憧憬/降谷零


夜の帳が引き下ろされた


それはもう突然の報せだった。連日の夜の張り込みのせいで若干ぼやける頭を休ませようと仮眠室で横になっていたわたしは、仮眠室のドアを勢いよく叩く大きな音に起こされた。軽くついた寝癖を括りながら、仮眠室から出ると風見さんが慌てたように立っていた。

「吉川、集合だ!」

着いてから話すと言われ、早歩きで進んでいく風見さんについていく。到着したサーバールームに一番近い会議室の中では風見さんの部下が二人 作業に追われていた。

「降谷さんが捕まえた構成員が吐いた情報によると、今晩決行される」
「今晩って、もうすでに日は暮れ始めてますけど……!」
「ああ。だから叩き起こしたんだろ」
「降谷さんはどこに?」
「直に来る」

拠点は変わらずこの会議室。サーバールームに昼間に仕掛けておいた赤外線センサーが感知したらすぐに駆け付ける。サーバールームはここから5メートルもないから侵入者がサーバーのパスワードを解除している最中に余裕で近づくことは可能だった。

「発砲許可は下りている。ここへ持って来るよう伝えておいた」
「了解です。うちの二人もすぐ呼びます」
「そうしてくれ」

わたしが叩き起こされてから1時間ほど経つ。会議室の照明を消し、ノートパソコン2台の明かりのみで待機していた時だった。「俺だ」と聞きなれた声と一緒に滑り込むように入ってきた降谷さんは、待っていたわたし達を見回してから頷いた。

「遅くなってすまない」
「末端の構成員はあれから何か吐きましたか?」
「幹部がすでに日本に来ているそうだ。新しい情報はそれくらいかな。保護をするのも手間だから すでに処分した」

上には報告済みだと言う降谷さんは長机の上に広げたこの階の見取り図を引き寄せる。

「赤外線の反応後すぐに風見と以下2名はサーバールーム前まで移動し突入しろ。俺は窓側の通路の角で待機する。もしも3人が対象に抜かれた場合、こっちで対応する。吉川は俺と反対の通路……、この会議室のすぐ側の角で待機だ。侵入者が最短の脱出経路を把握しているなら俺の待機している側へと逃げるはず。つまり吉川の方へ対象は背中を向ける。俺と対峙した場合は迷わず撃て」

見取り図で場所を指しながら出される降谷さんの指示に頷く。わたしの二人の部下はエレベーター前と非常階段前にそれぞれ一人ずつ張らせることになった。部下に用意させた拳銃を持ち、弾が装てんされているか確認する。迷わず撃て、と言われても闇雲に撃つわけじゃない。まずは足。それから……、2台のパソコンの間に置いてあるセンサーの親機のランプが灯った。誰かが侵入したらしい。

「随分と早いお出ましだな」

小さく呟かれた降谷さんの声を皮切りに、足音を殺しながらさっきの配置へとつく。風見さんがサーバールーム前で手を小さく挙げた。張りつめていた空気を抜くように、ふっと息を吐く。

「そこまでだ。机から離れて手を上げろ」

突入したのを確認し、顔を少しだけ通路に覗かせる。静かなこのフロアに風見さんの声がよく通る。正面の窓からの月明かりのせいで同じように顔を覗かせた降谷さんの表情は逆光で見えなかった。ただ、小さく頷いてくれたのだけはわかる。「お前たちの動きはお見通しだ」その言葉の後にうめき声が聞こえた。……抜かれるか。ドサっと音がした直後、もの凄いスピードの何者かがサーバールームから飛び出す。すぐに拳銃を構えて発砲するも、凄まじい勢いで走り抜けるそいつの足元を掠めていくだけ。走っているのは女だった。女であのスピードって……!左肩を狙うが、躱されてやっぱり掠めただけだった。角から出てきた降谷さんが女と対峙している。迷わず撃てと言われたけど、このままだと降谷さんごと撃ちかねない。照準を合わせようとしているうちに、降谷さんの拳で女が吹き飛んだ。

「降谷さん大丈夫ですか!」
「ああ……、」

風見さんも無事だったらしくサーバールームから出てきた。三人で無事を確かめるように視線が交わる。改めて銃を女に向けて構えると、女は大袈裟に笑い始めた。窓の月明かりが照らす女の姿はさっきの相貌とは違っていた。黒いウィッグが外れたその下から現れたのは長い銀髪。そして、左右で違う色の瞳。違う目の色をしている組織の幹部って、確か……

