憧憬/降谷零


満月迷宮@


「満月や新月の晩って子供が生まれやすいらしいよ」
「へ〜そんなことあるんだ」
「我が妹ながら随分と呑気ね」
「まあそろそろ出てきてもおかしくないし、満月の日に生まれたんだとしたら思い出深くなっていいかなって感じ?」

とは言っても今晩出てくるってなったらせめて夜中とか明け方にしてほしいな。零さんが会議のせいで帰りがすこし遅くなるそうだし。大きくなったお腹を抱えて、よっこらせと立ち上がる。うちにお茶をしに来た姉のおかわりを淹れてあげよう。

「……あれ?」
「ねえ、まさかとは思うけど」
「………うちの子随分とせっかちみたい……?」
「寝てな!」

わあ、さすが経験者。入院セットを手繰り寄せながら、わたしのかかりつけの産院の番号を探してる姉。何分間隔か計るんだっけ、お腹痛い。どうするこれ零さんに今連絡すべき?!とりあえず、「うまれる」とだけメッセージを送信し……ぎゃあ間違えた風見さんに送ってる。零さんに……ちょ、返信早いんですけど風見さ、うううお腹痛い!だから!零さんに!送りたかったんですってば!!!


*

強い風が地面を掬うように巻き上げた。小さな花びらが空から高く舞い続けている。遠くからざわざわと騒がしい音が聞こえたかと思えば、目の前の景色ががらりと変わった。

「……お祭り?」

行き交う人たちは皆飲み物や食べ物を手にしながら楽しそうに歩いていて、すぐ傍には出店が一直線に並んでる。ずっと降り続ける花びらは、桜。……これ、近所でやってた桜祭りだ。いつお祭りなんて来たんだっけ。ていうか一人で来たことないはずなのにどうして独りぼっちなんだろう。……わたし、誰とここに来たんだっけ?ざり、と砂を踏んだ音を鳴らすのは小さい頃に履いていた赤い靴。風で揺れるお気に入りだったスカートと、お姉ちゃんのお下がりのブラウスはお出かけの時によく着てた。

「紗希乃」
「……お父さん?」

呼ばれて振り向いたらすぐそこにお父さんがいた。なんだ、そっか。わたし、お父さんとお祭りに来たのか。頭に桜の花びらが降り積もってたのか、お父さんに頭の上をゆっくり払われる。あんまり長いこと撫でるから、うっとおしくなって、大きな手から逃れるようにして逃げた。

「遠くに行っちゃダメだぞ」
「いかないもん。だって、このお祭りそんなにおっきくないじゃん」

小さな公園のお祭りだから、たいして大きくもないし派手でもない。見知った近所の人の顔ばっかり揃うそこで毎年のようにボールをすくったり綿あめを買ったりしてた。きれいな看板が目立つボールすくいの屋台の前に行く。お父さんの知り合いの人が毎年やってるってお姉ちゃんに聞いたことがある。知らない人じゃないし、いいよね。きらきら光るボールの浮かぶ水槽の前に着いて、お店の人を見た。……あれ?いつもの人じゃない。

「紗希乃」
「お父さん、いつもの人お店やめちゃったの?」
「やめてないよ。今年もお店は出してるとも」
「えぇー?だって、そこの人ちがうのに、」

おいで、と手を引かれて、ボールすくいの屋台を後にする。何も言わないお父さんは怒ってるわけじゃないだろうけど、なんだかいつもと違って変だった。綿あめ屋さんを見つけて、お父さんの手をほどいて駆けつける。ピンクの綿あめ……袋も可愛い。いいなあ。ボールすくい我慢したし、綿あめくらいいいよね。屋台のお姉さんが袋に入ってない別な綿あめを差し出して来た。わたしが欲しいのはそれじゃないよ。……え?いいの?くれるの?

「紗希乃、食べちゃダメだよ」
「んも〜お父さん、さっきからダメってばっかり!」
「ごめんね。だけど、食べちゃダメだ」
「なんで?」
「そろそろ迎えが来るから、もう行こう」
「迎え?お母さんとお姉ちゃんも来るの?」
「二人は来ないんだ」
「どうせ、お父さんとわたしを置いておでかけしてるんだ」
「そうじゃないよ。二人は待ってるよ」

結局綿あめは食べられなくて、またまたお父さんに捕まった。迎えが来るからと言ってゆっくり歩くお父さんに大人しくついていく。

「誰がおむかえくるの?」
「父さんも詳しくは知らないんだけどね」
「えーっ、変な人じゃない?」
「変じゃなかったよ」
「会ったことあるの?」
「実はあるんだ」
「ふーん」

屋台が無くなって、ざわざわした人だかりも遠くに行って、なんだか静かな所に来た。相変わらずふわふわと桜の花びらは舞ってる。あれ、とお父さんが指さした先にはスーツを着た男の人がいた。

「お待たせしてすみません」
「いえいえ。こちらも先ほど用意ができたばかりなのでご心配なく!」
「おじさん誰〜?」
「おじ、おじさん?!」
「おじさんじゃないの?」
「これでもまだ20代なんだよ……」
「まあ、子供からしたら20代もおじさんですからね」
「そんなもんですか?」
「そんなもんでしょう」

お父さんとおじさんが何やら二人でひそひそ話をしてる。ちょっと落ち込んでるおじさんは、全然見たことがなかった。たしかに変な人ではないみたい。おじさんの横に並ぶように言われて、ジャンプするみたいに移動してみた。振り向けば、お父さんは一歩も動いてない。ふわふわ舞ってた花びらが、絵でも見てるみたいにピタリと止まってる。

「それじゃあ、紗希乃。元気でやるんだよ」
「……お父さんは行かないの?」
「ああ。この人と帰るんだよ」
「なんで?お父さんも一緒にお家に帰ろう?」
「一緒には行けないけど、いつも見てるから」
「お父さん?!」

お父さんとわたしたちの間に靄がかかったような壁ができていく。だんだんと視界を覆っていく白にお父さんが消されてく。

「彼によろしく」





満月迷宮@

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