憧憬/降谷零


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「あらやだ!スーツもいいけど、今の方が可愛いじゃない〜」
「え、えっと、あの……?」
「この家の家主の工藤優作氏の奥方だよ」
「それは知ってますけど!」

戸惑っているのは、女優の藤峰有希子が目の前に立っているからではなく、その大女優に自分がきゃあきゃあ言われて髪やら爪やらいじられているせいだった。スーツ姿をこの人に見せた覚えもなければ、会った事すらない。てことは、

「工藤優作氏もグルってわけですかー」
「おおーっさすが日本警察〜!」
「なんか馬鹿にされてる気がする……」
「ちがうよ紗希乃姉ちゃん!母さ、いや、この人さ!紗希乃さんに興味が沸いたみたいで」
「興味?」
「だって、あんなむさっ苦しい男の人たちをまとめてるのがこんなに可愛らしい女の子だなんて普通は思わないわよ〜。ねっ、新……コナンくん!」
「う、うんっ!」
「……カメラ、敷地外にもつけてたんですか?」
「いや。2階の窓にひとつ付けていただけだ」

悠長にソファに腰をかけている赤井は、姿かたちは沖矢昴のまま声だけ赤井の声をしていた。藤峰、もとい工藤有希子さんとコナンくんのやりとりはあからさまに何かを誤魔化していて気にならない方が不自然なくらい。「おかしいだろう?」あなたも十分おかしいですよ。愉快そうに声をかけてくる赤井にそう返せば、ホォ、と何を考えてるんだかわからない反応をされた。

「それで、教えてもらいましょうか。沖矢昴と赤井秀一が別に存在したトリックと、わたしをここに連れてきた了見をね」

ニヤリと笑ったコナンくんに、細い目でニンマリ笑う沖矢昴。有希子さんはお茶を淹れ直してくると言って部屋を出て行った。どこから話せばいいかなあ、と呟いたコナンくんに全て話すよう言ったけれど、「紗希乃姉ちゃんが全てを話せないように僕らにも全てを話せないことはあるんだよ」とはぐらかされた。

「……そうね。じゃあ、あの晩わたしたちがこの家に来た時のことを教えて。あのカメラは何のために誰が使っていたの?」
「あのカメラは、別な部屋で僕が中の動きを見るために設置したんだ」
「それで、沖矢昴に扮した誰かさんと降谷さんの動きを確認してたってわけね」
「ああ。細かい仕組みは割愛するが安室君との会話で不都合があった時はあのマスクに仕込んでいた変声機を使ってそのボウヤが答えていたのさ」
「変声機……じゃあ、あの晩までの降谷さんの推理は間違っていなかったのね?」
「うん。どうやってあそこまで辿り着いたのか不思議なくらい当たってたよ」

やっぱり降谷さんの推理は間違っていなかった!それなのに一晩でひっくり返されてしまうなんて。悔しい。悔しい悔しい!

「……睨むのはやめてもらえないだろうか」
「睨まれるだけで済んで有難いと思ったほうがいいわ」

さらに話を聞けば、あの沖矢昴に成り切っていたのは工藤優作氏だったという。あれ?あの人マカデミー賞の受賞式に出席してなかったっけ。ちょうどお茶を運んできた有希子さんがニコニコと笑いかけてきた。

「うっふふ〜」
「いや……まさか……有希子さん?」
「やっぱり流石ねえ!紗希乃ちゃん!」
「有希子さんは変装の名人でね。優作さんを変装させてから自分も変装しマカデミー賞に出席してもらったんだ」

男が女に変装するのは骨格や体型で無理があるけども逆はどうにかなる。そこに変声機という味方がいれば敵なしだよそりゃあ。そんなのを相手にしていたなんて、と思わず頭を抱えたくなる。

「安室くんが本当の仲間を連れてやってくる、そう予測したのはボウヤだったが、まさか本当に君たちまでやって来るとは思ってもみなかった」
「……つまり、あなたは工藤夫妻やコナンくんの手助けがなければ降谷さんから逃げることはできなかったと認めるってわけ?」
「……まあ、事実だろう」

赤井秀一ひとりならば降谷さんが、わたしたち公安が勝つことができたなんて。さっきまで赤井秀一を全力で睨んでいたのをコナンくんにうつせば、コーヒーのカップを両手で持ったコナンくんがギクリと身を縮ませた。

