憧憬/降谷零


ダイヤモンドリリーを添えてC


「やっぱり自分じゃダメらしいです」
「ダメじゃない、これは仕事だよ」
「そっくりそのままお返ししときます」

まるで降参だというように両手を挙げながら帰ってきた山本は、ポケットから取り出したUSBを投げるように渡してきた。中身見たくない……あの人からのダメだしが詰まっているであろうそれを眺めることを想像しただけで胸やけしてきた。あーむり。だめ。誰か助けて。

「山本がダメなら次は風見さんを投入する」
「あの人はあの人で忙しいでしょうに」
「それはそう。だから頑張って!」
「いえ。次は指揮官様をご所望らしいので」
「……あの人はどうしてこう……!」

部下の責任を取るのは上司の役割。部下の不手際を謝罪するのも上司の役割。わかってるわかってる。そして、私が指揮を執ると見栄を張ったのは本人の前である。つまりはお前も顔を出せよな吉川紗希乃って思われてるわけ。うるせーアンタが記憶なんて無くさなきゃこんなコソコソしてないんだわ!なんて口の悪い言葉が思い浮かんではしぼんでいく。

「……すこし休んだらどうですか」
「休んでるよ。ちゃんと定時に帰ってるし」
「帰っても休んでませんよね」
「そんなことない」

山本がスッと指差した先にあるのはキャリーケース2つとダンボールが数箱。素直に顔を上げたのが間違いだったな?そのまま見なかったことにしてパソコンのモニターに視線を戻した。もちろんあの荷物は紛れもなく私の私物であるし、何なら今日のどこかで時間を無理やり作ってレンタル倉庫でも借りて突っ込む予定の物たちだった。夜な夜な詰めては車に運んでいるせいで腰が痛いのは見ないふり。まだ運びきれてない物が家にあることを思い出すだけでため息がでた。

「何を企んでいるのか知りませんけど、吉川さんがその気ならこちらとしても出るとこ出ましょう」
「はい?」
「というわけでよろしくお願いします風見警視」
「えっ風見さん?」

*

近くの会議室に半ば強制的に押し込められ、風見さんが調達してきてくれた有名なコーヒーショップのカフェモカを手渡され、逃げられないよう入口には山本が待機している。

「引っ越す……?!」
「理想は適当な賃貸探すことですけど、事態が事態なのでひとまずわたしの荷物だけ引き下げて、それから、」
「待て待て。どうしてそうなった?イチから説明しろ吉川!」
「えぇー……」
「そこまで面倒くさそうな顔します?」
「だって風見さんが怒るの目に見えてる」
「もうすでに怒ってません?」

カフェモカ選んでくれるとこが風見さんっぽくて少し笑えたけれども、当の本人はピキピキ青筋を立てていた。どうにか丸く収めたいなあ、でもいい案が見当たらないや。悩めば悩むほど風見さんの顔が凶悪になってくし。

「……あの人の退院日正式に決まったんですよ」
「頑張って伸ばして4日後だったな」
「ですです。4日後には帰宅できるわけですよ。さてここで問題です!退院した降谷零さんはどこに帰ることになるでしょうか?ハイ、山本答えて」
「えー……?普通に自宅では……?」
「せいかーい。つまりは私と住んでるマンションなわけです。結婚してるって言ってないのに急に部下と同棲してるって言われたら怪しみません?」
「……他のセーフハウスに連れ帰るのは、」
「いま保有している他のところは生活感なさすぎてバレますね」
「自分が把握してる中でも一番セキュリティがしっかりしてるのは確か今のご自宅ですよね」
「そうそう。記憶が曖昧なあの人をそのへんのセーフハウスに帰すのは心許なくて」

一番手っ取り早くて、バレる可能性が低いのが今の自宅から私の荷物を全部取っ払って一人暮らし仕様にすることだった。潜入捜査を終えて少し広めの家に落ち着くことにしたのだとでも言えばいい。どこに住んでいるかの確認をした時の答えは潜入捜査が終わった頃に使っていたセーフハウスの住所だったから、今はそこを手放しているのでどのみち今のあの人が知らない家に押し込むことにはなるんだけど。

