憧憬/降谷零


鬼が居ぬ間に隠れましょ


登庁してすぐに呼び出された局長の執務室では、顎髭を蓄えた局長がニンマリと笑っている。

「今は鬼が席を外しているからな」

おおきく笑いながらパーティーの招待カードを差し出してくる局長に苦い顔をするので精一杯だった。鬼が誰かなんて決まってた。いつもなら滅多に回って来ない指令に、内心舌打ちし放題。これ降谷さんに報告したら怒られるやつだ。でも何かしら報告しておかないと探られてどのみち怒られる。

「今週末、幹事長の誕生日パーティーに潜入して彼の甥を探ってくれ」
「パーティーのみ、ということでしょうか」
「そうだ。奴の周りを探るだけでもいい。当日はお前以外にも潜らせる」
「それってわたしが保険ってことですか」
「甥とつるんでいる奴らを洗うのが目的だ。彼らはどこかのホテルで定期的に会合を開いているようでな」
「その場所をつきとめろ、と?」
「その通り。それだけでいい。候補を絞れる程度の情報だけでも十分だ」

無理はしないでくれ、と続けられて過保護だなあと思う。

「局長。鬼ごっこは苦手なのでちゃんと勝てるようご協力願います」
「もちろん。鬼の報復を受けるのは私だからな、肝に銘じておくよ」

*

ほっそりとしたシャンパングラスの中で泡がパチパチと浮いては消えていく。派手に煌めくシャンデリアの明かりでグラスを持つ右手に嵌めた指輪がきらりと輝いた。

「香崎先生に娘さんがいたとは知りませんでしたよ」
「お恥ずかしながら父に反抗していた時期が長かったもので……」
「何も恥ずかしいことなんてありませんよ!私にも妹がおりましてね、あの子なんて父の顔を見るのも嫌だとか。あなたのように仲直りしてもらえると母も私も安心できますがね」

グラスに口をつけながら、遠くのテーブルで談笑している別の男の姿の観察へ集中する。どうでもいい話にくれてやるほど耳の数はないのだ。今日のパーティには警察庁の協力者のとあるゲストの娘として参加している。存在しない娘の設定を聞いたところで貴方に何の得もないんだからとっとと消えてくださいよー。隣りで話し続ける男に思わずつきそうになった溜息をシャンパンで流し込む。会場の入り口の方へちらりと視線を送ると、数分前に一度会場から出て行った2人の女性が戻ってきたのが見えた。尚もぺらぺらとしゃべり続ける男に酔ったと適当な理由をつけてパーティー会場を一旦あとにする。

一番近い女子トイレに入り、個室に誰もいないのを確認してから掃除用具入れの扉を開く。蛇口の裏に取り付けてある小さな盗聴器を手に取って扉をすぐに閉めた。……人が入ってきたみたい。奥に併設されているパウダールームへと進もう。化粧を直すフリをしながらクラッチバッグの底の方へ取り外した盗聴器を滑り込ませ、何事もなかったように会場に戻れば完了だ。計画通りに盗聴器を回収でき、一安心したところで会場へ向かう。さっきの2人の女はターゲットの連れで、パーティーが始まる前に仕掛けておいた盗聴器は彼女たちの会話から情報を得るために設置していたものだった。後は幹事長の甥に直に接触できたらスムーズに事が運ぶのにな、とさっき観察していた優男を思い浮かべていると不意に後ろから誰かに肩を掴まれる。

「お姉さん、ハンカチ落としましたよ」
「……ありがとうございます」

振り向いて思わず目を見開きそうになったのは、わたしの肩を掴んでいるのがまさにターゲット本人だったから。驚かせてすみません、と苦笑する男は一枚のハンカチを差し出してきた。

「ごめんなさい。そのハンカチ、わたしのじゃないみたいです」
「おっと失礼しました。足元にあったから貴女のかと……じゃあ、呼び止めてしまった代わりと言っては何ですが」
「名刺、ですか」
「ええ。それの、ウラをご覧いただけたら」

言われるがままに捲ってみると二週間ほど先の日付と、有名ホテルの名前に三桁の数字が添え書きしてあった。名刺をまじまじと覗き込むわたしに、男は友達もいっぱいくるから、と笑って付け足した。

「香崎先生の娘さん、なんですってね」
「……ええ、まあ」
「先生にはよくお世話になりました。感謝してもしきれないくらいだ」
「そんな風に言って頂けて父も喜びますよ、帰ったら伝えさせていただきますね」
「よろしく頼みます。ところで、次もいいけどもしよかったら……」
「お話中失礼致します。香崎様でございますでしょうか」

男が最後まで話し終わる前に、ボーイの男が「フロントにお電話が」と小さなメモを差し出される。中を確認すると思わず口元がひくついた。あー、終わった!男は不思議そうに「どうかされました?」と訊ねてきた。

「今日は体調不良の父の代理で出席したのですが……あまり調子が良くないらしくって、母が心配して早く帰って来いと」
「先生はそんなに体調がよろしくないのですか?」
「いえ、ただの風邪なんですけれどね。母が心配性なもので」
「ただの風邪でも油断ならないですよ。お母様を安心させてあげてください、今日はお話できなくて残念ですが、また今度ゆっくりと食事でも」
「ありがとうございます。叔父様によろしくお伝えください」

玄関フロアまで送るという申し出を丁重に断って、パーティー会場に戻っていく男を見送った。姿が完全に見えなくなったのを確認したら、どっと肩が重くなる。あーどうしよ。最初はとっても帰りたかったのに今は前に進むのでさえ億劫だ。それでも遅くなればなるほど自分の首を絞めていくのはわかってるので、億劫な気分とは裏腹に体は素直に動いている。フロントの中にいるボーイとアイコンタクトをしてそのまま通りすぎた。さっきのメモを持ってきた男はうちの人間だ。立ち止まることなく外に出てみれば、想像に違わない状況が見事にセットされていた。

「……忙しかったんじゃなかったんでしょうか」

思わずとげとげしい物言いになってしまったのは、胡散臭い笑顔を貼りつけたあの人がホテルのロータリーに停めたRX-7に凭れるようにして立っていたからだった。やっぱり鬼ごっこに負けてしまったようですよ局長。これ説教コースまっしぐらじゃない。風見さんにもばれないようにしたつもりだったのに。

「さあ、何のことでしょうね。乗ってください、香崎さん。その恰好じゃ肩が冷えて仕方がない」
「……はい、ありがとうございます安室さん」

彼のジャケットを羽織らされて、助手席に案内される。きっとこんな状況じゃなきゃ最高級だった笑顔はわたしの冷や汗を増やしていくだけだった。運転席に乗りこんだ降谷さんは表情を崩すことなく、低い声で呟いた。

「どういうことか説明しろ」

あーもうほんと、チクったの誰だ。




鬼が居ぬ間に隠れましょ

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