憧憬/降谷零


大体予想通りのはなし2 ★


できれば行きたくないとごねてはいたものの、どこかで諦めていた様子の紗希乃さん。警視庁で事情聴取から逃れられないと分かったら、大人しくついてきてくれた。普段は彼女の車で移動しているけれど、今日はたまたまバスでここに来ていたようだった。……本当にたまたまかはわかんないけどな。空いてる小会議室での簡単な取り調べになったから、机越しに向かい合う千葉刑事と紗希乃さんを俺は横から見る形で椅子に座っている。あくまで参考人といったところかな。

「そういえば、生まれたこと言ってなかったね」
「そもそも吉川、結婚してたのか……?」
「そこからだっけ。数年前にしたんだよね」
「数年前?!きみ確か、安室さんと……いや、本名は確か違ったんだよな。話でしか聞いてないけど、確か降谷さん……だっけ?」
「そうだよ、正解。わたしは今では降谷だし、この子も正真正銘降谷との子です〜」

正面を向くように膝の上で抱え直された千景ちゃんは相変わらずイカのおもちゃを涎でべしょべしょに濡らしていた。知らない人に囲まれてるからか不機嫌そうな様子も続いてる。前に探偵事務所で会った時は人見知りしてなさそうだったけどな……?千葉刑事を見ながらちょっぴり険しい顔をしてる千景ちゃんに紗希乃さんはおかしそうに笑ってる。

「そう言われると安室さんにそっくりだなその子」
「でしょ?女の子は父親に似るってよく言うよね」
「プピーッ!」
「ふふ。機嫌が悪いねぇ」
「さっきオムツ替えたばっかなら、お腹空いてるとか?」
「それもあるんだろうけど、きっと、私がここ来るの嫌がってるのがわかってピリピリしちゃったんだよね」

ごめんねもう大丈夫だよ、と笑う紗希乃さんを見上げる千景ちゃんは不思議そうに首を傾げる。それから、もにゃもにゃと何かを一生懸命話して訴えていた。

「ちょ、この子喋ってないですか?!こないだまで、うとかばとか一文字しか発してなかったのに!」
「最近いろいろ真似して喋るんだよ。ハッキリと言葉にはなってないけどね」
「子供の成長ってはえーんだな……」

思わずしげしげと眺めてしまい、大きな瞳と視線がぶつかる。ぷっくり膨らんだ頬がすげー気になる。赤ちゃんって普通泣くじゃん?なのにこの子は頬を膨らませてぷりぷり怒ってるだけだ。本当に赤ちゃんなのか……?バカみたいなことを考えているうちに大きな目がゆらゆらと潤みだしてきた。さっきまでの大人しさはどこへやら。大きな声で泣き始めた。びっくりして椅子から転げ落ちそうになる。背中をやさしくたたきながらあやす紗希乃さんの努力も虚しく、のけぞるように泣き叫ぶ赤ん坊に俺も千葉刑事もなす術がない。事情聴取なんか欠片も進まず、ただただ泣いてる赤ちゃんに右往左往する俺ら。警視庁内で耳にする機会なんか滅多にない泣き声に廊下がガヤガヤと騒がしくなってきた。

「ごめんねぇ、パパに会いたかったんだよね〜」

……パパに会いたかった?彼女が千景ちゃんにかけた言葉でピンときた。何か調べてるのか聞いた時に否定していて、事件が起きるまでずっと動かずにあの場に留まっていた紗希乃さん。もしや二人は、

「ねえ、紗希乃さん。もしかして紗希乃さんたちって今日……」

廊下のざわつきが強くなり、泣き声に困りつつも慣れてきてしまった俺と千葉刑事の視線が自然とドアの方に向かう。コンコン!とやや強めのノックの音は千景ちゃんの声にも負けてなかった。

「やっぱりここだ!って、その子すごい泣いてるじゃないか」
「た、高木さん……?!」
「取調室じゃなかったから探すのに時間がかかっただろ、千葉くん」
「一体どうしたんです高木刑事?」
「工藤くんも来てたんだね。吉川さんに用がある人が来ていて探してたんだよ」
「……わたしですか?」
「そうそう。一緒に来てもらおうかと思ったけど、その子すごい泣いてるなあ。呼んできた方がよさそうかな……それにしても本当に似てるなその子……」
「高木刑事?」
「いや〜、吉川さんと結婚して子供がいるって聞いたけど、実際に目にすると感慨深いというか。あっ、呼んでくるから待っていて下さい」
「呼びに来なくても大丈夫ですよ」

ノックはしたのか消えたのか、ガチャリと開いたドアと共に聞こえた声の主は何年も前に潜入していた喫茶店で見た表情を浮かべて現れた。

「降谷さん!」
「やあ、新一くん。この間ぶりだね。千葉刑事もご無沙汰してます」
「どうも安室さん……じゃなくって降谷さん……?」
「ええ。改めて、降谷零と申します。今日は妻と娘が世話になったようで」
「いえいえそんな……!」

