憧憬/降谷零


試されてるのは私か貴方


それにしても、病院のなかで殺人事件を起こすなんて犯人もよくやるなあ。お茶会をしていたら仲間の一人が亡くなるなんてトラウマものだけど、犯人候補の三人は被害者が死んだっていうのにちっとも悲しんでない。こうなってくると古い友人なんて良いものでもなさそう。……友人と疎遠になってるわたしが言うとただの僻みみたいだけど。

「これはこの病室をまた徹底的に調べ直すしか……」
「そんなことする必要ないよ!」

降谷さんの後ろに立って状況を整理している彼らを見ていると、やっぱり殺人現場には不釣合いな幼い声が目暮警部の声を遮った。

「だって一人いるじゃない。堂々とカップに毒が塗れて、そのカップから一度も離れなかった人が。だよね、ゼロの兄ちゃん!」

コナンくんの口から飛び出した単語にわたしは思わず息をのんでいた。『ゼロ』それは、わたしたちが所属する公安組織の俗称。コナンくんがどうやってそれを知っているの。

「ゼロの兄ちゃん?」
「安室の兄ちゃん、子どもの頃にゼロの兄ちゃんって呼ばれてたんだってさ」

不思議そうに尋ねた蘭ちゃんに説明するコナンくんは、さっきよりも鋭い目つきで降谷さんを見つめてる。いや、もしかしたら……わたしの様子も窺っている?だんまりしている降谷さん越しに彼と目が合ったような気がした。けど、本当に我々公安の組織を指しているのか、本当に降谷さんの幼少期のあだ名を指してるのかはわからない。下の名前は本当に零だしゼロって呼ばれてても不思議じゃないもんなあ。コナンくんがゼロと呼ばれてたと知ったのはどうしてなんだろう。そして、それをわざわざみんなの前で言って見せたのは……。どうやらわたしたち試されているようですよ、降谷さん。お前の事を知っているぞと目の前に銃を突き付けられたような気分にさえなってくる。相手はあんなに小さな子供だっていうのにね。



*


探偵ではないわたしが出る幕なんてあるわけもなく、紅茶が利用された殺人事件は予想よりも呆気なく終息を迎えた。毛利一家を送るという高木刑事が「よかったら篠原さんも送りますよ!」と元気に声をかけてくれたけど、わたしが断りを入れる前に降谷さんがわたしと高木刑事の間に入ってきた。

「ご心配なく……彼女は僕がちゃんと送り届けますので」
「あっ、これはまた出過ぎた真似を!気が利かなくてすみません……!それにしても、まさか毛利さんの弟子の彼女さんがあなただとは思いませんでしたよ」
「あはは……世間は狭いですねえ」

彼女になったとは言っていない。けど、彼女じゃないとも断言せずに曖昧にしておこう。下手に設定もりもりにしたら後で絶対厄介だ。降谷さんと相談してからいろいろ決めないと。本当ですよ〜と笑う高木刑事の後ろから、小さな少年がひょっこり顔を覗かせた。

「ねえ、紗希乃姉ちゃん!せっかく会ったのに今日は何にもおしゃべりできてないよ〜」
「確かにそうだね、元気だったかなコナンくん」
「うん!とっても元気だよ!それでね、ボク聞きたいことがあって……」

しゃがんでとせがむコナンくんの言う通りにして、彼の方へ耳を寄せた。内緒話をするように彼は小さな声をだす。

「安室の兄ちゃんってさ、本当に小さい頃のあだ名が『ゼロ』だったの?」

なんて答えたものか。実際のところ本当に呼ばれてたとしても、わたしは知らなかった。わたしが知っている降谷さんはもうすでに警備局員で、組織に潜入していて……。ううーん、と悩んでいるわたしの様子をじっと見ていたコナンくんが「紗希乃姉ちゃんもわかんないの?」と不思議そうにしている。

「うん。わかんない」

本当に知らない?と念をおすように訊ねられても、知らないものは知らない。あの人の小さい頃をわたしが知らなければ、わたしの幼い頃もあの人に知られていない。

「なあに、コナンくん。疑ってるの?それじゃまるで安室さんがウソつきみたいだね」
「そ、そういうわけじゃないけど!」
「僕が何だって?」
「あっ、安室さん!」
「コナンくん、あなたの昔話に興味津々みたいですよ」
「へえ、君に興味をもたれるとは光栄だな」

にっこりとわざとらしいくらいの笑顔を貼りつけた降谷さんが近づくとコナンくんが焦ったようにじりじりと後退していく。そんな様子を見ていたのか、「遊んでないで帰んぞ」と毛利探偵の一声がとび、コナンくんはわたしたちから逃れるように少し先へ進んでいく。

