の方に伝えて頂けますか。公安の者が捜査のための面会を求めていると」
「わ、わかりました!少々お待ちください!」

警察手帳を提示して上に掛け合うよう伝えると、女性は慌てて裏に駆けて行く。スマートフォンに部下の一人から連絡が入った。1階から4階の逃走ルートの把握が終了。警備はいなかったそう。となると、その上の階になるわけだけど……もう一人の部下からの連絡が遅い。ただのルートと警備の有無を確認するだけなのに全く連絡がない。受付に戻ってきた女性は上司を連れてきたのか、やや年配の女性と戻ってきた。面会の許可が下りたと焦りながら言う女性にお礼を言うと、ややほっとしたようだった。さっき連絡してきた部下が受付まで戻ってきていた。もう一人に遭遇しなかったか尋ねてみても、良い答えはもらえず嫌な予感がした。面倒なことになったかもしれない。

「風見さんが来たらこの階までに案内してください。怪しそうな者は通さないように」

スマートフォンに打ち込んだ、キュラソーの病室番号を見せると男は頷いた。もう一人の部下はおそらく捜査一課ともめているに違いない。部下の番号を鳴らすと、3回ほどコールが鳴ったところで電話が通じた。

『はい』
「今向かっています。捜査一課の方はそこにいますか」
『はい』
「ちゃんと説明をすると伝えてください。我々にも面会許可は下りています」
『了解しました』

予想は当たったらしい。捜査一課のどこまでがキュラソーの元にいるんだろうか。わたしがこの前会ったのは目暮警部と高木さん。それからあそこに所属しているのは……。エレベーターが目的の階について、ゆっくりと開いていく。扉が開いたその先には驚いた顔をしたある人が立っていた。


*

「……吉川、だよな?」
「久しぶりだね、千葉くん」

そこに立っていたのは警察学校時代の同期だった。驚きを隠さずに立っている彼はわたしの案内に送られたのかもしれない。同期とは言っても深く話した間柄ではなかったし、警察学校卒業後は一度も接触したことはなかった。わたしは同期の配属先は全て把握しているけれど、向こうは知らなかったんだろう。

「配属先は公安だったのか?」
「うん。千葉くんは今は捜査一課だったね」
「ああ……」

通してもらえるかな。わたしの言葉に千葉くんは複雑そうな表情をしながら横にずれた。わたしの一歩後ろを千葉くんがついてくる。

「なんで公安がこんなところにいるんだ」
「仕事だよ」
「だから、どうしてこの病院で仕事なんて、」
「これから説明しにいくよ。ここの責任者は目暮警部でしょう?目暮警部にはこの前会ったし、こちらから依頼するだけ」

手柄を横取りしようとか、そういうつもりは微塵もない。そういうと、横に並んだ千葉くんが眉をひそめた。刑事課と公安はいがみ合っているといわれている。こちらとしては何とも思っていない。けれど、それを向こうも同じように思っているわけじゃないから難しい。エレベーターを降りたまま真っ直ぐに進むと、ロビーに出た。部下の一人が捜査一課の三名に囲まれるようにして立っていた。拘束されているわけではなかったけど、きっとさっきの千葉くんみたいにどうしてここを探っているのかと詰問されていたのかもしれない。

「遅くなってしまい申し訳ありません。うちの者がご迷惑をおかけしたようで」
「君は……!」
「あれ、安室さんの彼女さんがどうしてここに?!」
「警部に高木君、知ってるの?」
「あーっ!ストーカーの姉ちゃん!」
「なんでいるのー?!」
「ダメですよ元太くん!ストーカーの称号は消し去る約束したじゃないですか〜!」
「でもよー、あの時のジュース、犯人捕まえるのに使って一口も飲んでねーじゃんか!」

各々の反応に思わず後ずさりしそうになる。後ろで千葉くんが ストーカーって…と不審そうな声を上げていた。何であの子供たちがここにいるの、と千葉くんに問い詰めるように聞けば「あの女性の知り合いなんだ」とキュラソーに視線を送った。困ったように眉を下げる彼女は昨日の挑発的な表情はどこかに落としてきたような様子だった。記憶喪失というのは本当みたい。さて、どれから片づけるか。ひとまず部下に下へ降りるよう指示を出した。

「待ちなさい。我々は彼に何をしているか訊ねたんだ」

目暮警部の言葉に部下は一瞬ひるんで足を止めた。けれど、いつまでもここに置いておいても意味はない。部下と言えど年上であるし余計ないざこざは仕事の妨げになるから、あまり命令口調にならないように気を使っていた。でもそうも言っていられない。「下がりなさい」なるべく低い声で伝えると、部下の男は慌てて駆けだした。

「それは後ほど説明させてください。ここでして良い話ではありません」
「あなたは確か、米花町にある出版社の記者だったはずでしょう?この前、少年探偵団と一緒に取り調べを受けた時の調書にもそう書いていたはずです!」
「ちゃんとしたご挨拶が遅れて申し訳ないです。あれはフェイク……わたしは警察庁警備局警備企画課所属の吉川紗希乃といいます」