泣き続けている千景ちゃんを抱っこしていた紗希乃さんはポカンと口を開けている。背中を撫でていた手も止まって、パチパチと瞬きを繰り返していた彼女の表情がみるみるうちに明るくなっていく。……こんな風に笑う紗希乃さん、初めて見たかもしれねえ。

「千景〜ほら、笑って笑って!パパ来てくれたよ〜」
「う〜〜!」
「そう!パパ!本物!立体的でしょ!」
「悪かったな、間に合わなくて」
「ううん。たぶん無理だろうと思ってたし。というか今は大丈夫です?」
「まだ少しあるけど今日は帰れそうだよ」
「ほんと?!良かったねぇ、千景、今日はパパ帰ってくるって〜」

さっきまでものすごい音量で泣き叫んでた千景ちゃんが、完全にとはいかないけれども大人しくなっていた。ぐずぐずと泣いてる娘を自然な流れで受け取った降谷さんは、慣れたように抱きかかえている。この前、うまくいかないなんて言ってたくせに全然そんなことないよなあ。

「娘が騒がしくしてしまってすみません。外に出てるので事情聴取の続きをどうぞ」
「お気遣いありがとうございます降谷さん」
「隣りの部屋開けましょうか。廊下が何やら騒がしいですし」
「そうだな……また大泣きしたら皆さんに迷惑でしょうし、有難く使わせて貰います」
「ええ是非。鍵を取ってきますのでそれまでは待っていてもらえますか?」
「もちろんです。紗希乃、鞄も預かるよ。オムツは?」
「ありがとう。1時間前に変えたから大丈夫。きっとお腹空いてるからおやつあげてほしいな。いつもの袋に入れてるから」
「わかった」

それじゃあ、と高木刑事と共に会議室を出ていく降谷さんを俺と千葉刑事はまじまじと眺めていることしかできなかった。よかった〜、とほっと一息ついてる紗希乃さんは困った顔はなりを潜めて、とてもにこやかだった。

「紗希乃さん、ショッピングモールにいたのって降谷さんのこと待ってたんでしょう?」
「そうなのか?」
「お、よくわかったね。その通り〜」
「隠さなくてもよかったじゃん」
「だって来れないだろうなって思ってたから」
「……今日は帰ってくるって言ってたけど、あの人はあんまり帰れてないのか?」
「ここ1か月半くらい忙しくってね。今日も本当はお休みで、千景が最近はまってるアニメのショーを見せに行こうかって話になっててさ。あそこで合流予定だったんだよね。まあ、普通に仕事抜けれないから待っててもしょうがなかったんだけど……」
「大変だな……。降谷さんの所属は吉川と同じところなんだろ?」
「そうそう。どんな仕事かは予測がつく分、無理だけしないでくれればって感じなんだけど、子供はそうじゃないからね」
「見た感じ大丈夫そうでしたけど……本人が気にする必要ないくらい千景ちゃんは降谷さんのこと好きでしょ」
「そりゃそうだよ。わたしが家でずーっとあの人の話してるから、忘れないしちゃんとパパだってわかってる。つまりは私の努力の賜物です!」
「努力の賜物……?」
「そうなの。だってさあ、わたしと零さんは月単位で会えないのなんてよくあることだったけど、その形に子供を当て嵌めるのって無理なんだよほんと。1か月会わないうちに何やら話し始めてるし、何なら掴まり立ちして手引きでなら何歩か歩いちゃうくらいだし。そんな急速に変化していく中に姿が無かったら、そりゃあ忘れられてもしょうがないなって思って」
「それで降谷さんが忘れられないようにってわけか」
「そうそう」
「まぁでもさ、紗希乃さんも寂しかったんでしょ」
「へっ?」
「だって、さっきの紗希乃さんの顔すごかったよ。嬉しいが前面に出てましたし」
「……そんなに?」
「確かにめちゃくちゃ喜んでた気がする」
「そりゃ、まあ、嬉しいに決まってるじゃない……?」

ぼそぼそと肯定する紗希乃さんは恥ずかしいのか視線があっちに行ったりこっちに来たり。昔から降谷さんのことを好意的に見ている姿は目にしたことがあったけど、惚気らしい惚気は初めて見たかも。隣りの部屋から聞こえる何度目かわからない千景ちゃんの泣き声に、全員はっとした。早く終わらせてやんないとな。

「……そうか。千景ちゃんはさ、吉川が降谷さんのことを話している時が好きで、吉川が降谷さんに会うのを楽しみにしてるのが嬉しくて、会えないと悲しんでるのが嫌だったんだな」
「え、なに急に」
「完全なパパっ子になってたら今もこうして泣き叫んでないだろうなと思って……」
「パパっ子だろうが何だろうが泣くときは泣くんだよ……」




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