憧憬/降谷零


ダイヤモンドリリーを添えてB


「まず身体は経過観察で大丈夫だ。そして記憶の方で現時点で判明しているのは、数年前までの記憶はすべてあるらしいこと。それ以降は断片的な記憶しか残っていないらしく、組織が解体したことも朧気だった。ただ、何を追っていたかはぼんやりして思い出せないが、今回の爆発に巻き込まれたこともわかっている。それで……」
「お前は誰だっけ状態になってるって訳です……?」
「いや。知ってはいるらしいですよ。僕のことを覚えていなかったので、吉川警視の名前を出してみたら知ってるっぽい反応でした」
「ホォ〜、なるほどね。知って"は"ねぇ……」

組織ってアポトキシン以外に記憶操作でもする薬開発してたりする??なんて馬鹿げた考えが口から出そうになった慌てて飲み込んだ。アポトキシン関係は一応秘匿情報の一部だ。風見さんも山本も詳細を知らない。そもそも志保ちゃんそんなこと言ってなかったし、たぶん、本当に普通に記憶喪失なだけ、いや普通の記憶喪失って何。

「ひとまず会ってみます」

入院道具の入ったバッグを持つ手が震えているのを無視して、病室の扉をノックする。やけに大きく聞こえたそれに聞こえた返事はいつもの零さんの声で、開けようと伸ばした手を引っ込めてしまった。

「入らないのか」

中から声がする。起きてよかった。元気そうな声でよかった。わたしの事を忘れてるって本当に?さすがに妻を忘れるのはひどくないですか?まあ、選んで忘れてるわけじゃないんだろうけど。後ろから風見さんが今はやめておくか、と気を遣ってくれて申し訳ない。なんとか意を決して扉を開く。滑らかに開いたドアの向こう側にいたのは、昨日まで眠っていたはずの零さんが、すこし不機嫌な顔をしてベッドに座っている姿だった。

「っ、」

バッグを落としてしまって、慌てて拾いあげた。不機嫌そうだった顔が一瞬緩んで、きょとんとしている零さんと目が合う。

「…………吉川か?」
「答えが出るまで随分長かったですね?」
「覚えのある髪型と違ったからな、すまん」
「わたしって、髪型そんなに変わりました?」
「配属1年目の頃はもっと幼かった気がする」
「……なるほど」

塞いでいた入口から病室の中に進んでいく。ベッド脇にあるパイプ椅子の上にバッグを乗せる。それからできる限り静かに静かに深呼吸をしてから、最大限の笑顔を引き出した。

「意識が戻られて何よりです"降谷さん"。入院に必要な物を届けるように風見さんからご指示がありましたのでこちらに置かせていただきますね。僭越ながら今回の捜査はわたし、吉川紗希乃が指揮官となっております。降谷警視正におかれましては怪我の治療を最優先に後ほど捜査の協力をして頂きたいところであります」
「おい、吉川、」
「何でしょう、風見さん。今朝、上から許可をもらえたので関係者各位に捜査協力と情報提供の連絡は済んでいます。今は返事待ちですし、何名かはわたしの部下を要所で捜査に向かわせています」
「つまり、怪我をしている俺の出る幕はない。そう言いたいわけだな?」
「うーん、簡単に言うとそうです。ただ、単純にせっかくなので休んで頂きたいという気持ちもあります。ね、風見さんそうですよね!降谷さんはずっと働き詰めだったし、休んでほしいですよね!」
「いや、それはそうだが、そもそも、」
「それでは返事がきてるかもしれませんので私はこのあたりで失礼いたします。あ!風見さん、ちょっと書類で確認してほしいところがあるので少しいいですか?」
「え、あ、」
「風見、さっきから挙動不審でどうしたんだ。何か伝えたいことがあるなら―……」
「わたしがちゃんとやれるか心配なんですよねぇ。不出来な後輩で申し訳ないです」
「いや、そんなことはないが、」
「風見さん、会議室抑えてあるのでそちらでお願いしますね!」
「吉川、話を、」
「風見さん!」
「…………わかった」

*

「なんでお前はあそこで隠し通そうとしたんだ〜〜?!」
「……だってムリですよぉ……!!」

風見さんが会議室のテーブルを叩いた音がダァン!と響き渡る。その横で顔を両手で覆いながら項垂れた。

「ねえ、風見さん。わたしの戸籍って降谷になったと思ってたんですけど、もしかして別にそんなことなかったりしません?」
「お前は降谷紗希乃で間違いないから安心しろ」
「そういうのは零さん本人に言われたい……」
「冗談はさておき、どうして本当のことを言わなかった?」
「だって。配属1年目って、最初の最初ですよ。風見さん覚えてます?わたしのことなんて降谷さんが引き抜けって言われてからようやく認識した程度でしょ?」
「ぐっ……!」
「残念ですけど知ってんですよこっちだって。降谷さんから見たわたしへの認識だって、風見さんのそれにちょっと毛が生えた程度です。警戒心の強いあの人がそんな部下と結婚してるって考えたりしますか?貴方は覚えてないかもしれないけどわたしたち夫婦なんですって言われて、そうだったんだー!ってなる人じゃないでしょう」

めちゃくちゃ作り笑い上等な顔で押し切ってしまったから、不審に思われただろう。だけど、記憶がないのは向こうの方だから核心をつくのは難しいはず。だって、今の零さんから見た私はただの新人の部下だもん。

「結婚してるって言わないでください」
「それこそずっと言わないのは無理だろう!」
「いつかばれちゃうとしてもまだ言わないでください」
「結婚していると伝えた方が驚きで他の事も思い出したりするかもしれない」
「嫌です」
「思い出すかもしれないんだぞ?」
「でも思い出さないかもしれないじゃないですか」

「わたしのことを何とも思ってないって零さんの声で言われちゃったりしたら、本気で立ち直れなくなるかもしれないので嫌です」






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