憧憬/降谷零


やさしく触れる貴方の手


『んふふ。時間があるってコナンくんから聞いてるの。お迎えに行くから米花駅まできてね』
「あの、有希子さん?」
『あっ、もしや彼と約束あった?!それなら別な日でもいいわよ〜』
「いや……ないですけど」
『じゃあ決まりね!一緒におでかけしましょう!』

昨日、工藤邸でコナンくんになら手を貸してもいいと言ったところコナンくんのみならず有希子さんとも連絡先を交換することになった。そして一夜明けてからのこの電話だ。おでかけって。というか昨日もなぜかきゃあきゃあ言われたけど、有希子さんがどうしてそんなにわたしに構ってくるのか不思議でしょうがない。

「哀ちゃん……!」
「あら、居ちゃ悪い?」
「悪くない、悪くないよ!」

迎えに来た有希子さんの車の後部座席に座っていたのは、いつの日か公園で会った哀ちゃんだった。

「江戸川くんに聞いたわ」
「……何をどこまで?」
「あなたの職場と毛利探偵の弟子との関係」
「前から思っていたんだけど、コナンくんと哀ちゃんって他の子と全然ちがうよね」

やっぱり子供じゃないみたい。わたしの口から洩れたそれに哀ちゃんはくだらなさそうに笑っている。

「だって子供じゃないもの」

それはどういう意味で言っているんだろうか。探れるなら探ってみなさい、とでも言うような表情に溜息をつく。少なくともこの子やコナンくんはわたしたち公安の敵ではない。急いで正体を突き止める必要は今のところないから、下手にがっついて線引きされても後々困ることになりそう。不敵に笑う哀ちゃんに、にっこり笑い返せば「秘密があるのはお互い様ね」と言われた。秘密って言ってもわたしの場合は半分ばれてますけどね。

*

「すっごく眠い……」
「慢性的な睡眠不足ね」
「ちゃんと寝なくちゃダメよ紗希乃ちゃん。面倒なお仕事は男どもに任せてさっさと帰るのよ」
「それができるほど権力ないんですって〜まだまだ下っ端なんですからわたし」

意識が持って行かれそうになってる。程よく温かくてふわふわと気持ちいい。有希子さんがわたしと哀ちゃんを連れてきたのは芸能人がよく利用してるという噂の美容施設だった。体の至る所をマッサージされて、今度は汗を流そうと岩盤浴になんて入っている。想像していた大衆的な所とは全然違う設備のここはさぞ良いお値段がするんだろうな。……カード持ってきておいてよかった。こんな所通うなんてさすが大女優。三人でそれぞれ石の上に横になっている。ほんとに気持ちよくて落っこちそうになるけど有希子さんが声をかけてくるので無下にはできない。

「それで、彼とはどうなの〜」
「どうってただの上司と部下ですって」
「ただの部下はストーカーしないんじゃないかしら」
「だからね、ストーカーじゃないの!」

あんなにたくさん写真持ち歩いてたじゃない。という哀ちゃんの言葉に有希子さんがぐいぐい食いついた。わたしが降谷さんの写真を大量に持ち歩いているという話を聞いた有希子さんはニヤニヤ笑っている。

「ほーら紗希乃ちゃん、もう言い逃れはできないぞ〜」
「あれは一種のお守りみたいなものですよ」
「あんな大量の写真が?」
「……あんな大量の写真が!」

そういうことにしておいてあげる。なんて哀ちゃんはどうしてこうも余裕をもってるのかしら。小学一年生じゃないの。

「好きな人の写真を持ち歩くのってよくある話だものねぇ」
「それにしては量が多かったけれど」
「あーもー!変な性格でごめんなさいね!でも、あれはそういう意味で持っていたんじゃないんですよっ」
「じゃあどういう意味なの?」
「……予防線」
「予防線って?」
「ただの憧れであって、それ以上の感情ではないって思いこむためのアイテムだったってことです」
「……『憧れは愛になんて成り得ない』って言ってたのってそういうことね。正確には成り得ないじゃなくて、成り得ちゃ困るって感じみたいだけど」
「そうなの困るの。絶対に今のあの人には邪魔だし、仕事上厄介なことになるのなんて目に見えてる」
「ううーん。好きなら好きで飛び込んじゃえばいいじゃない!」
「そういえば有希子さんって人気絶頂の最中に工藤さんと結婚しましたよね」
「ええ!だって、好きなものは好きなんだもん」

「紗希乃ちゃんはちゃんと彼のこと好きなんでしょう?」

やっぱり素直になれない意地っ張りのわたしは唸っているだけで否定も肯定もすることができなかった。

*

あれから有希子さんと哀ちゃんのショッピングに連れ回されて、色んな服に着せ替えされてメイクも変えた。ぽんぽんお金を出してくるなんて金持ちすごい……と震えてると「紗希乃ちゃんだって公務員じゃない〜」と軽く笑われた。将来のために貯めなくちゃ、と言えば「相手も公務員なんだから貴女が貯めるんじゃなくて相手に貯めさせなさいよ」とフサエブランドのバッグを手にした哀ちゃんにまで言われる始末。いや…なんていうかもう否定する気もおきない。

「ちょっと変えるだけで雰囲気変わるんだから色々がんばるのよ紗希乃ちゃん」
「わかってはいます。わかってはいるんです……!」
「仕事以外も手を抜かずに頑張れってことね」
「善処します……」