「あ、あははー……、ごめんね紗希乃姉ちゃん。安室さんがノックじゃなくて本当に組織の人間だった可能性を考えると持てる手段を総動員しないといけなかったんだ」

全てを使わないと勝てる相手ではなかった。この2人が認識している降谷さんの存在が想像以上に大きなもので、どこか誇らしげな気分になる。だけど この2人ならもっと何か良い打開策が見つけられたんじゃないかな。なんていつの間にか2人を認めているような思考に思い至ったことに自分で驚いた。

「彼には申し訳ないことをしたと思っているが組織に捕まる訳にはいかない。手土産もやっただろう、無駄な争いを続けないためにも君に間に入ってもらいたいのだが」
「……わたしにあの人を裏切れと?」
「何もそこまで大きな話じゃない。今回の件で君たちは公安として俺を捕獲するのは難しくなっただろう。こちらとしては安室君と敵対するつもりは微塵もないが、可能性としては彼が個人で俺を捕まえようとしてくること。それを防ぐ手っ取り早い手段が、吉川紗希乃、君だ」
「そんなことに手を貸すつもりは―……」

無い。そう続けようとしたが、ずっと細められていた沖矢の目がばちりと開き、あの晩カメラ越しに見たのと同じ目がわたしを試すように見つめている。

「君は初めから俺を捕まえる気などなかったんだろう?」
「……は?」
「言い方を変えよう。君は、安室くんが俺を捕まえることに関して本心は消極的で、億劫だ」
「……そんなこと……」
「無いと言い切れるか?復讐とは恨みを持つ当人だけの物。恨みを持つ者の肩代わりをする人間は、その恨みの一端を担いだつもりになっているだけだ。彼は恨みを晴らす手段として君たち公安に協力を求めたが、同じように恨めと強要していただろうか」
「……」
「彼が君にそれを望んでいたのなら、君はこんな所でおしゃべりをする前に俺を捕まえようとするくらい俺を恨んでいたことだろう」

すぐに捕まえるか捕まえないか、それを考えている余裕がある時点で捕獲に積極的ではない。否定しきれなかったこと、自分じゃすんなり思いつかないことを指摘されて何も言い返せなかった。悔しい。ほんとに悔しい。何なのこの人。

「復讐が当人だけのものなんて当然ですよ。降谷さんがあなたを恨むきっかけだって、聞いただけのわたしの怒りなんか あの人の感じたものと比べたらなんてことない。そんなわたしが捕まえたって降谷さんの気は晴れない。あなたは絶対に降谷さんが捕まえるんです。」
「紗希乃姉ちゃん、赤井さんが安室さんに捕まらないように間に入ってはくれないの?」

降谷さんが赤井を捕まえて本当にいいのか。暗にそう言っているコナンくんは、眼鏡の奥で鋭い目をしていた。どうして君までそんなわかってるようなこと言うの。君は何をどこまで知っているんだ。

「あのね、これでもそれなりに怒ってはいるんですよ。確かに楠田の拳銃を手に入れることができたのは助かりましたけど!あなたを捕まえる計画が頓挫したせいで、部下との間の信頼にキズがつきました」

謹慎なんてどうだっていいし減給なんて降谷さんからしてみればなんてことないけど、年上の部下を扱うのが難しいのはわたしも降谷さんも痛い程わかっている。それにプラスでわたしは女だってこともあって信頼関係をつくるのに手間取った。やっぱり使えない上司だと思われたら、些細な連携ミスも命取りの仕事をしている身としては痛い。

「それはそれくらいで傷がつく程度の信頼関係だったんだろう。実力がある者が上に行くのは必然だ。年上だろうが性別が違おうが実力がある者が上に立つ。それを理解せず無駄な思考で関係を放棄するのはただの馬鹿だ」
「日本の縦社会舐めないでもらいたいもんですね」
「生憎それに馴染めるほど日本にいなかったのでね」
「腹立つ!」

飄々としている赤井を見ているだけで苛立ってきた。やっぱりわたしが捕まえてやろうか、なんて思ってしまうくらいだ。こんなやつに協力したくない。

「それで……どうする?君も聞いていただろうが、彼は敵に回したくない相手だ。敵にならないようにできる手立てが多いに越したことはない」
「……あなたには協力したくありません。ただ、コナンくんに協力するなら多少は譲歩します」
「それって結局は協力してるってことじゃ、」
「シーッ!新ちゃ、コナンくん〜??こういうのはね、気持ちが大事なのよ!」
「あ、そう……」




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