憧憬/降谷零


深緋のベールに覆われる


お茶の準備をしに沖矢昴が席を外したところで、わたしはソファに座り、降谷さんは案内された部屋をぐるりと見回した。それからわたしの隣りに座り、ソファの座面に手をついてから軽く握りこぶしを作る。そして顔はテレビを眺めたまま手を開いた。……隠しカメラは5台、か。ここが一番多いということは、決着をつけるのもここになるということを赤井側も見越しているみたいだ。ティーセットを運んできた沖矢昴にお礼を言うと、一瞬驚いた表情をしてから、「いえいえ…」とこれまでと変わらない胡散臭い笑顔に戻る。

「ミステリーはお好きですか?」
「ええ、まあ」
「じゃあ、まずはその話から……」

沖矢昴の淹れた紅茶を手に取り、口をつける。ここで毒を盛ろうものなら外にいる仲間が突入してくるのはわかりきったこと。これに細工をするとは思えない。降谷さんも同じ考えだったようだった。降谷さんが死体すり替えミステリーだと言いながら推理を沖矢昴に披露していくのを隣りで聞きながら、タイミングを計る。

「なるほど。なかなか興味深いミステリーですが、その撃たれたフリをした男、その後どうやって現場から立ち去ったんですか?」
「それを答える前にテレビを消してくれませんか?大事な話をしているんですから……」
「いいじゃないですか。気になるんですよ、マカデミー賞」

はあ、とわざとらしく降谷さんが溜息を吐いた。今だ、今しかない。

「あの、」
「紅茶のおかわりですか」
「いえ……お手洗いをお借りしても?お化粧を直したくて、」
「ええどうぞ。この廊下を左手に曲がって突き当りにありますよ」
「ありがとうございます。お話、中断させてしまってごめんなさい」
「篠原、バッグ忘れてるぞ。手ぶらでどうするんだお前」
「あ。いけない!すみません、忘れっぽくって」

席を立つフリをして立ち上がると、それに気付いた降谷さんがバッグを差し出す。それを受け取りながら、降谷さんの目を見ると、まるで死ぬなとでも言っているかのようにその目はぎらぎらと輝いていた。

*

トイレに向かう廊下を歩いていると、確実にふたつは隠しカメラがあることに気がついた。たぶん、玄関からあの部屋に向かうまでの廊下にもあったはずなので少なくとも3〜4は設置されている。トイレのドアを開けて中に入り、ざっと見回すと隠しカメラらしきものは見当たらない。ていうか、広すぎでしょここ……。トイレの蓋の上に座り、足を組んでその上にバッグを広げてタブレットと中に仕舞った拳銃を取り出す。拳銃はジャケットの中のホルスターに仕舞い、タブレットを起動させた。来葉峠でFBIを追っている仲間の眼鏡の淵につけた小型カメラからの映像を繋ぐアプリを開く。そして、インカムを再び耳に引っかけると、やっぱりノイズ混じりの降谷さんの声が聞こえた。

『ザザッ、…じゃない、その変装を解けと言っているんだ!』
『変装?赤井秀一?さっきから何を言ってるんです?』

だいぶ進んでるな、と思いつつ映像を眺める。バッグのポケットから仕事用のスマートホンを取り出して、外で待機している仲間に連絡をとる。「今後の手筈は予定通りに」と伝えれば、わかりましたと簡潔な返事が返ってきた。タブレットに映る映像は暗く見にくいが、ふと、画面の奥に車の姿が見える。映像を拡大してみると確かにそこに映っているのは目標のFBIの車両だった。よし、姿は捉えた。あとは捕獲するのみだ。小型カメラを持った仲間の乗る車が加速しているのがわかる。だんだんとFBIの車が大きくなってきていた。

『そう……大きさはちょうど、そのハイネックで隠れるくらいなんだよ』

降谷さんが沖矢昴に近づいたのか、後ろで聞こえるテレビの音量が大きくなった。あそこにはわたしが確認できるカメラは用意していない。聞こえた声の後に息を呑むような声が聞こえたけど実際の所どうなっているのかなんてわからなかった。それと同時に来葉峠ではFBIの車両を左右で挟み込むようにして公安の車両が近づいている様子が見える。タイヤの空気でも漏れているのかふらふらと進んでいるFBIの車両。それの後部座席の所に異変がおきた。

「……屋根が、開いた……?」

暗い映像で屋根が開いたことはわかるが、実際にどうなっているのかが判断しづらい。誰かが乗っている?来葉峠で追う予定の車両に乗車しているのはジョディ・スターリングとアンドレ・キャメルの2名のみだったはずだけど。薄暗い映像はやっぱり見えにくい、画面の明るさを調整しようとしたその時、小型カメラが月明かりに照らされているその姿を捉えた。

「赤井秀一……!」

どうして!じゃあ、いま降谷さんが対峙している男は一体誰?沖矢昴は赤井秀一の変装した人間で元は存在しない人物だ。降谷さんの推理が間違いなければ、赤井が来葉峠にいるのなら工藤邸には存在してちゃおかしい。……降谷さんの推理が間違ってた?でも、そんなわけない。そんなはずは……。トイレから出て、降谷さんの元へ行こうと体が動く。それでも途中で足を止めた。赤井がここにいないのなら、今から来葉峠へ応援を向かわせても逃げられる可能性が高い。降谷さんの推理が仮に間違っていないとして、赤井本人が来葉峠にいるのなら今の沖矢昴は代役で赤井とグルだ。代役のボロがでないよう隠しカメラを使用していたのだとしたら……。

