憧憬/降谷零


涙はいつかにとっておく


沈んだ車両は見つかったものの、目当ての女は見当たらなかった。沈んで息絶えたか、どうにかして生き延びているか……。降谷さんが戻ってきてからの会議であの女の動きを考えれば後者の線が高いと意見がまとまった。また、これまでに集めた情報からあの女は組織のNO.2であるラムの腹心・キュラソーだと判明。これからは降谷さんを筆頭にキュラソーの捜索およびノックリストの回収を目標に動くことになる。

「どこまでの情報がキュラソーに渡って、組織に漏れているかが不明だ。俺の情報が漏れているならすぐに組織の誰かが送られてくるだろうが……」
「護衛をつけましょう、降谷さん!」
「駄目だ。もしも運よく漏れていなかった場合、逆に怪しまれるぞ。これからしばらくはここに寄らずに単独でキュラソーを追う。万が一のことを考えてスマホのデータは全て消す。風見と吉川の番号は覚えているから、連絡がある場合どちらかにかける。仕事用のスマホは絶対に離すなよ。いいな?」
「はい」
「わかりました」

定時連絡は一時間に一回、生存確認として降谷さんから風見さんへメールが届く。「1時間以上空いたら覚悟しろ」淡々と出されていく指示に息を呑んだ。通話は降谷さんからかけてきた場合ではないと不可。こちらから報告がある場合はメールを入れて降谷さんからかかってくるのを待つことになった。夜が明けて人々が動き始める頃、動き出す前に話をしてくると会議室を出て行った局長や降谷さんを見送れば、会議室は沈黙に包まれた。

「泣くなよ」
「泣きませんよ」

部下もいる手前、泣いてたまるもんか。それに生憎だけどすぐに泣けるほど可愛い性格はしてなかった。

「うちの班で湾岸近辺を洗ってみます。逃げられたとしてもまだ遠くへは行っていないはずですし。降谷さんからの連絡が合ったらわたしにもお願いします」
「会わずに行くのか」
「ええ。早くに見つけられるに越したことはありませんからね。それに―……」

これが最後だなんて思いたくない。口から出そうになった言葉を飲み込んで、風見さんをちらりと見たら「吉川が良いならいいんだ」と面白くなさそうに言う。

「後悔するなよ」
「しないためにあの女を捕まえにいくんでしょう?」
「当然だ」
「それじゃ、お気をつけて」
「そっちもな」

車を回すよう部下に指示を出し、会議室を後にする。他の課と共同で使用している女子ロッカールームに行き、自分のロッカー内の金庫にプライベート用のスマートフォンと財布と自宅の鍵を入れた。ジャケット内にあるホルスターにしまった銃をひと撫でしてから、深呼吸をする。ロッカーを出て思わずぎょっとする。扉を開けてすぐの所に壁へもたれるように立つ降谷さんがいた。

「ふるや、さん」
「挨拶も無しに出てくなんてあんまりだな、と思ってさ」
「す、すみません……!だって、なんだか、」
「最後みたいだから、か?」
「……」
「最後にするつもりなんかないぞ」
「当たり前ですよ!これが最後なんてイヤです」

いつだって覚悟しているんだ。今日この日が降谷さんの命日になりかねない。それくらい危険なところへ一人潜入しているのだから。けれどノックリストを奪われ、まるでお通夜のように沈む周囲に染められて、嫌な方へ思考が進んでしまう。最後なんて嫌。これから先もこの人についていくの。その思いに陰が差す。自分の命に危険が及ぶかもしれないはずなのに降谷さんは普通だった。いや、あえて普通に見せるようにしているのかもしれない。

「お前はいつも泣かないんだよな」
「素直に泣けないようなやつでごめんなさい」
「いいんだ。むしろ、その方が安心して行ける」

泣いてるんじゃないかと思ったら、心配でたまらないから。くしゃりと笑う降谷さんが見ていられなくて思わず俯いてしまう。わかってるとでも言っているように、降谷さんに頭をポンと撫でられる。やっぱり涙は出ないけど、小さく震える両手を誤魔化すようにゆっくり開いてからそれぞれ握りしめた。

「絶対にこれが最後になんて、しません」
「ああ、信じてるよ」

わたしも信じています。貴方も、仲間も、これからの日本も。


*

マスコミに報道規制を敷いても野次馬は現れる。面白半分に集まる人々の脇を通り抜けた先で行われていた捜索も難航していた。近辺に隠れることのできそうな場所へ部下を派遣して探しているけれど一向に作業は進まない。あっという間に昼を回り始めていて、焦りがわたしだけじゃなく部下からも見えた。風見さんから何も連絡のない今、降谷さんからの連絡は絶えず行われているんだろう。それだけが今の現状の光だった。焦っても仕方がない。近辺にいないなら、何者かの協力を得て隠れている可能性が高い。あの事故の後に綺麗な姿のまま逃げ切れるはずがない。それでも報道規制を敷いたせいで、彼女のその姿と首都高の事故を結びつける人は少ないんだろうな。一般人からキュラソーの目撃情報を得るのは難しいとなるとやっぱり自力で見つけ出さなくてはいけない。湾岸の捜索は中断して首都高の復旧も始めて貰わなくちゃ。捜索部隊へ撤退の指示を出し、風見さんにも連絡を入れようとしたら、同じタイミングで風見さんから電話がきた。

「はい、吉川です」
「キュラソーの居場所が判明した」
「どこです!?」
「水族館だ」
「……水族館って、」
「ああ。お前が今一番近い」
「すぐに向かいます」
「いや、キュラソーはもうすぐそこを出る。捜査一課が居場所を突き止めたらしく、これから東都警察病院に輸送予定だ」

捜査一課というと先日会った目暮警部たちが所属か。すこし面倒なことになったな、と思いつつ風見さんの指示を仰ぐ。なんで大人しく捕まってるんだ。なんて昨日のキュラソーの様子からは考えにくい事態に黙っていると、「あの女は記憶喪失らしい。まったくふざけた話だ」と風見さんが言い捨てた。

「捜査移行の申請書はこれから出す。申請書が受理されるまで先に病院に向かってキュラソーを確認しておいてくれ。それと、もしもキュラソーの記憶喪失がフリだった場合、隙をついて逃走する可能性がある。逃走ルートを洗っておけ」
「了解しました」






涙はいつかにとっておく

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