憧憬/降谷零


詮索好きとひみつのお話


目が覚めると上司の顔がすぐそこにありました。驚きはしたけれど、脳の処理能力がついていかない。ああ、きっと夢ですね。そういうことだ、だったらさっさと起きよう。今何時かしら。上半身を起こすと、「んぅ、」なんて可愛らしい声と何気にたくましい腕に抱き寄せられて、ベッドの中に逆戻り。

「あの、あの、降谷さん、ぜったい起きてますよね、目覚めてますよね」
「……」
「降谷さーん、」
「まだ」

はやいだろ、と掠れた低い声が耳元に降ってくる。抱き寄せられたままじゃ逃げられるわけもなく、ガツンと衝撃を受けたような感覚に身が縮みそうだった。どうやら起きるつもりは全くないらしい。だったらわたしも寝るしかない。降谷さんの胸元で深呼吸してみたら、くすぐったそうに身を捩っていた。うん、良い匂い。また眠れそう。

*

あれから二度寝したわたしは叩き起こされ、シャワーを借りて適当に支度してから降谷さんに引っ張られるように車に乗り込んだ。二度寝させたのはあなたですよって睨んでみても、朝から気分のよさそうな降谷さんにはまったく効き目なんてなかった。着いたところは喫茶ポアロ。まだ朝早いそこはとてもひっそりとしていた。

「今日はマスターが休みでね、僕が店を開けるんですよ」

車から一歩外へ出てみれば、あっという間に"安室透"になりきる降谷さんに朝からご苦労なことだと思った。わたしはこの人みたいにがっつり潜入とか無理だよなあきっと。こんな切り替えできるわけない。

「何が食べたい?準備しがてら用意するよ」
「ん〜おススメでお願いします」

カウンターのど真ん中に座ると、灰皿を差し出された。有難く受け取って、スカスカの鞄を漁る。大事なものは忘れてきたのに煙草は予備の箱まで入ってるんだからちゃっかりしてるなあ、と自分のことながら思う。降谷さんが道具を準備してコーヒーを淹れはじめた。この技術はどこで習ったんだろ。動きに無駄がないし手慣れたように見える。だけど、ここでバイトを始めたのは最近だったはず。手馴れてるわけじゃなくて、手慣れてるように見せてるだけなのかなあ。コポコポと音を立てながら淹れられていくコーヒーをじっと見ながら煙草を吸っていると、不意に降谷さんが笑い声を漏らした。

「何かありました?」
「いや、随分と真剣に眺めてるなと思ってさ。お前が何か観察するような時の顔をしているよ」
「だってコーヒーとか自分で淹れませんし。ふる、安室さんがそんな技術を持ってるのが不思議でしょうがなくって」

どこで学んだんですか、と尋ねてみれば「秘密かな」と悪戯っぽく笑っている。その笑顔はここ最近で見慣れた安室透の笑顔だったはずなのに何だか嫌な気がしない。そもそも安室透と降谷零の違いの定義なんてはっきりしてないよなあ。強いて言うなら敬語ぐらいかしら。っていうことは、もしかしてわたしは自分の見慣れぬ降谷さんの一面を安室透だと、偽物だと毛嫌いしていただけってことも……。コトリと目の前に置かれたコーヒーカップの中でゆらゆらとコーヒーが揺れている。いけないいけない。また考えすぎだって言われちゃう。……たしかに考えすぎなんだけど。モーニング用の仕込みをひとまず終えた降谷さんが開店準備で扉の方に向かっていく。それを目で追いながらカップに口をつける。

「おはようございます毛利先生!」

明るく跳ね上げられた声をする方に視線を送ってみれば、そこには毛利一家が三人並んでいた。

「あれ、紗希乃さんじゃないですか!」
「わあ蘭ちゃんおはよう〜制服かわいいねえ」

おはようございますと元気よく近づいてきた蘭ちゃんと相変わらず探る様に視線を寄越すコナンくんに手をひらひら振る。

「コナンくんもおはよう」
「おはよう紗希乃姉ちゃん」
「みんな朝から食べに来たの?」
「そうなんです。ときどき食べに来るんですよ」
「上に住んでるからね!紗希乃お姉ちゃんは随分はやいね?お家遠くないの?」
「いやー、あはは……」
「こらコナン!余計な詮索してんじゃねえ!」
「イタッ!ゲンコツしなくてもいいじゃんか〜!」

