憧憬/降谷零


満月迷宮E


大きなお月様。きっと真っ暗闇なら白に見えて、真昼間だから黄色く見える。何かがわたしを急かすから、そのまま前に駆けだした。わたしは死んでるかと思ったけど死んでなかった。死んでないなら、なんとかできるしなんとかするしかない。道なんて目の前になくって、ひたすら大きな満月を目指して走り続ける。こっちだって自信があるのは、わたしを送り出してくれたスコッチと、名前の知らない人たち……そして、お父さん。わたし夢でも見てたのかな。臨死体験?それとも走馬灯?どちらにしても向かう先はひとつ。わたしを待ってるあの人のところ。みんな、アイツってばかり言うんだもん。スコッチに言われなきゃわからなかった。大丈夫、ちゃんと帰りますよ。だからわたしのことちゃんと待っててくださいね、

「零……さん?」

真っ暗な部屋に見えたふたつの月。一方は窓の外で輝いて、もう一方はわたしの傍で輝いてる。揺れたもう一方の月……というか、零さんの頭が大きく揺れた。

「紗希乃?!」
「はい……紗希乃で、ぎゃあ、零さん苦し、首が!」

わたしがどれだけ喚いても、力強く抱きしめられるだけで、零さんはうんともすんとも言わない。痛いですってギブギブ!そんな強く抱きしめられたらお腹の赤ちゃんが……赤、ちゃん……?!

「待って待って零さん、お腹なんか変!赤ちゃんどうなってます?!」
「生まれた。元気な女の子」
「あっ、よかった〜……」

姿勢を変えることなく零さんが淡々と答えてくれる。なるほど、体中がだるくってしょうがないのはそういうわけか……。どこか他人事に感じてるのは陣痛が始まった後あたりからの記憶が朧気だったから。わたしをきつく抱きしめてる零さんの身体が、ちょっとだけ震えてるように見える。身体はだるいけど、がんばって腕を伸ばして零さんの頭を撫でてみた。

「俺とあの子を遺していなくなってしまうかと思ったんだ」
「わたしはいなくならないですよー」
「わからないだろ。一時は危なかったんだ」
「でもちゃんと戻ってきました!」
「遅いよ」
「うっ、心配かけてごめんなさい……」
「冗談さ、頑張ってくれてありがとう。生きててくれてよかった」
「うん……たぶん、色んな人が助けてくれたから帰って来れた」
「色んな人?」
「そうなんです。えっと………なんだっけ?」
「はあ?」
「色んなこと約束したことは覚えてるんですけど、誰としたかがわからない?」
「どんな約束?」

身体を離して、うーんと考える。目尻がほんの少し濡れてる零さんを見て、思い出したのはみんな零さんのことを頼んできたなぁってこと。言っちゃおうか、秘密にしておこうか……。

「あ、おおきい満月」
「話を逸らすにしてももっといい方法があると思うんだが」
「いや〜なんか満月見たなって覚えが……あぁ、あと、桜!」
「桜?」
「そう、それで……なんかみんな春でしたね。それと桜……桜……」
「花見でもしたのか」
「花見!そういえば、長野に桜の名所があるって聞きました」
「……」
「零さん?」
「いや、何でもないよ。それで?」
「何人かいたんですけど、みんないい人たちでした」
「手荒な真似をする奴とか軟派な奴とかいなかったか?」
「うーん、いなかったかも?」
「そうか」
「やさしい人たちばかりでしたよ」
「ならよかった」

安心したように零さんが笑うから、何となく気が張ってたのが緩んでさらにだるく感じてきた。わたしの娘はきっと新生児室とかで眠ってるんだろうな。今すぐ会いたいけど身体がボロボロすぎてそうも言ってられない。

「どっち似でした?零さんに似てくれたら嬉しいんだけど……」
「流石に生まれたての子は判断が難しいな。まぁ、今の所鼻のあたりは俺かな」
「目!目は?!」
「あいてるところはまだ見てないんだ」
「いま夜中ですもんね……」

満月の夜は子供が生まれやすい。まさにその通りのタイミングで我が子は産まれた。あの世なのか走馬灯なのか夢なのか、イマイチ判断しきれないあの出来事が偶然起きた出来事だったのだとしたら、うちの子はなかなかに強運を背負って生まれてきたんじゃないのかなぁ、なんて思ってみたりする。零さんがパパだなんてすごいよね。夫にしてるわたしが言うのもあれだけど。

「ふふ、待っててくれてありがとう、零さん」
「君こそ、帰ってきてくれてありがとう」




満月迷宮E

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