憧憬/降谷零


濃さが増してく灰色未来


警備員が久しぶりだねえ、と挨拶をしてくれる。そう、今日は謹慎明け初日だった。5日はとても長くて、まだかまだかと待ち望んだ今日がやっときた。わたしってばれっきとしたワーカホリックだったのね。なんて思いながら警備企画のフロアに向かえば先輩方が眠そうな顔をパチパチと輝かせた。

「吉川!ひっさしぶりだなお前〜」
「なんだお前若返ったんじゃないか」
「すごいな、年相応に見える!」
「あんたらまとめてセクハラで訴えてやりますからね!」

朝から大きな声で言い返せば先輩方はゲラゲラと笑っている。いじる相手が減ってさぞつまらなかったんでしょうね。デスクで死んだようにひたすらPCに向かってる風見さんの様子を見てそう思う。

「風見さん」
「……ああ、吉川か。久しぶりだな」
「寝てますか?」
「見ての通りだ」
「ご迷惑をおかけしました。今後はもっと働きますので!」

みんなに聞こえるように宣言したら、いろんなデスクから煙草の箱がぽいぽいとんできた。あのー、こないだもらったのだって消費しきれてないし、わたし重たいのあんまり吸わないんですけど。それでも次々飛んでくる箱をキャッチしつつ、はたと気が付く。これ、わたしがいつも吸ってる銘柄じゃない?

「これって!」
「間違えて買ったんだ」
「いつも買う店の煙草の番号が変わってただけだよ」
「商店街の福引きで当てた」

それぞれの理由が適当すぎる。それでも、みんなからの気持ちが嬉しくて緩む頬をおさえきれずにいたら、「アホ面」と罵りながら風見さんがビニール袋をわたしのデスクに押し出してきた。袋を覗けば、期間限定と書いてあるチョコやクッキーの包みが中にいっぱい入ってる。

「風見さん……!」
「さっさとしまって仕事始めろ。お前がいない分こっちに全部回ってきてるんだ」
「へへ、ありがとうございました」

目は合わないけれど、きっと伝わっているはず。というわけで、溜まりに溜まった仕事に手を付け始める。5日分の休みのパワーはそりゃあもう大きくて、ふと気がつけばもうすぐ昼休憩になるところだった。昼でも食べに行くかと財布に手をのばしたところで、ふとプライベート用のスマホを手に取った。勤務中は基本的にこれを使うことはない。けれど、何の気なしにサイレントモードを解除したらコナンくんからの不在着信が来ていた。……一体何だろう。廊下を歩きながら通話をする。

「もしもし、コナンくん?」
『紗希乃さん!やっと繋がった!』
「一体どうしたの?」
『そっか、もう謹慎終わったんだね』
「まあね。それで?何か急ぎの用事?」
『あのさ、安室さんの周りで何か変わったことって起きてない?』
「警戒するようなことは特には」
『じゃあ、警戒しなくてもいい程度のことはあったんだね』
「……また何かに首を突っ込もうとしてるの、コナンくん」
『紗希乃さんは安室さんが誰かにストーカーされてることは知ってるんだよね?』
「ストーカーってほどのものでもないって聞いたけどねぇ」

コナンくんが何を言いたいのかがやっとわかった。最近降谷さんのまわりをウロウロしている男のことをどうにかしようとしているみたい。謹慎も半ばが過ぎた頃、降谷さんから電話で素人くさい男に尾行されたことを教えてくれた。どうにも組織は関係なさそうな人間だったそうで、もちろん公安から何か派遣している様子もない。わたしがポアロに行った翌日のことだったから、もしやわたしが関係するのではと心配してくれたらしい。ストーカーだと言われることはあってもストーカーの心配をされたことがなかったから 何だか新鮮ですね、と言えば降谷さんに呆れられた。心配は有難かったけど、翌日も米花町をぶらついていても特に何もなかった。降谷さんに関係はあってもわたしには関係のない件のような気がする。

「何をされたわけじゃないんだから泳がせとけばいいのよ」
『何かあってからじゃ遅いんだよ?』
「素人相手に負けないわよ、降谷さんは」

君がどうにかされる可能性の方が大きいんだから大人しくしててよ、と窘めるとコナンくんは不服そうな声をあげる。目の前の事件をすべて解決しないと気が済まないようで、深追いはしないこと、と伝えても歯切れの悪い返事しかくれなかった。