*

通いなれたくない病院のエレベーターにひとり乗り込んで壁にもたれかかる。心配に決まってるし記憶を元に戻せるなら何だってしたい気持ちはもちろんある。忘れないでよって言いたい。だけど、ちゃんと思い出してよって本人にぶつけたところで今思い出せるわけないんだ。いつ戻るかわからない記憶を待ちながら、わたしはいつまで知らんぷりできるんだろう。

目的の階のひとつ下で止まったエレベーターの扉が開く。ぼうっとしていた視界に現れた、見慣れた明るい髪に思わず目を見開いた。

「っ……」
「吉川か。どうした、体調がよくないのか?」
「れ、」

零さん、つい呼びかけそうになって慌てて口を手で抑える。うっかりのレベルじゃない。汗をかいたペットボトルを手にした零さんが不審げな表情でこちらを見下ろしている中、閉じたエレベーターは上の階に静かに昇っていく。

「……冷房に。冷房にちょっと当たりすぎちゃいました」
「仮眠室で寝落ちてたんじゃないか?また家に帰ってないんだろう」
「いえ!ちゃんと帰ってます!」
「本当か?食事は?」
「帰って、食べてます。ちゃんと、ちゃんと……」
「吉川?」

エレベーターが止まる。開いた扉から足を踏み出した零さんの背中を気が付けば押していた。久しぶりに触れるのがこんな形だなんて。頭だけ振り向く零さんと顔を合わせないように私はうつむいた。

「ちゃんとやれてます!これからも頑張ってちゃんとやってみせるので、だから……」

エレベーターの扉が閉まっていく。驚いた顔をした零さんと、彼を探していたんだろう護衛の部下たちが寄ってくるのが見えた。

「心配しないでください」

1階のボタンを押す。早くしまってほしくて閉まるボタンも何度も押した。何度も押しても意味ないんだっけ。お願い早く閉まって。やけに遅く感じるその間、わたし、ちゃんと笑えてたかなあ。扉が閉まり、無機質な音が箱の中に響く。急に膝の緊張感が抜けてしゃがみこんでしまった。こんなんじゃダメなのに。こんなんじゃ何もかもうまく行かないよ。

昇る時はやけに長く感じたエレベーターが今はあっという間だった。誰かが乗るかもしれないから降りないと。1階に止まったエレベーターの扉が開ききる前に立ち上がろうとしたその時だった。開き始めた扉の向こうから、わたしの腕を掬い上げるように誰かの腕が伸びてきた。

「やはり相当参っているようだな」
「えっ、」
「紗希乃さん、大丈夫ですか?」
「新一くん……なんで赤井さんまで?」
「降谷さんが記憶喪失だって聞いて、どれくらい覚えてるかの確認に呼ばれたんだ」
「またアポトキシン飲まないと君の事は思い出せないとおもうけど……?」
「こえーこと言うなって!」
「それより貴方は?なぜ日本に?!」
「ちょうど休暇がとれてな。降谷君の件を聞いてすぐに日本に来たわけだが……」
「そっちに捜査協力の依頼してますけど聞いてません?」
「聞いている。だがな、君たちが欲しがっている情報を持ってそうな対象は現在精神病棟に入院していて取り調べも難航しているところだ」
「なるほど〜」

詰んだ。人生大詰まり。さてどうしたもんか……。しゃがんでいたわたしをエレベーターから引っぱり出した時のまま、赤井さんは腕を掴んでいる。一歩距離を置いてみたけれど、やっぱり腕は捕獲されたまま。

「離したら君は何をするかわからんからな」
「何もしませんが??」

無理やり腕を振り回してみてもガッチリ掴まれては何にもならない。それを苦笑いしている新一くんが眺めていた。

「いや、マジなところ紗希乃さんが変な気を起こさないか心配なんですよ」
「変な気?」
「降谷さんと離婚とか言い出したりしたらどうしようかと思って」
「うーん。その辺は急いで処理しなくても後でどうとでもできるからなあ」
「え?」
「えっ、なに?戸籍の話じゃなくて?」
「いやいやいやマジ?本気?本気で別れる気?」
「向こうが思い出せないのならいつかそうなっても致し方ないよね」
「……君はそれでいいのか?」

わたしは――……




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