まあ開店前からいるとなると想像する状況は限られてくるよね。さっきから何も言わずにカウンターの中でサンドイッチを作っている降谷さんを盗み見ると、やっぱり楽しそうに笑っている。いや、なんかフォローしてくださいって。

「紗希乃さんよかったら一緒に食べませんか?」
「……いいの?」
「むしろお邪魔じゃなければいいんですけど」
「いやいやそんな。お邪魔してもよろしいですか?」
「俺は構わねえが……いいのか?」
「ええ僕は大丈夫ですよ。他の仕込みもありますから相手してやってくださると助かります」
「わーい紗希乃姉ちゃんと一緒だー!」
「君ってテンションの波が激しいね…?」

気のせいだよ、とコナンくんは慌ててジュースを啜っている。そして、突然ぱっと笑顔になった。

「そうだ!ボク、紗希乃姉ちゃんに秘密のお話があったんだ!」
「秘密?」
「そうこの前のお話だよ」
「そんなお話いつしたのコナンくん?」
「きのう公園で会った時!」

ボクと姉ちゃんだけのお話だから蘭姉ちゃんたちに聞こえないところに行こう、そう言ってコナンくんは一番奥のカウンター席に座った。確かに蘭ちゃんたちには聞こえないけど、降谷さんには聞こえそうな位置だ。

「あのさ、きのう警視庁の人から連絡ってきた?」
「警視庁から?」
「うん。犯人逮捕に協力ありがとうってお礼の電話があったんだ!」
「へえ、そうなんだ」
「てっきり紗希乃姉ちゃんにもいってると思ったんだけど……」
「来てるかもしれないなあ。昨日は職場にスマホ忘れちゃってね、今もないの」
「なんだそっか〜。だったらわかんないね」
「うん。残念だけど……」
「……それでさ、その電話で聞いたんだけど捜査が中止になったのって聞いてる?」
「へえ、中止になったの。どうしたんだろうね」
「本当にどうしたんだろうね。なんか、別のところに捜査が移ったらしくて昨日来てくれた刑事さんたちはもうあの事件に関われないんだってさ」
「いくら何でも急ねえ……でも、移ったって言うなら中止ってわけじゃないんじゃない?」
「そうなのかなあ。どこに移ったのかは教えてもらえなかったけど、そんなこともあるんだなあって思ってさ。よくあるのかな、こういうこと」
「うーん。どうだろう。あんまり遭遇したことはないからなあ」
「そっか〜。ごめんね?蘭姉ちゃんに聞こえるとこで話したら、また危ないことしてるって怒られちゃうから……」
「はは。でも危ないことはしちゃダメだよ。あの時だって、たまたま犯人に当たったからいいけど当たらなかったらどうなってたことか」
「ごめんなさい……」

わかれば良し。と頭をぐっしゃぐしゃに撫でてみれば、コナンくんはやめてよー!とバタバタ足を跳ねさせた。

「そういえば悩み事はなんとかなったみたいだね?」
「……なってない、かな?」
「えっ、だって紗希乃姉ちゃん安室の兄ちゃんと、」
「できましたよー、2人とも食べるならこちらでどうぞ」

コナンくんの言葉を遮る様に、降谷さんが声をかけてきた。よかったと一息ついて、蘭ちゃんと毛利さんの座るテーブルの方へ向かう。

「随分と仲良くなったみたいだね」
「そうですかねえ」
「まあ、ほどほどにな」
「はい」

ぼそりと耳元で呟かれて、小さく返事をする。昨日の事件に関するさっきのやりとりはやっぱり聞いていたらしい。あのやりとりでコナンくんは何の情報を得ようとしたんだろうか。

「どうしたの紗希乃お姉ちゃん、はやく食べようよ!」
「はーい今行くよ〜」






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