憧憬/降谷零


追憶★


やさしく微笑む君を見てとても愛おしく思った。いつでも味方でいてくれる君を見てずっと傍にいてほしいと思った。君と共にこの先の人生を歩んでいきたいと、家族になることを望んだ。二人だけでの人生にも魅力はあって、必ず子供ができることを望んでいたわけではなかった。しばらくは二人だけで生活してみたい、その考えは彼女も受け入れてくれて、結婚してから数年二人だけで過ごしてきた。そんな世界が、今ではぐるりと大きく変わっている。

「千景」
「う?」
「……!」

娘が返事をしている……!腹ばいでこちらを見上げる娘が不思議そうにしているのを見て、思わず笑ってしまった。名前を呼んで返事をしているなんて俺の想像でしかないんだろうな。けどね、タイミングよく声を出してくれたものだから返事をしてくれたと都合のいいように俺は思っておくよ。隣の部屋で風見と電話をしていた紗希乃が戻ってきた。姿を現した母親に、千景の瞳がキラリと光る。俺の存在なんてなかったみたいにあっという間に紗希乃の所へ勢いよく寄っていく。

「追いかけるスピードが上がったんじゃないか?」
「やっぱり?ちょっと離れるだけで猛スピードではいはいしてくるんですよねえ」
「さっき名前呼んだら、タイミングよく声出してくれてさ」
「おお〜、お返事したのでは?」
「声に反応しただけだと思うけど、そうだったら嬉しいな」

紗希乃の足元で座っている千景を抱き上げようとするとぐずり始めて、結局紗希乃が抱き上げてあやすことになった。

「どうやったら覚えてもらえるんだ……?!」
「覚えてないわけじゃないと思うけど……」
「抱こうとするとすぐ泣くのに?」
「うーん。でも、興味がないわけじゃないから大丈夫!」

涙の粒が目じりに付いたまま、ちらりとこちらの様子を伺う千景。確かに、見てくれはするけども。カラカラ音の鳴るおもちゃを目の前で揺らしてみたら、それに気をとられて当然こちらには目もくれない。

「数年ぶりに安室透を復活させてみたらいかがでしょ?」
「いや、ニコニコ笑うだけでいいのならこんなに苦労はしない……!」
「でも子供の扱い上手でしたよね」
「言葉が通じるかどうかってかなり大きいぞ」

おもちゃへと手をのばす娘のぷくぷくした頬をつついてみても、おもちゃに気を取られてこっちには一切見向きもしない。世の中の父親が娘に構いすぎて嫌われているのが理解できなかったが、今となっては分かる気がする。一緒に服を洗わないように言われるのだけはごめんだ。昼寝用に床に敷いた子供用の布団の上に座らせてから、紗希乃が離れる。ぐずるかと思ったけど、なんとか持ちこたえたようだった。果たして俺が寝かしつけられるのか。座ったままの娘を横たわらせても、あうあう言って寝てくれない。頼む、寝よう。俺も寝るから。一緒に横になって、千景のお腹をゆっくりトントンたたいた。

「ふふふ〜、とってもいい光景……」

後ろに座って、俺の背中に隠れるようにこっそりと千景を覗いている紗希乃が楽しそうに笑っている。やっとうとうとし始めたところで反対側に行くと起きてしまうからなんだろうけど、下手くそなかくれんぼをしているみたいだ。全然隠れてなんかなくって面白い。

「寝ました?」
「寝たな」

わーい!と静かに反対側に向かった彼女は実に嬉しそうで、千景を挟むように二人で横になった。

「今はまだ、千景には難しいかもしれないけどちゃんとパパだってわかってくれますよ」
「そんなものかな……幼い頃の父親の記憶はあるか?」
「朧気ではありますけどね。具体的なエピソードは曖昧だけど、可愛がってくれたことは今でもちゃんと覚えてます」
「俺は全く覚えてない」
「わたしはむしろ幼い時しかいませんでしたからね〜。だから覚えているのかも」

幼少期に父親と死別した紗希乃は、悲しいけれど可哀そうではないからといつも何でもないことのように父親のことを話す。ずっと一緒にいるつもりでいるけれど、人生何があるかなんてわかったもんじゃない。だったら、尻込みなんてしていられないか。

「先輩パパさんのアドバイスをもらうってのはどうかなあ」
「うちの連中は皆悪いアドバイスしかもらえなさそうだな」
「いやいや〜口で言うのと実際とじゃ違いますって。まあ佐藤さんは娘さんに洗濯物を別で洗う宣言されたって嘆いてましたけど」
「宣言までされたのか……?!」
「あはは!千景で想像しましたね?大丈夫ですよぉ、零さんならそんな風に言われないって」
「わかんないだろ、そんなの」
「拗ねない拗ねない。そうですねー、他に先輩パパといえば……誰だろう……。誰かいません?理想の父親像に近いひと」
「理想の父親か……」

理想の父親とはどんなものだろう。思えば、実際に父親であっても父親らしさを感じる人物とはあまり出会ったことが、

「……あったな」
「ん?誰かいました?」
「ああ。君も知ってる人だ」
「……どなたです?」
「普段は父親ぶっていないのに、いざとなったらちゃんと素直に父親でいられる人、かな」
「それって、」

迷惑をかけたから、利用してしまったから、本来関わり合うことのなかった元の関係に戻ろう。そう思って例の組織の壊滅後に遠ざかけていた人たち。

「今更会いに行ったら困らせるかな」
「不幸せな報告で会いに行くなら困るだろうけど、そうじゃないもの。きっと許してくれますよ」
「そうかな」
「そうそう〜。ね、千景もあの人たちに会ってみたいよね」
「ば!」
「えっ、起きてたのか」




追憶★

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