『あの、電話、鳴ってますけど……』

我に返ったらしい降谷さんが電話に出る音がインカムから流れる。

『あ、赤井が……?!』

トイレから出るのをやめて、元の場所に戻る。焦るな、今は現状把握だ。赤井本人を捕獲できなくても代役を捕獲することはできる。今ここで出て行っては相手の思うツボだ。冷静に、冷静に……。降谷さんからの指示を仰ぐために一旦引いたために、せっかく詰めた距離がみるみる開いていく。引き離されないでよ、頼むから……!わたしのスマートフォンも鳴り続けていて、通話ボタンをタップすると「吉川さん!」と焦った仲間の声が次々と聞こえた。

「このまま待機。降谷さんの音声はこのまま継続して拾って、映像と照らし合わせて。場合によっては赤井秀一ではなく、沖矢昴に扮した何者かを捕獲します」

一方的に言い切って切る。カーチェイスを繰り広げている仲間の映像を眺めながら、来葉峠の地図を思い浮かべる。この先はたしか、ストレート……。そんなことを考えていたら、画面が一気にガタガタと揺れて回り始めた。

『赤井が拳銃を発砲?!』

奴め、ストレートに入ってから撃ったんだ。腕の立つ狙撃手がそんなチャンス見過ごすわけが無かった。小型カメラを付けている仲間が乗っていたのは先頭車両。それのタイヤを狙われたのだとしたら、この様子だと後続の車は全部玉突きして終わってるだろうな。

『何でもいい!動ける車があるのなら奴を追え!』
『しっ、しかし追えと言われてもこの状況では……!』

降谷さんの襟に仕掛けた盗聴器のおかげで来葉峠にいる仲間との電話の内容も拾えているが、やっぱり走行不能になってるみたい。追えるなら追ってほしいけど、降谷さんだってこの映像を見たらそうも言ってられないことに気付くはず。……戻るか。ここまで来たら沖矢昴の前で取り繕う必要なんてない。タブレットの画面を見ながらトイレを出る。仲間の顔ばかり映っていたところに、一台の車がやってきた。

「……赤井!」

一体どういう状況なの、これ。思わず足を止めて画面をのぞき込む。確かに仲間は拳銃を構えているけれど、赤井との会話に気をとられているらしく降谷さんが『赤井がそこにいるのか!』と叫んでいるのに気づきやしない。

『やあ、久しぶりだなバーボン……いや、今は安室透くん、だったかな?』

携帯が渡される。なんでそんなことになったんだ!バッグにタブレットを投げ入れて、止めていた足を急いで動かし、元いた部屋へ飛び込むように入った。一瞬驚いた様子の沖矢昴はやっぱりすぐに表情を戻してから後ろのテレビを眺めている。

『君のお仲間の車をおしゃかにした代わりにささやかな手土産を授けた。楠田陸道が自殺に使用した拳銃だ』

入手ルートを探れば何かわかるかもしれない、そう続けられた言葉に、やっぱりお前は楠田陸道の自殺を利用して自分の死の工作をしたんじゃないか!と喉元まで声がせり上がる。

『ここは日本…。我々FBIより君らの方が畑だろう?』
「まさか、お前、俺の正体を……!」
『あだ名をゼロだとボウヤに漏らしたのは失敗だったな……実に調べやすかったよ、降谷零くん』

それと、とさらに続く赤井の話に思わず息をのむ。まさか……

『すぐそこに、いるんだろう?君は初めに苗字しか名乗らなかったから、少々手こずったがね』

吉川紗希乃さんで合っているだろうか。インカムから聞こえる聞きなれないその声で弾かれたように降谷さんと目が合う。どうして、という声なき言葉は降谷さんの目からありありと見てとれた。

『これだけは言っておく。目先のことに囚われて、狩るべき相手を見誤らないで頂きたい…君は敵に回したくない 男の一人なのでね……』

それからスコッチのことだと思われることを赤井が全く悪びれていないように呟くと、降谷さんの顔色が変わった。無理もない、今回は確実にこっちの負けだった。何も言い返せやしない。わたし達が何者なのか、もう奴らに全てばれてしまったのだから。勘違いだったと白をきって沖矢昴の前から去ろうとする降谷さんに大人しくついていくが、工藤邸から出る前に沖矢昴の方へ向き直る。

「まだ、何か?」
「……初めてお会いした時…、わたしが話しかけた時のこと覚えていますか?」
「ええ、覚えていますよちゃんと」
「そうですか。では、あなたは誰ですか?」
「……今、覚えていると言ったばかりですが」
「始めに声をかけてきたのは貴方からでわたしからは話しかけていないのに、そこを否定しないなんておかしいですよねぇ」

もっと問い詰めてやろうと思ったけど、降谷さんに「帰るぞ」と声をかけられてはどうしようもない。睨むように見つめていた沖矢昴に会釈をしてから、逃げるように降谷さんの後を追いかけた。今日は最悪な夜だ。降谷さんの険しい顔も、仲間たちの落胆したような表情も、全部全部赤井が悪い。それでも、どこか落ち着いている自分もいた。なんでだろう、赤井を捕まえられなかったのに。降谷さんの推理は間違っていなかったはずだったのに。

まだ今は何もわからない。




深緋のベールに覆われる

←backnext→





- ナノ -