任務中だったため偽名を使いました。と説明すると目暮警部の表情が険しくなる。

「じゃあ何かね、あの事件の捜査権を公安に移したのは君か!」
「その通りです。先日はご協力ありがとうございました」
「我々は茶番に付き合わされたというわけか」
「いえ。あれはとても重要な作業でした。とても感謝しております」

あのワンクッションがなければコナンくんに降谷さんの所属がばれてベルモットに気付かれるところだった。まあ、今現在はそれがなくても疑われて追われているけれど。

「君たちは何のためにこの病院にいるんだ?」
「……その子供たちが席を外してから話をしましょうか」

これは遊びではありません。子供からしたらキツイ言い回しだったのかもしれない、3人がそれぞれ反抗するように騒ぎ出した。

「なんだよ、ストーカーってまた言ったからそんなこと言うのかよ!」
「だからストーカーじゃないって何度言えばわかるのかなあ〜〜」
「だってお姉さんのこと怒らせるようなことした覚え、歩美たちないもん!思いつくとしたらストーカーさんって呼んでることだけだもん!」
「怒ってないからその単語出すのやめようか皆」
「怒ってないって言いますけど怒ってるような顔してますよ!」

怒ってると言われて、後ろから隣りに移動していた千葉くんに、怒ってるように見える?と聞いたら「ま、まあ……」と言葉を濁された。ふうん、そっか。そんなつもりはないけれど、座ったまま周りをおどおど見渡しているキュラソーが視界に入ると胸の奥が冷えていくような気分になった。今ならこの女を……、

「失礼します」

我に返ると、後ろに風見さんとその部下2名が立っていた。

「吉川、何してる」
「遅いですよ。この階から下は把握済みです。……まあ、必要なさそうですが」

目線でキュラソーを指すと、風見さんが眉をひそめた。前に出る風見さんの一歩後ろに下がる。隣りにいた千葉くんは目暮警部の後ろの方へと移動していた。

「公安の風見です。ここの責任者は目暮警部と聞きましたが……」
「いかにも私が目暮だが」
「そちらの女性を速やかに引き渡して頂きたい」
「なぜかね?こちらにも捜査の権利はあるはずだが」
「その女性は警察庁に侵入した被疑者だ。その目的を聴取しなければならないんですよ」

あなたたちに拒否する権利なんてない、そう言い切る風見さんに捜査一課の皆さんは面白くなさそうだった。申請書のやりとりをするために風見さんが目暮警部を連れて別室へと移動する。遊ぶ時間は終わりだと女性刑事に声をかけられた子供たちはまた不満げな声をあげた。

「紗希乃お姉さん、これからこのお姉さんは紗希乃お姉さんのところに行くの?」
「そうなるわね」
「そっかー…。歩美たちまた会わせてもらえるかな?」
「……どうだろう。良い子だったら、あるかもしれないね」
「ほんと!?」

キュラソーが良い子にしていたらの話だよ。喉から出かかった言葉を飲み込んで、子どもたちににっこりと笑いかける。

「姉ちゃんのこといじめるなよ!」
「約束ですよ!」
「歩美たち良い子にするからね〜!」


高木刑事にエレベーターへと乗せられた子供たちは強制的に下の階へと降りていく。病院着から着替えるために女性刑事に連れられて病室へ戻るキュラソーを見送って、病室の前の壁のそばで待つことにした。

「警察庁に侵入者がいたっていう噂は本当だったんだな」
「余計な探り、いれてないでしょうね」
「探らせないようにしてるのは警察庁の方だろ」

千葉くんは何か情報を仕入れようとしているのか色々と話しかけてきた。そこへ子供たちを誘導していた高木刑事が戻ってくる。

「さっきから思ってたんだけど、二人は知り合いか何か……?」
「オレの警察学校時代の同期っスよ」
「ど、同期?!」
「まさか公安になってるとは……いや、成績確かによかったけど、しかも"ゼロ"の方なんてね」
「千葉くん」
「あ、ごめん。なに?」
「あの女性……左足と左肩にある傷の深さはどのくらいだった?」
「左足?ああ、軽い裂傷があったらしいね。左肩は柔らかい分、深めだったそうだけど」
「そう。わかったありがとう」
「なんで怪我してるってわかったんだ?足はともかく肩は見えないだろ」
「あれやったのわたしだから」
「は?」
「仕留めるつもりだったのにその程度しか傷つけられなかったってことね」
「……射撃訓練かなり上位じゃなかったっけ?」
「少なくとも千葉くんよりは上だったかな」

大人しそうにしているけれど、中身はそんなことはない。あの細い体にどれくらいの力が備わっているのかいまだ未知数だけど、ノックリストの行方を確実にするにはキュラソーの記憶を取り戻さなくちゃならない。

「なあ、吉川。彼女は何者なんだ……?」
「何者なんだろうね」

記憶を失くした今の彼女は何者だと言えるのだろう。……風見さんが戻ってくるまで黙っていよう。そうしないと答えにならない疑問のせいで余計なことを溢してしまいそうだから。




自ら守るわたしの居場所

←backnext→





- ナノ -