憧憬/降谷零


何事もスピード感が大事です


捜査一課の自分の席にて、ブンブン唸るスマホを前にしかめっ面をしている俺に高木さんが心配そうに声をかけてきた。

「どうしたんだい、そんなに不審げに画面を見て」
「知らない番号からなんですが出た方が良いのか悩んでまして」
「番号に心当たりは?」
「ないですよ。ていうかいちいち番号覚えてます?」
「登録が便利だと確かに覚えなくても生活できるよなあ」

切れては、またかかってくる。何度もしつこくかけてくるところをみるとやっぱり知り合いからの電話なんだろうか。とはいえ、こういった手口の詐欺とかもありそうだしな……。高木刑事と互いに頷き合って、意を決して通話ボタンに触れる。

『あっ、やっと繋がった!』
「……はい?」
『わたしわたし、降谷…じゃなくて、吉川!』
「吉川?なんでまた俺の番号に」
『前に飲みに行こうって言ったじゃない?』
「えっ」
『言わなかったっけ?』
「いや言ったけど、忙しいんじゃないのか」
『そこそこ!明日の夜空いてる?』
「空いてるけど……」
『あ。奥さん心配するかな。だったら奥さんも来る?』
「はあ?!なんで?!」
『結婚したんじゃなかった?』
「したけど!」

なぜ吉川がそれを知ってるんだ。今から言う住所をメモするように言われて、慌てて机上のメモとペンを手繰り寄せる。杯戸庁4丁目の……あぁ、あの角曲がったとこの。行ったことはないけど何度か見かけたことはある。

『篠原で予約してるからよろしく』
「それまた懐かしい名前で……」
『人数増えても構わないから19時に待ち合わせね。わたしが間に合わない時は先に飲んでいて』

それじゃっ!と忙しなく切られる通話。全部聞いていた高木さんが苦笑いしている。ほとんど一方的だったそれは、断る以前の問題だった。

「まあ、彼女は忙しいんだろうしね」
「高木さん……」
「なんだい千葉君」
「一緒に行きましょう!佐藤さんも一緒に!」
「ええ?なんで?!」

*

「こんばんは、苗子ちゃん」
「美和子さんたちも来てくださってよかったです〜!わたし達二人だけだったらどうなるかと思いました〜」
「由美も来たいって言ってたけど、海外で働いているお義兄さんが帰国されてるそうだから今回は遠慮したみたいね」
「吉川さんはそんな怖い人じゃないから大丈夫だよ」
「えっ、篠原さんていう方じゃないんですか」
「あー、まあ。篠原でもあり吉川でもあるんだけど今は降谷らしいよ」
「どういう事?!」

実は去年、縁あって結婚することになって、いわゆる新婚生活というものをしているわけだったりする。友達も多くないし、何なら特撮オタクの友達しかいないし、苗子ちゃんを心配させるようなことはなかったんだけど……。同期の女の子と飲みに行くんだけど、と話題を切り出した途端に目がギラリと光って、彼女の手にしていたお玉が心なしか凶器のように見えてしまった。吉川が苗子ちゃんのことも呼んでいいって言ってくれてよかった。なんかいらない心配をさせてしまったみたいで心苦しい反面、こんな俺にも妬いてくれているのだと思うと嬉しかった。吉川が予約してくれたカジュアルなお店に入ると、通されたのは個室で、それもしっかりと奥に隔離されていた。

「刑事課の方じゃないんですよね?」
「そうだよ。千葉君はなんて教えたの?」
「前に同期での飲み会の時にどこか言ってたんですけどそれが思い出せなくって……」
「ええ……」

公安所属だと言い切って良いものか悩んでしまうのは、あまりにも俺らからかけ離れた環境に身を置いているのが嫌でもわかるから。予約だって篠原でしているし、何かしら気にすべきことはあるはず。

「そういえば、警視正は来るの?」
「どうなんでしょう。一方的に約束取り付けられたようなものでして……」
「……警視正?」
「ハハ、やっぱりびっくりするよね。どうやらこれから来る千葉君の動機のご主人が警視正なんだそうだよ」
「そんな人がこんなカジュアルなお店来ていいの?!」
「まあまあ。来ると決まったわけじゃないから」
「見た目で言えば若く見えるしお店にはあってるんじゃないかしらね」
「いや〜それでも安室さんが警視正になっているとは思わなかった……というか警察だったんだ彼……」
「高木さん、例の事件は関わってなかったから会ってませんでしたっけ」
「そうなんだよ。皆から聞いて驚きが止まらないよ」
「あの〜〜警視正って、どこの部署の警視正ですか?」