「降谷さん!ずれて!」

銃を構え直す風見さんの声に降谷さんが身を捩ると、女は振り返り窓を突き破る様にして飛び降りた。

「待て!!」

割れた窓辺に駆け寄ると、下の道路で女が車を奪おうとしている。ここから発砲するにはあまりにも一般人が多い。降谷さんはすでに女を追って下へ降りているようだった。急いでサーバールームに戻る。中央の端末に表示されていたのはやっぱりノックリスト。パスワードを破られてから何秒経過したかわからないけど、あの女の目に触れたのは確実だった。風見さんは警察庁の前の騒ぎを鎮めるためにわたしの部下に下へ向かうよう指示を出している。わたしは会議室に戻り、パソコンで起動していたGPSアプリを開く。

「……きた!降谷さんのスマホのGPS捕捉できました!!」
「どこにいる?!」
「六本木通りを首都高に向かって進んでます。……首都高入りました。あ、これたぶん料金所ぶっ飛ばしてそうですねこれ」

別のもう一台のパソコンを開く。

「首都高オービスのネットワークに入ってカメラ確認しましょう。降谷さんのGPSだけじゃ状況把握できません。後付けなりますけど閲覧許可は、」
「書類なんて後でいくらでも書く。入れそうか」
「頑張ります。まあでも、あの女が首都高で何かやらかしてるんだとすればこっちをはじいてる暇なんかありませんよ」

局長にスマホで連絡している風見さんの横で、ひたすらキーボードを打ち込む。……通った!数分前の映像から確認すると、あの女の運転する黒のマークUが他車両を追い越して通過した後に降谷さんのRX-7が通過している。やっぱりあの女は首都高に逃げ込んだか……。もっと先に設置されているカメラに切り替えようとしたその時、画面に映りこんだ赤色に思わず声を上げそうになった。局長と通話している風見さんが視線だけわたしに送ってくる。何でもないと首を振れば、風見さんはまた局長の通話に集中し始める。

「(どうして赤井秀一が……!)」

捕まらないように間に入れって言ったのは自分なのにわざわざ降谷さんの前に姿を現すなんて。……いや、奴もノックリストを取り返そうとしている?そうでなければこのタイミングにわざわざ危険を冒す必要なんてない。

「あの女を確認できたか?」
「はい。局長は何て?」
「全力で奪い返せ、と言っていた。それと、カメラの件は気にするな」
「ということは」
「今日起きたことは全てもみ消す」
「了解しました。首都高でカーチェイスが繰り広げられているようですが、渋滞しているのでどこかで決着つくかと思います。ただ、女と降谷さんたちの通過後、後ろに別の渋滞が出来ているので一般人が事故を起こしているかもしれません」
「料金所が破壊されているなら新規は通過できん。後続の車の事故は小規模だろう」
「おそらくは。もうそろそろ降谷さんが渋滞の、って、え、ウソ、」
「どうした」
「降谷さんの動きがおかしいです。逆走してますよこれ」
「なに?!」

さっき見ていたカメラと別地点のカメラの映像を映すと、黒い車が逆走している姿を捉えていた。

「あのクソ女め……!」

警察庁の前の騒ぎを鎮めるために駆り出されていた部下が走って戻ってくる。一先ず落ち着いたことに続いて告げられた報告に頭が痛くなった。

「首都高内で事故が多発している模様です。警視庁の方へ通報が続々と入ってきています」
「……これでもみ消すって言うんですか風見さん?」
「やるしかないだろうが」

降谷さんが逆走している様子も確認し、ひとまず映像を切った。もうこれには用はない。通報が続いているなら警視庁が首都高に到着するころだろうけど、今はどうなってるのか……。降谷さんのGPSが途中で停止していたかと思えばすぐに動き始める。今度は正しい走行方向に進んでいる。

「はい、風見です」
『俺だ』
「女は?!」
『車ごと落ちて沈んだ。あの女がノックリストを組織に送ったかどうかも不明だ』
「……そうですか。局長からは全てもみ消すとの令が出ています」
『ああ。警視庁が向かってきている。粗方落ち着いたら捜査権をこっちに移すよう掛け合おう』
「了解です」
「降谷さん。オービスに全部映ってるのでそっちも押さえるよう手配しますがよろしいですか?」
『そうしてくれ。俺はこのまま高速を降りてから戻る』
「あと―……いえ、いいです」
『どうしたんだ?』
「戻ってきてからで間に合います、申し訳ありません」

赤井には遭遇しましたか?なんてこの場で聞ける話じゃなかった。赤井があの場にいたことを知っているのはおそらく降谷さんとわたし、そしてFBIの人間だけだ。今は赤井を捕まえることよりもノックリストの捜索に当たらなくちゃいけない。とんでもないことになってしまった。明日からの捜索のことを考えると胃がキリキリと痛む。もし、あの女がノックリストをすでに組織に送った後だったらー……

『最悪の場合を考えても仕方ないんだ。だから、今できることをやってくれ』
「はい、降谷さん」
『頼んだぞ』

何が何でもノックリストを、あの女を見つけ出してやる。









夜の帳が引き下ろされた

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