憧憬/降谷零


浅緋にじんでかすれてく


「昨日はどうだったんだ」
「……はい?」
「潜入捜査の件だよ」
「やっぱり告げ口したの風見さんですか!」

給湯室でインスタントのコーヒーを淹れてからデスクに戻れば、降谷さんとの定期報告に出向いていた風見さんが帰って来ていた。

「仕方ないだろ、降谷さんにお前がどうしてるか聞かれたんだぞ」
「……定期報告は今日ですよね?降谷さん登庁してたんですか?」
「いや。電話がきた」
「なにか緊急の報告でも?」
「定期報告で問題ない内容だったけどな」
「へー」

何やってんだあの人は。なんだか無性に恥ずかしくなってきた。誤魔化すようにコーヒーを急いで啜ると、あまり美味しくない苦みが口の中に広がった。降谷さんが淹れてくれるコーヒーが美味しくて自分で淹れたやつなんてとんでもなかった。吐き出すわけにもいかなくて、とりあえずマグをデスクの端っこに追いやる。

「というか、そもそも風見さんにもわたしの行き先を教えてなかったんですけど!」
「ああ、局長がいつまでも残ってるから何かあるのかと思ってな。降谷さんに局長がいることを伝えたら局長を問い詰めろと言うからそうさせてもらった」
「それで簡単に口を割ったんですか局長は!」
「降谷さんに疑われた時点で諦めたみたいだな」
「ていうかそもそもいつも残らない局長がなんで、」
「お前に何かあった時のために残ってたんだろうよ」
「過保護!どうりで会場にうちの人間多いと思いましたよ……」

人員を割くところ間違ってるだろ。昨日手に入れた情報を打ち込みながらブツブツ文句を言ってると、風見さんからひとつのファイルが送られてきた。

「降谷さんからだ。この後のことはもう聞いてるんだろう」
「最後のピース、ですね?」
「そうだ」

渋谷夏子28歳小学校教師。彼女は降谷さんが探偵の安室透として近づいている女性だった。昨日もあれから彼女の身辺警護に出向いていた。降谷さんは彼女を使ってFBIに近づけば赤井秀一というパズルの最後のピースを埋めることができると考えているらしい。

「赤井を捕まえたら、降谷さんはどうなっちゃうんでしょう」
「どうもこうも、組織の中枢に近づいていくことになるだろうな」
「それって赤井を組織に突き出すってことでしょう?それで満足するんですかねえ」
「満足もなにもそれが目的だろうが」
「後悔したり、しないですよね……?」

組織に裏切り者だと突き出すということは、即ち赤井を殺すことに変わりない。降谷さんが直接手を下すかどうかの違いであって、彼を死へと繋ぐ死神の役目をするわけだ。復讐は何も残らないと言うけれど本当はどうなのかしら。良い感情はもちろん残らないけれど、後悔や虚無感や負の感情は復讐心の消えた心の中に綺麗に残ってしまうんじゃないかのかな。わたしたちの仲間ともいえるスコッチを消した赤井秀一に怒りを覚えないというわけではないけど、赤井を討つこと自体にあまり思い入れはない。どうせ討つならば刑務所にでもぶちこんでやりたい。スコッチの敵を討ちたいという降谷さんの悲願は叶ってほしいし、あの人の願いを叶える手助けならいくらでもしたい。でも、もはや生きる軸に近いともいえる目標が達成できたら降谷さんはどうなってしまうんだろうか。風見さんから返事は帰って来ない。昨日の報告書も終わりが見えてきた。大まかな報告は口頭で済んでいるし、こんなもんかな。ちらりと横を見るとわたしの問いを未だに考え込んでいるのか、風見さんの眉間にはしっかりと皺が刻まれていた。

*

定時なんてあったもんじゃない。すっかり暗くなった外を窓越しに眺めながら喫煙所のパイプ椅子にだらしなく腰かけて煙草の煙を吐き出した。昨日のことを思い出すだけで、背中がぞわぞわとくすぐったい。あんなに背中開いたドレス着たの初めてだったからだ、そうだそうだ。と思いこむことにした。そんなとき、同じく喫煙所で煙草を吸っているオジサマたちにケラケラ笑いながら話しかけられた。

「おー、吉川お前やっと素直になったんだって?」
「遅いぞお前ら。まだ若いんだからもっと早くくっつけばよかったのによ」
「何の話ですか?わたしはいつでも素直なつもりですけどー」

何って、降谷とくっついたんだろ?きょとんとしたオジサマたちの言葉に思わずゴホゴホと咽込んだ。うえ、煙が変なとこ入って喉がいたい。

「なんもないですし、どうもなってませんって」
「だってお前最近降谷の写真飾ってないだろう?」
「あれだけ風見に怒られてたってのによ」
「そうだぞ。お前が降谷の隠しフォルダのファイルを開いたら俺らに通知がくるよういじったのに一切触ってないだろお前」
「あんたら人のPCになにやってんですか」

他にも何かいじられてたら怖い。あとでチェックしないとなあ。いい歳こいて人をせっつくことしかしないんだからこのオッサンたちは……って、あれ?

