憧憬/降谷零


満月迷宮D


「お、ようやく目が覚めたか」
「……え?」
「あんまりぐっすり眠ってるもんだからさ、焦ったよ」
「………貴方、潜入捜査官の、」
「知ってるのか?流石だな、俺の顔なんて相当上のとこにしか残ってないだろうに」

警備企画課のいつものデスクの隣りに、データで見た顔がにっこりと笑ってる。確実に偽物で間違いないのだけど、耳も目も、警察庁に残されている最低限の情報の全てに一致していて驚くばかり。どうして?スコッチ……諸伏景光は既に命を落としてる。

「偽物かどうか疑ってるな」
「……例の組織に潜入時のコードネームは?」
「スコッチ」
「本来の所属は?」
「警視庁公安部」

ためらいなく答えられていくことは情報として拾うなら、ギリギリ拾えなくもないライン。とはいえ今目にしようとするとかなり奥に入らないといけないんだけど……

「君も知ってるだろうけど、俺は潜入捜査中に死亡しているんだ」
「……場所は覚えてる?」
「ああ。米花町にあるビルの屋上で例の組織からの追っ手に情報漏洩することを懸念してスマホごと心臓を撃ち抜いた」
「その場にいた人間に殺されたんじゃないの?」
「違うよ。あれ?君は知らないんだっけ……」
「その場に誰かいたでしょう。その人物のことは覚えてる?」
「ああ。コードネームはライ。死ぬ間際に聞いた名前はFBIの赤井秀一。奴には死ぬのを留まるように言われたがそうも言っていられない状況だったから自死した」
「………」

淡々と語られるスコッチの話は以前沖矢昴から聞いた話と一致してるし、何より潜入中にFBIの存在を知っていたのなら警備企画の方に報告をいれるはず。ってことはこの人は本当に諸伏景光ってことになる……なる?なるわけないよね?だってこの人は死ん、

「えっ、わたし死んだ?」

立ち上がって周囲のデスクを漁ってみる。知ってるデスクに、知ってるパソコン。デスク上に飾ってる物だって……あれ、こんなのだったっけ。警備企画課をぐるりを見渡す。誰もいない。今は夜で、残業してたんだっけ?窓際に駆けて行って、ブラインドの隙間から外を見た。とっても明るくて満開の桜が咲き乱れてる。何か違う。でも、何が違うのかはっきりわからない。

「死んでないよ」

苦笑してるスコッチの顔を見たらなんだか力が抜けて、すとんとその場にへたり込んだ。死んでないってじゃあこれは夢?

「君に死んでもらったら困るんだ」
「わたしも困ります、だってまだやりたいことたくさんあって」
「そうだろ?」
「やらなきゃいけないこともたくさんあって、」
「それはまあ、誰かがやってくれるだろうけど」
「わたし、まだ……」
「大丈夫。ちゃんと送ってくから」

さあ、立って。スコッチに言われるままになんとか腰をあげた。なんだか、何度も誰かの隣りを歩いていたような気がする。いつもの廊下に繋がるドアを開けば、目の前には桜並木が続いていた。

「綺麗だよな。だけど、本当に綺麗な桜はここに無いから」
「おすすめのお花見スポットはあります?」
「長野に桜の名所がたくさんあるんだ」
「へえ、長野……行ったことないなぁ」
「あの子がもう少し大きくなったら家族みんなで行ったらいいさ」
「……あの子?」

ひと際おおきな桜の木の目の前で止まったスコッチにぶつからないように、わたしも止まる。おおきなおおきな木の上には真昼間だっていうのにこれまたおおきな満月が見える。

「見て。とっても大きい月があそこに……あれ?わたし、いま誰に声かけたんだっけ……」

月を指差して振り向いたけど、そこには誰もいない。おかしいな。いつもみたく誰かに話しかけただけだったのに。誰だっけ。

「ちょっとの間忘れてたとか言ったらアイツは拗ねるだろうから秘密にしておいた方がいいと思う」
「拗ねる……?」
「まあ拗ねたら拗ねたで、馬鹿な奴だなぁって俺らは笑えるだけなんだけどさ」
「はあ」

桜の大木の後ろで何かが光った。なんだろう、覗いたら見えそうだけど。一歩近づいて、覗き込んだ。その先はぐるぐる白く渦巻いている。ハッとして振り向いたら、スコッチとわたしの間に見慣れてしまった白い靄が浮いていた。

「ずっとそばにいてあげてほしい」

輪郭はぼやけていくけれど、声だけはハッキリと辺りに響いてる。

「君ならゼロとずっと一緒にいられるからさ」




満月迷宮D

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