駅で降ろしてもらって喫煙所に寄った。端の方で煙草を咥えて煙を吸う。そこまで煙の出ない種類だけど、買ったばかりの服に匂いがつくのが何となく嫌になって一本だけ吸って後にした。口紅を塗りなおそうと化粧室に入って自分の顔をまじまじと見れば、確かに劇的に変わったわけじゃないけど普段より雰囲気が大人びて見える。……降谷さん、何て思うかな。何も気づかないなんてことは無いと思うけど。むくむくと膨れ上がる好奇心に流されるまま足を運ぶ先はもちろんあそこ。今日はバイトだったのかどうかわからないけど、居てくれたらいいな。夕方でまだ混みあっていなさそうなポアロの扉をそろりと開く。

「いらっしゃいまー……せ、」
「お疲れさまです、安室さん」

こんな顔をしてる降谷さんを見るのっていつ振りだろ。ポカン、といつものポーカーフェイスをどこかに落として来た様子の降谷さんはメニューを手にしたまま立ち止まっている。そこまで驚かれるなんて思わなかったんだけどなあ。

「どうしたんだ、それ」
「それって!」
「いや、だってな……」

お前の私服はそんな系統だったか、いや、というかメイクも……なんて何やらブツブツ呟いている彼はどう見ても安室透じゃなくて降谷零その人だった。「あ・む・ろさん!」念を押すように呼びかければ、ハッとしてから真ん中辺りのカウンター席へと案内してくれた。今日のおすすめのコーヒーをひとつ注文したところで、店内にぱらぱらと居た客が会計を始めた。そうして、降谷さんが淹れてくれた美味しそうなコーヒーに口をつける頃には店内にはわたしと降谷さんだけ。降谷さんは無言で何かを作りながら、わたしを盗み見るようにちらちらと視線を寄越した。あの、めちゃくちゃわかりやすいんですけど!

「大阪行くんじゃなかったのか?」
「あ。いやあ……諸事情で行こうと思ってた日に行けなかったので今回はやめときます」
「今回行けなかったら次はいつになるかわからないぞ」
「……やっぱり、まだ行けないなとも思っちゃいまして」
「そうか……無理はするなよ」
「はい、ありがとうございます」

降谷さんが作っていたのは小さなパフェだった。季節の果物でも使っているみたいで、可愛らしくデコレーションしている降谷さんすら可愛らしく見えてくる。……ああ、だめだ。予防線なんて張れてなかったと自覚してから完全に気が緩んでる。

「あれっ。それメニューに載ってないですね」
「前に新作を食べさせてやるって言ってただろう?ちょうど来月の新デザートの案ができたところだからさ」
「おおー!最速で食べられるってわけですね!」
「期間限定とかそういうのに弱いよな、お前」
「う。なぜそれを……」
「いつも食べてるお菓子のパッケージに大体書いてあるよ」

そんなとこまで見られてたのか。もうこの人の前でうかうかお菓子も食べられないじゃない、なんて思ってるのもバレバレみたい。降谷さんが面白そうに笑ってる。全然面白くなんてないんだから!

「はい。これでも食べて機嫌直してください」
「……しょうがないですね」

食べ物に罪はない。許してあげます、と呟けば安室透スマイルでありがとうございますと言われた。絶対この人わたしのことからかってるよね。可愛いパフェは見た目通りに甘くて美味しい。甘いものはやっぱり素敵だ、と頬がゆるんでいくのが自分でもわかる。

「そういや、この連休は何をしていたんだい」
「いっぱい寝ました」
「……まさかそれだけとは言わないよな?」
「流石のわたしでもそれはないですよー。後は人に会ったり買い物したりとか。あと、今日は岩盤浴とか行きましたよ!想像以上に値が張るとこでしたけどすっごく良かったです!」
「なるほど……道理でつやつやしてるわけだ」

降谷さんがカウンターから乗り出すようにして わたしの左頬をやわやわとつまんでいる。興味深げに触れるすこしかさついた手がくすぐったい。

「さっきは誰かと思ったよ」
「あんなに驚かれるとは思いませんでした。ずっとぽけっとしてるんですもん」
「いっぱい寝てるのもいいんだろうな。ただでさえお前はすぐ眠たくなるのに仕事ばっかりで休めてなかったんだろう」

クマが消えてる。と頬をつまんでいた手が頬を包んだかと思えば、降谷さんの親指がすすす…と目元に移っていく。くすぐったい。手を剥がそうと降谷さんの手のひらにわたしの手を添わせるため横を向いたところで、最悪な光景を目にした。慌てて降谷さんの手を引っぺがす。「あ、」あ、じゃない!ポアロの窓に張り付くようにこっちを覗いていたのは哀ちゃんを除いた少年探偵団のみんなと園子ちゃん。後ろの方で顔を真っ赤にしている蘭ちゃんも見える。

「気付いててやってたんですか!」
「さあ?」

わたしたちが気付いたことがわかった彼らがどっと押し寄せてくる。少年探偵団のみんなは「ラブラブだー!」「姉ちゃんたちいつから付き合ってんだー?」だのなんだのわあわあ言いながら詰め寄ってくる。いや、あの、ちょっと待って。一歩引いたところに立ってるコナンくんを見れば、ご愁傷様と言わんばかりの呆れ顔をしていた。違うんだって……!と目で訴えても、ちらりと目を逸らされるだけだった。






やさしく触れる貴方の手

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