*

今すぐに登庁するよう連絡が来たのは夜中の三時だった。寝起きでふわふわとしている頭を急いで切り替えて、局長の声をしっかりと頭に叩き込んだ。迎えは30分後に近くの電話BOX前。それから第二会議室。ベッドから飛び起きてクローゼットからスーツを掴む。近くの電話BOXまでは徒歩10分。走ればすぐだ。ストッキングを履いてる時間はないから、パンツスーツを履いてパンプス用の靴下をひっかけた。化粧なんてしてる時間もない。鍵を持ち、財布をバッグに投げ入れて家を飛び出る。鍵をかけて、急いでエレベーターに飛び乗った。目的の場所に到着したら、別な班の部下が車で待っていた。コンコン、と窓をノックすると1センチほど空いた窓に向かって「第二会議室」と伝える。ガチャリと車のドアが開錠されたのを確認して助手席へと乗り込んだ。

「お疲れ様です」
「お疲れ様です。場所は?」
「第一会議室です」
「了解です。ありがとうございます」

緊急事態であることは知っているだろうけど、詳細は公安部まで降りていないはず。緊張した面持ちで運転している男はきっと わたしを迎えに行くように確認用の単語だけを教えられて来たに違いない。やっぱり車は買うべきかなあ。今度検討してみよう。

*

呼び出されたメンバーを見て、確実だったのはあの組織関連だということだった。それでも降谷さんがここにいない。まさか、あの人に何か……。

「集まったな。降谷は後で来る」

ほっと胸をなでおろしたのはわたしだけではなかった。隣りにいた風見さんもさっきより少しだけ肩が下がっている。

「警察庁のサーバーが攻撃された」
「組織の犯行ですね?」
「おそらくな。侵入は防げたが奴らが探している情報の種類から推測すると再び侵入してくる可能性が高いだろう。それもサーバーに侵入じゃなく、この警察庁自体にな」
「奴らがそこまでして我々から手に入れたい情報とは……」
「ノックリストだよ」

息を切らしながらやってきた降谷さんが記録媒体の入った小さなプラスチックケースを局長に差し出した。

「現在判明している サイバー攻撃に加担した組織の末端構成員の情報です」
「ご苦労。イギリス辺りからの攻撃だったようだが、」
「ロンドン郊外で構成員の集会があったそうで。おそらくそれは今回の件に関することでしょうね」
「そこに参加していた幹部はわかったか?」
「残念ながらそこまでは……まあ、でも誰が絡んでいそうかぐらいはわかりますよ」
「なら話ははやい。すぐに警備の配置を考えて報告してくれ」
「範囲はもちろん……」
「極力最小限に努めろ」
「了解しました」

会議室から出て行く局長を立ち上がって見送る。閉まった扉の音を合図に、皆が一斉に椅子に崩れ落ちるように座り込んだ。

「ハア。……吉川、なにで来た?」
「局長が迎えを下さいました」
「そうか」

ネクタイに手をかけて緩めながら、降谷さんが自分のスマートフォンをいじっている。この後の予定を確認しているようで面倒臭そうに険しい顔をしている。

「ベルモットから俺がジンに目をつけられていると連絡が入った」
「ノックだと疑っていると?」
「そういうことだ。俺がどこへ属していて組織で何を探っているのかはわかっていないようだが」

その連絡からの今日の出来事。組織のどの幹部が関わっているかなんて明白だった。警察庁のサーバーなんて機密事項の宝庫だし、簡単に侵入はできない。

「降谷さん、奴らは本当に侵入までするのでしょうか」
「やりかねん。ベルモットがどういうつもりで俺に教えたのか知らないが……」
「もし降谷さんが別の顔を持っていたとしても公安だとは思っていない、とか?」
「その線はあるかもしれない。侵入するならベルモットが変装をするのが手っ取り早い。奴がここへ侵入するならばわざわざ警備を厚くするような下手は踏まないはず」

降谷さんの予測だとベルモットは現在日本にいる。ベルモット本人が侵入しないとしてもベルモットが変装を施した組織の人間がここにやってくる可能性が大きい。

「この一件は主な指示を俺が出す。次いで風見、そして吉川だ」

基本的には警察庁内であっても互いの仕事内容を公言することはできない。警備勤務の人数を増やすのも手だけど今回ばかりは外から拾ってくるわけにもいかない内容だ。機密情報が盗まれそうになっているなんて漏れたら大変なことになる。