「すみません、送ると言った手前 すぐに警視庁に戻らなくちゃならなくなって……代わりの車出しますから下まで送ります!」

毛利一家に降谷さんとわたし。それから高木刑事。5人であたりさわりのない会話をしつつ杯戸中央病院を後にしようとしたその時だった。

「しょうじき呪われてるんじゃないですかね〜この病院!」

何気なく続いた会話のなかで高木刑事が呪われている理由に挙げた出来事は、アナウンサーの水無怜奈が杯戸中央病院に入院していたという話から、怪我人が大勢押し寄せたこと、それから爆弾騒ぎ……。そういえば水無怜奈の件は前に資料が上がってきてたっけ。水無怜奈は組織に潜入しているCIAの諜報員だった。入院先はこの病院だったのか……。

「じゃあ、楠田陸道とかいう男のことなんか知りませんよね」

降谷さんの明るく振る舞う声が隣りから聞こえる。

「楠田陸道……ああ!そういえば、この前この近くで破損車両が見つかって、確かその車の持ち主が楠田陸道って男でしたよ。謎の多い事件でね〜、その破損車両の車内に大量の血液が飛び散ってたんですよ。中には1ミリに満たない血痕もあって……」

1ミリに満たない飛沫血痕、ということは拳銃か。でも拳銃も遺体も見つかっていない様子だし、やっぱり楠田は組織に消されたんだろう。そして、楠田がブローカーとして捌いていたものたちは回収されたんだ。あーあ。小さいのだけ捕まえられても元締めが生きてたら意味ないじゃん。まあでも死亡説が濃厚だという証言が手に入っただけでも御の字かな。もう存在しない人物を追い続けるのが大変だということは降谷さんを見ていて実感済みだ。

「あ、じゃあ僕はこれで…!これから迎えが来ますんで毛利さんたちはここで待っていてください」

慌てて走り去っていく高木刑事を見送って毛利一家と別れることとなった。小さな探偵は相変わらず鋭い視線を隠し切れずにこちらに投げかけて来ていた。


「なーんかイヤな感じです」
「随分と曖昧だね。女の勘だとか言わないでくれよ、お前に備わってるとはあまり思えない」
「酷い!そりゃー徹夜続きのボロボロなままで来ましたけど!」

降谷さんの車に乗り込むと、ふわっと安心感に包まれる。そのせいもあってかよくわからない嫌な感じが胸の奥からモヤモヤと現れた。とりあえず風見さんからのお土産を早めに渡さないと。ジャケットのポケットにでも挿し込んでおこ。そう思って、エンジンをかけている降谷さんの胸元のポケットに右手をのばした。USBメモリーの先端が降谷さんに触れるか触れないかの時だった、勢いよく振り向いた彼に強い力で手首を掴まれる。取り零したUSBメモリーがカランカラン、と落ちていく音だけがわたしたちの間に響いていた。

「い、痛いです」
「!すまない、反射的に……」
「どうしました?今日ときどき変ですよ、降谷さん」

ぼうっとしてばかり。今だってそうだ、隣りにいるのがわたしだとわかっていないかのようだった。普通に手渡しすればよかったことではあるけど、わたし相手にここまで過敏な反応することなんて今までなかった。まるで敵に寝首を掻かれるのを阻止するような顔の降谷さんの表情が頭からこびりついて離れない。

「ああ……すこし頭の中を整理しなくちゃならないみたいだ」

それから嘲るように笑って口を噤む。そんな降谷さんに、「ちゃんと休んでくださいね」なんて月並みな言葉しか返せなくて、「お前もな」と常套句のような返事も頂いちゃって。わたしは何か変な降谷さんに結局は何もできなかった。わたしができることってなんだろう。考えてみても、良い考えが浮かんでこない。しょうもない考えが浮かんでは消えていくだけだった。

沈黙が破られぬままわたしのマンションの前に着いた。しばらく組織の方で忙しくなるから連絡してきても返せない、とだけ言って降谷さんは去っていく。残されたのは、右手首に残った消えかけの赤みと寂しさだけだった。

「どうしてこんなに寂しいんだろう」

思わず呟いたら余計に寂しくなった。別に連絡できないのなんて今に始まった事じゃない。っていうかそもそもわたしから降谷さんに連絡することなんてほぼ無い。向こうからくれたものへ返すだけだし。ううーん、と唸っているのを前にゴミを捨てに来ていた住人に見られた。

「いつも送ってくれるなんていい彼氏さんですね」
「ええ、まあ……」

彼氏じゃない。っていうかそういう諸々の設定の相談とかしてないよー。そういえば楠田の話もしてない。それに色々と話したかったこととかも話せてない。風見さんがひどい、とかこの前に降谷さんの居ない時にポアロに行ったときのこととか……。あー、そっか。折角会えたのに、話せなくて寂しかったんだ。仕事の話だって何だって、降谷さんと言葉を交わせるだけでよかったんだ。それが、無かったから。たった一回の出来事なのにこんなに気にするとはね。

どんどん我儘になっていくなあ、わたし。




試されてるのは私か貴方

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