憧憬/降谷零


酒は飲んでも飲まれるな


「飲み過ぎた……」

個室客用のお手洗いの近くにあるベンチに座って、ひと息ついた。普段があまり飲まない上に、気付けばシャンパンをパカパカ空けていた。うわー、わたしきっと酒くさい。零さん帰ってくる前にシャワー浴びて少しでもさっぱりしておきたいところ……。いやでも、まだ皆と飲んでてもいいなあ。だって今日はあの人の帰りが遅くなるのはわかりきってる。それにしても眠い。眠すぎる。

「……はあ?」

ブブブ……と振動して主張するスマホの画面を見て思わず唸る。なんで?なんでこの人から電話来るの?気付かない振りをしたところで無意味なことはわかってるから、出ずに着信通知をすぐさま消す。そうしたら秒で再度鳴り始めるわたしのスマホ。あのさあ〜〜

「いったい何の用ですかっ」
『せめてひと言出てから切るのがマナーだと思わないか』
「だって貴方がかけてくるのって碌なことがないですもん」
『降谷くんだけじゃなく、君も一緒に招待していたんだがな』
「お生憎様仕事がありますので〜」
『ホォー。仕事か……その割には珍しく酔っているようだな』
「飲まれてませんもーん」
『素面の時の警戒心はどこに落としてきたんだ君は』
「本気で不思議がるのやめてもらえます??」

うるさい。べつに正気を失くしてるわけじゃないんだから気にしないでくれ。大体、今は赤井家のホームパーティと言う名のFBIが情報根こそぎ奪い取ってやるから日本警察お前ら覚悟しとけよ祭りの真っ最中のはず。わざわざ夫婦揃って招待され、何を企んでいるかわからん。ということで零さんの指示でわたしと風見さんがチェンジした。……泣いてない。零さんの奥さんは風見さんじゃなくってわたしだもん、なんて拗ねたりしてなんかないよ。

『次はもっと小規模なものにしよう。そうだな、新一君たちでも呼ぼう。そうすれば君は来てくれるか』
「なんでそこまでしてわたしを呼ぶのよFBI……」
『日々のお礼を君たちにしておきたいのさ』
「そーいうの、不吉な予感しかしないのでやめましょう。何のお礼をしたいのかも、何となくわかっちゃいますけど、そんなのわたしがしたいからしてるだけなんだから」
『ああ、そうだ。俺もしたいからしているだけさ』
「埒が明かない……」
『降谷君によろしく伝えてくれ。それと、次は揃って会えることを楽しみにしているとね』

そんなのパーティで会ったあの人に自分で伝えればいいじゃない。ぷつり、と途絶えた通話。腕を組んで首を傾げる。とっても眠い。あー……そろそろ戻んなきゃ。のっそり立ち上がって歩き出す。きっと普段と比べたらふらふらしている足取りを何とか真っすぐなるように目指しつつ、元居た個室へと入っていく。入口を軽くノックしてから、中に入ると違和感ひとつ。

「……?」

柔らかいミルクティ色の、明るい髪。個室の証明に照らされて、それはきらきらと輝いて見えた。いるはずのないその人が座る後ろ姿が見える。……おかしいな、酔っぱらっているせいで強めの幻覚でも見てるのかなわたし。だって、今日は日付が変わるまで帰ってこないって言ってた。しかも、飲みに行く事言ってないし場所伝えてないし、GPS切っといたし。いつもは見えないつむじが綺麗に見える。柔らかくて明るいそこを手のひらでポンポンと触ってみた。

「千葉くん、これ誰」
「は?!いやいや、お前の旦那だろ?!」
「うそだー!だって、あの人、今日は遅くなるって……いやでも、見れば見るほど零さん……うそ…わたしそんなに酔ってる……?」
「結構、酔ってるとは思うけど」
「うわ、声もそっくり……声帯模写……」
「いやいや吉川さん何言ってるんだよ」
「だって高木さん見て下さいよ。安室透ばりの笑顔ですよこれ」

零さん(仮)の隣りに座って、彼の両頬を手で支えるようにして高木さんたちに向かせる。何やらみんなびびってる。やっぱりわたしが見てるのは幻覚なのでは……?みんなそれぞれ見えてる姿が全然違うとか……?

「そろそろ手を離そうか」
「はあい」

わたしが頬に添えていた手をそっと離される。ふと、鼻先を掠めた香りに思わず前のめりになった。零さん(幻)のスーツのジャケットから知らない香りがする。いやね、この人が偽物ならさ、知らない匂いは当然なんだけど。嗅ぎなれた落ち着く香りに混ざる華やかな香りに思わず顔を顰めた。手首から始まって、肩、それから胸。顔を近づけて香りを嗅いでみれば、それはもう言い逃れができないほど違う香りでいっぱいだった。

「しらない女の匂いがする!!」
「知らないかどうかで言ったら知ってる女性だけどな」
「何それ!」
「浮気されてるんですか警視正!」
「ひどい!」
「していない!!」

挨拶でハグをした時にでも移ったんだろう、と言ってのける零さん(偽)がため息を吐いた。ため息つきたいのはこっちですよ。そんなね、本当の零さんみたいな顔してしれっと現れるなんてさ。

「浮気なんてしてたら偽物だろうが許しませんから〜〜!」

じわりと揺れる視界の中で、何が楽しいんだかとっても笑ってる零さんの手が伸びてくる。わしゃわしゃと頭を撫でられる感覚はいつもと同じ。

「しないよ」
「う〜知ってますぅ」
「ちょっと飲みすぎだ」
「そんなに飲んでないもん」
「いつもより酔っておいてよく言うよ」
「酔ってない」
「酔っ払いはよくそう言うね」
「眠たいだけ」
「あんまり寝てないのに飲むからだろう」
「だって一人じゃつまんない」
「きっと連れて行ったら大変だったよ」
「結局第二回の開催予定ができてしまってるので意味ないです……」
「は?」



つい出来心で、本人を呼んでしまえばいいと満場一致で降谷警視正をこの場に呼び出した飲み会は昨日の夜のほどほどの所でお開きとなった。新一くんから連絡先を聞き、教えてもらった番号にかけた時の降谷さんの冷たい声は忘れられない。事情を話せばみるみるうちに柔らくなっていったのも印象的だった。吉川がすこし酔ってるみたいだから、回収に来てもらえないか。その通りではあるけど、あわよくば惚気る素の2人を見て見たいと目論んでいたわけだった。

「なんだか昨日はすごいもの見せられた気がするんだけど……」
「高木さんも思います?」

別に言葉で大きく惚気たわけでもない。ものすごく大胆なスキンシップをとっている様を見せつけられたわけでもない。

それぞれ別人になりきれてしまう二人。何でもなんてことの無いように振る舞えてしまうけど、本当はそうじゃない。拗ねて頬を膨らませてみたり、愛おしそうに笑ったり。それぞれが小さくて穏やかなものだった。

「あれが素だってことは、本当に仲が良い夫婦なんだろうなあ」
「ですねえ……」




酒は飲んでも飲まれるな

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