「警備勤務は常態同様。それとは別に俺たちで警備する。……そうだな、俺と風見、俺と吉川のペアで回すとしてそれぞれ二人ずつ付く配置が理想だ。お前らの班から二人ずつ出せるか」
「はい」
「もちろんです」
「ですが、降谷さんはあまり入れないのでは…」
「何とかする。昼間はサーバールームに常に人がいるから警備自体は夜だしな。探偵とポアロの方はどうとでもなるよ」

絶対に奴らに情報を渡してはならない。神妙な顔で呟いた降谷さんに頷いて返す。カチカチ音を鳴らす時計の存在にふと気がついて、思わず視線を時計に送ってしまった。

「もう6時を回るな……」
「す、すみません」
「どうせ眠いんだろう、吉川」
「なんでそんなわたしの認識が常に眠い奴になってるんですか」
「これまでのお前の行動を思い返してみたらどうかな」
「ごめんなさい……!」

でも本当に眠いわけじゃないんです、と反論するけど「はいはい」と流されてしまった。

「誰を出すかは早めに決めてくれ。可能なら10時に警備課に呼び出せ。打ち合わせしよう」
「了解です。降谷さんはこれからどうされますか」
「局長の所に一度顔を出す。風見はどうする」
「慌てて出てきたもので一度帰宅してきます。……なんだ吉川その目は」
「いえ。車あると余裕だなあって思っただけですよー」
「お前も買えばいいだろ」
「維持費がかさむのが嫌ですね。わたしは仮眠室で休んでおきますのでお構いなくー」

会議室の前で一旦別れ、警備企画課までやってくるとまだ誰も出勤していないそこで椅子にだらしなく座った。確かに眠いのは眠いけど、それよりも気がかりなのは組織のことだった。ノックリストを所持してるのなんて日本警察に限った話じゃない。世界各国の最高機関は情報の数はともかくあらゆる組織へのノックを掴んでいるはず。それの情報を奪う対象に我々日本を選んだということは、

「(盗れる相手だと思われてるってことか……)」

悔しい。あんな奴らにそう認識されてるのはもちろんだけど、ついこの前の赤井を捕獲しようとしていた時の失敗が頭をよぎった。もう失敗はできない。守らなければ。情報を、日本を、

「吉川」
「ふぁいっ?!」
「なんて顔してるんだよお前は」
「ふふやはん、へ、ははひてふらはい!」

後ろから伸びてきた手はわたしの両頬をびよんびよん引っ張っていく。「よく伸びる頬だな」わたしもそう思います、痛くないのにめちゃくちゃ伸びてる…こわ……。最後に勢いよく引っ張られてから、ぱっと手を離された。流石にこれは痛い。

「色々考えすぎだな。そういう顔してる」
「悔しいことばかりでどう見返してやろうかって考えちゃいます」
「悔しがるだけで終わらない所がお前の長所だよ」
「ありがとうございます……?」
「なんで疑問形なんだ」
「ただの負けず嫌いだなって言われるかと」
「物は言いようだろう」
「そうですけど」

降谷さんがいつも使っていない自分のデスクの椅子を引っ張って来たかと思えばわたしの隣りにどかりと座った。

「大丈夫だ。奴らに情報は絶対に渡さない。……万が一に向こうの手に渡ることがあっても死んでも取り返すさ」
「……絶対死んだりしないでくださいよ」
「はは、わかってるよ」

おかしそうに笑って、頭をぐしゃぐしゃに撫でてくる降谷さんの手を掴もうとしても腕の長さじゃ勝てなかった。諦めてされるがままにしてると、散々かき回して満足したのか降谷さんの手が離れてく。デスクの引き出しに入れてある鏡を取り出して見てみれば、見事に鳥の巣が出来ていた。このやろう、と声に出さずに隣りを睨めば降谷さんは腹を抱えて笑っている。仕方ないから手櫛でささっと直してたら、降谷さんがわたしの隣りに並ぶようにして鏡を覗き込みはじめた。

「そういや今日眉毛うすいな」
「いーかげん怒りますよ!!」





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