憧憬/降谷零


シュガーレスに傾倒する


窓の外が暗くなってきた頃。風見さんの横で唸りながらもデスクにかじりついていた。あとは公安部から上がってきた報告書に目を通して、今回の総括を報告書を仕上げればおしまいだ。だらしなく椅子にもたれかかりながら、カチカチとマウスをいじった。ふと目に入った圧縮ファイルを解凍してみると、懐かしの降谷さん集が現れる。あー、懐かしー。この写真出会ったばっかの頃だ。えりあし今よりちょっと長かったっけ。……えりあし……えりあしかぁ……。ふと思い出したのは、この前のあの夜だった。そうだ、耳元にあの人の口が寄せられて、あの人のえりあしが……。

「うあああ」
「何をやってるんだお前は」
「悶え苦しんでいます」

いつも通り呆れている風見さんを横目に、若かりし日の降谷さんのファイルを引っ込めた。やめよやめよ。徹夜続きの今の精神衛生上よくない。何だか実際にあったことプラスアルファで色んなことが追加されていってる気分だ。ちがうちがうそんな夜じゃない。あっ、夜とか言うからなんかアレなのかもしれない。いやでもあれは夜だった。

「……お前、大丈夫か?」
「どう見えます?」
「大丈夫そうに見えない」
「でしょうね。大丈夫じゃないです」
「お前が降谷さんの写真を見るのをすぐやめるなんて……」
「わたしだっていつもあの人を追いかけてるわけじゃないですよ!」

こんな時ばっかりだけど、風見さんみたくなりたかった。定時連絡は面倒だけど、信用されるだけの部下になりたかった。それ以上もそれ以下にもならないような信用さえあればあの人の側にいれるのに。

「風見さんになりたい……」
「は?」
「いや、別に貴方の苗字になりたいとかそういうことじゃなくて、風見さん的なポジションにいたいってだけで、いやでも昇進すればなれるような場所なんかじゃなくて、ええーっと……」

ごたごたと言葉を並べるわたしを面倒くさそうに眺めた風見さんは、小さくハアと溜息をついてから、手元にある書類をトントンと揃えた。

「言葉なんて選んでるからまどろっこしいんだろう」
「……」
「選ばずそのまま言え」
「…捨て置いてもらえる存在でいたいんです」

命を狙われる、若しくは何かに巻き込まれて命を落とすのは黒の組織に関連する案件だけじゃない。だけど現在の日本にいる最も危険だと思われる組織であることには違いない。わたしが組織関連の仕事に関わらせてもらえないのは、わたしが組織に近づくのが嫌だから遠ざけてたんだろう。自惚れでも何でもない。降谷さんが車の中で言ったことそのまんまだ。『未熟なのはお前じゃないよ』というその後に真意を問う必要もなく、答えが降ってきたわけだけど。

「わたしが男で風見さんみたいな人間で降谷さんの部下だったなら、もしも覚悟を決めなくちゃいけない場面になってもちゃんと放っておいてくれるはず」

最悪の結末を迎えたとしても、あの人が同朋の死を悼むだけで終われる。それはそれで心を痛めるには違いないのだけど覚悟の上での結果だ。けれど、

「あの人の懐に入ってしまったら、何度覚悟を重ねても悲しませてしまうだけなんじゃないかって思っちゃうんですよ」

お前も何だかんだ考えてるんだな、なんて失礼なことを言う風見さんに仕返しの意味をこめて、さっき整えていた書類をなで繰り回してばらばらにしてやった。「お前はすぐ子供っぽいことするんじゃない!」と頭を叩かれた。

「そもそも、その答えを出すのは吉川じゃないだろ。お前はしたいようにやってればいい」

答えを出すのは降谷さんだ。と言い切られてしまい、さらに胸の内がぐるぐると渦巻きはじめる。わかってはいるんですよ、ちゃんと。わたしはただ一人よがりに考え込んでるだけ。『どうしてそんな、自分で決めつけちゃってるわけ?』そんなの簡単だよ、逃げ道を確保するために蓋してるだけだよコナンくん。

「……ちょっと一服してきまー……す?」
「どうした?」

あれ。この部屋わたしと風見さんしかいなかったよね。それで、冷房切るから冷気逃げないように扉はキッチリ閉めましょって随分前に会話した気がする。それなのに少しだけ開いてる。まさか、

「っ……」
「おい急に走り出してどうした」

吉川!と後ろから声がするけど、構ってられない。ヒールが甲高い音を立てて悲鳴をあげる。それでも止まってなんかいられない、絶対あれは……エレベーターが到着するベルの音がする。暗いフロアへ零れるエレベーターの光の中にあの人を見つけた。

「ふっ、降谷さん、!」

持てる力を振り絞ってエレベーターに飛び込む。挟まる!そう思った時、伸ばした右手を引かれて抱きとめられた。

「走って飛び込むなんて正気かお前は!万が一怪我したらどうするつもりなんだ!」
「ふ、ふぁい」

抱きしめられたまま上から飛んでくる声に返事すると、ずるずるとエレベーターの壁にもたれるように降谷さんが座りこんだ。抱きしめられたままだから当然わたしも膝をつくように座り込むしかない。行き先ボタンの押されていない扉のしまったエレベーターは扉が閉まったまま、そこに佇んでいた。

「……さっきの顔は心臓に悪すぎる」
「顔、ですか」
「まるで危険が迫っているようで 思わずヒヤリとしたね」
「だって降谷さんが行っちゃうから……」
「別に逃げるつもりなんてさらさらないんだけど」
「うそつき。だったらさっきドア開けたなら中に入ってくればよかったのに」
「……」
「どこから聞いてたんです?」
「さあ。何も聞いていないよ」

そろそろ姿勢がきついんだけどなあ。「あ、」と小さく零せば少し緩む降谷さんの腕。もぞもぞと自分の腕を伸ばしてお目当ての場所をわしっと掴んだ。

「一体どうしたんだ?」
「えりあし、また少し伸びてきたなあと思いまして」
「へえ……てっきり今度は、」

そっちからしてくれるのかと思った。そう言って、えりあしを掴んでいた手をゆっくりほどかれる。あ、これやばい。また……

ピンポーン

「いちゃつくなら帰ってからにしてもらえますかね」
「ひいっ風見さんっ」
「はは、悪い悪い」

軽い音と共に開いたエレベーターの扉の前には眉間に皺をしっかりと刻んだ風見さんが、腕を組んで立っていた。それもわたしの鞄を手に持って。慌てて立つと、鞄をぽいっと投げられる。後ろで降谷さんも立ち上がったのがわかった。

「報告書のデータ保存しといた。明日朝イチで出せ。それと、さっきの圧縮ファイルは消しておいたからな」
「ええ!若かりし日の降谷さんが…!」
「本物がそこにいるんだからいいだろうが!!それと降谷さん、定期報告は通常通りで」
「ああ、いつもすまない」
「いえ。そこの馬鹿をどうにかしてやってください。徹夜続きでイカれてるので」
「イカれてるって、そんなの風見さんだって、」

あ?と威嚇しながら風見さんが手だけエレベーターに突っ込んで1階のボタンと閉まるのボタンを押した。

「余計なこと考えてないでさっさと寝ろ、子どもが」

うすら笑う風見さんがエレベーターの扉で見えなくなる。静かに動き始めたエレベーターでは降谷さんの押し殺したような笑い声だけが響いていた。

「お前は風見にはなれないな」
「……!…やっぱり聞いてたんじゃないですか降谷さん!」





シュガーレスに傾倒する

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