「ていうか、その情報源どこです?」
「どこもなにも」

そいつだよ。と指さされた先に立っていたのは煙たそうに喫煙所の入り口で顔を顰めている風見さんだった。

「やっぱり風見さんてば裏切り者ー!うそつきー!」
「何の話だよ」
「わたし降谷さんとなんもなってないです」
「うそだろ……?!」
「うそじゃない!」

そんなことより、と風見さんが車のキーをわたしに投げてきた。右手でキャッチすると、左手に持っていた煙草の灰が落ちる。あぶないあぶないスカートに穴開ける所だった。

「え、今から車出すんですか」
「降谷さんから呼び出しだ。お前も来い」

お前も来いどころかわたしが運転手じゃないですか!なんて文句も綺麗に聞き流されて、警察庁で所持している一般車両に乗り込む。運転できないわけじゃないけど、自分で車を持っても管理に手間とお金がかかるのにどうにも魅力を感じなくて車は持ってない。都心に住んでいるから車がなくても生活できてしまうからこその理由だった。風見さんに言われるとおりに車を走らせる。仕事用のスマートフォンで降谷さんと会話しているらしく、運転に徹するわたしをよそにカーナビをずっといじっていた。それから通話を終了したらしく、鞄に無造作に投げ入れていた。

「……坏戸プラザホテル、ですか」
「ああ。渋谷夏子の自宅前の通りが見渡せる立地にある。身辺警護の一貫という体でホテルを一室とっているそうだ」
「呼び出すってことは動きがあったんですね」
「ああ。渋谷夏子がストーカーに襲われて入院した」
「……あれ。ストーカーが手を出したんですか?少しばかり組織のほうで手をかけさせるって話だったはずですけど」
「嬉しい誤算ってところだな。こっちが手を汚す必要はなくなった」
「渋谷夏子からしてみたらとんでもないですけどねー」
「ストーカーがアリバイ工作で渋谷夏子宅前をうろつく可能性の対応を装うそうだ」
「まー、ありえなくないですけど、アタリついてるんですよね」
「まあな。だが、誰が実行したかは不明だそうだ」
「やだ〜。そっちでこじれて欲しい情報とれなかったら降谷さん仕事損ですよ」

杯戸プラザホテルに到着し、降谷さんから指定されたというホテルの一室へとやってきた。呼び出しベルを鳴らすと中からノックする音が聞こえる。それから、風見さんは右手で左の頬を2回かき、右の耳朶を触った。ガチャリとドアが開錠されて、中へ滑り込むようにして二人で入室した。

「お疲れ様です」
「お疲れさまです!」
「ああ、お疲れ。吉川、風見から大まかなことは聞いたな?」
「はい」
「それじゃあ、これからの計画だが……」

部屋の窓際に向かい合わせで置いてあるソファへ降谷さんと風見さんが並んで座り、その向かいにわたしが腰かけた。間に置かれたローテーブルには写真が乱雑に置かれていた。渋谷夏子の友人であるFBI捜査官ジョディ・スターリング。それから、それ以外のFBI捜査官……、そしてベルモット。降谷さんが写真を並べながらこれからの計画を説明していく。明日は降谷さんに盗聴器を持って動いてもらうことになるが、リアルタイムでベルモットへと繋ぐのでわたしたちは後から録音したものを確認する流れとなる。

「明日確実に手に入れるのは楠田陸道に関する情報だ。これが予想通りなら明日以降に次のステージへと進めていく。その舞台は……ここだ」
「工藤邸、ですか」
「知ってるのか吉川」
「ええ。この間この辺りを少々散策しましてね……今は別な人物が住んでいるようですが」
「まさか沖矢昴に接触したりしていないだろうな?」
「……えーっと、」
「いつだ!」
「こっ、この前ライターをポアロに取りに行った時に、噂の阿笠博士に会ってみようと思って訪ねたらどうやら花見に行っていたそうで。それを教えてくれたのがその男です」

工藤邸の外観の映った写真の上に投げ捨てるように落とされた写真には、降谷さんが安室透を演じている時とはまた違う胡散臭い表情をした男が写っていた。まさかあの男が赤井秀一だなんて思うはずもない。見た目は確実にわたしの知っている赤井とはかけ離れていた。声は知らないから判断しようがないけど。

「その時は何か怪しい言動はなかったか」
「ん〜、お誘いを受けたくらい、ですけどね」
「はあ?!」

落ち着いてください降谷さん!と勢いのまま立ち上がろうとした降谷さんを風見さんが無理やり座らせる。

「でも、今思えば降谷さんの関係者だと知った上でのお誘いだったのかもしれません」
「……なに?」
「沖矢昴はわたしに『バーボンでもいかがですか』と言いました。別にお酒の話題があったわけでもなく唐突に、です」
「……」

もしも本当に関係者だと割れた状態だったのだとしたらどこで情報が漏れたのか。

「吉川。コナンくんと最後に会ったのは?」
「降谷さんと一緒にポアロへ行った時が最後です」
「それ以降連絡もなにもとっていないか?」
「はい。元より連絡先は互いに知りませんし、盗聴器や発信機の類が無いことは確認済みです」
「そうか……」
「降谷さん、コナンくんがどうかしました?」
「いや、まだ推測の段階だ。明日の動き次第でわかる」
「そのコナンという人物は毛利小五郎の家で預かっているという少年ですか、降谷さん」
「ああ。俺と吉川のどちらも面識がある」
「この前の密輸グループの件の第一発見者の子供の一人ですよ」
「ああ、あの盗聴器をお前に仕掛けたとかいう」
「そうです。ただの子供じゃないって思ってましたけど、まさかここで絡んでくるとは……」

「いや、初めからそうだったのかもしれないぞ」

明日からの赤井秀一捕縛作戦が一筋縄ではいかなさそうな予兆に、降谷さんの闘争心に火でもついたのかもしれない。明日には全てがわかるさ。そう言う降谷さんの目元が間接照明に照らされてギラリと輝いていた。




浅緋にじんでかすれてく

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