苗子の問いかけに皆が笑顔のままピシリと固まった。確かにそうだ。そこは疑問に思うところだ。だって、警視正の階級なんて限られた人数しかいない。警視庁にあるそれぞれの部署で顔は知られてなかったとしても名前くらいはおおよそ把握できる。地方だと言ってしまえば更に苦しい。どうしたもんかな。佐藤さんも高木さんも二人してわざとらしく目を逸らしてるし……。

「皆さん、お疲れ様です。遅くなってごめんなさい」
「いいところに!」
「えっ」

*

「はあ。わたしたち夫婦の所属がどこかわからなくて困っていたと」
「同期だっていうのに和伸さんが知らないって言うんですよ」
「まあ同期とは言っても警察学校時代はあんまり話したこともなかったですよー」
「そうなの?てっきりその頃から仲が良いのかと思っていたけど」
「仲が…良い……?」
「そこは頷いておいてくれよ。誘ってきたのそっちのくせに首を傾げるなって」
「まあ。度々お世話になってるし、近況と言うか諸々の報告が漏れてたから千葉君の話も聞くついでに誘おうかと思っただけー」
「結婚したなら言ってくれても良かっただろ」
「あんまり周りに言ってないんだよね。外と仕事するのも少ないし、仕事以外で会う人なんて片手で収まるし。何より千葉くんの連絡先知らなかったしね」
「……昨日かけてきたのって何で知ったんだ?」
「ふふ、どーやったでしょうか〜」
「違法捜査はほどほどにしないといけないわよ、吉川さん?」
「合法なのでセーフでーす。新一くんに聞きましたっ。ちなみに誘ったけど蘭ちゃんとデートだそうなので彼は来ませーん」
「な、なんか吉川さん酔うの早くないかい……?」
「千葉君、いつもこうなの?」
「いや、前飲んだ時はこんなにフワフワしてなかったような……?」

佐藤さんの違法捜査という言葉に苗子が眉をひそめていた。いや、そこ反応しなくても。まあでも気にはなるよな。わかるわかる。頬がほんのり赤いだけで普段の吉川とあんまり変わらないけど、酔うペースが速いのか雰囲気がいつもよりフワフワしてる。シャンパンをパカパカ空けるからじゃないのか…?グラスが空いた傍から佐藤さんが注いでいるし、何なら次のボトルまで注文している始末。ちょっと待って、やっぱりペース早くないか?!

「佐藤さんそれは流石に!」
「大丈夫。潰しはしないわ……いっつも飄々としてる子だものこれでちょっと本音を引き出せるんじゃないかしら……!」
「美和子さん?!美和子さんも酔ってますよね?!」
「いいえ渉くん、私は素面よ」
「か、和伸さん……外じゃ高木君ってしか呼ばないって言ってたのに美和子さんも酔ってるよ〜〜」
「見てたら分かる……」

新しいボトルが届く頃、ちょうどグラスの中身が空になった吉川の頭がゆらりと揺れた。眠たげに少し俯いていて、これはまずいのでは?と思ったところで、そろりと吉川が手を掲げた。なんだ?指を2本立てて、掲げている。2?なにが2?

「わたし、2徹めなんですよぅ〜」
「はあ?!だったらなんで誘った?!」
「今ならいけると思ったー」
「そんな学生みたいなことして!」
「んもー、ふたりの旦那さんはうるさいですねえ」
「ちょっと人の旦那ばかにしてるでしょー」
「してないですよーていうかお二人が結婚してるの知ってびっくりなんですからね。千葉くんが結婚してたのもびっくり。奥さんかわいいしびっくり」
「か、かわいくないです!」
「あはは、照れてる!ねえ、千葉くーん。かわいいよねえ、わたしが席となりなら確実に撫でてるよ。かわいいもん〜。千葉くんは?千葉くんは撫でないの?」

めっちゃくちゃ面倒な酔い方をされている気がする。高木さんを見たら、佐藤さんからグラスを取り上げようと格闘しているものの、佐藤さんにうまいこと交わされていた。いやいやそこは強気で行かないと……!

「佐藤さん、佐藤さん。吉川から本音聞き出すんでしょう?」

ハッと我に返った佐藤さんの手から高木さんが素早くグラスを引き抜いた。流石高木さん……!互いにグッジョブポーズでこっそり称える。標的が吉川に行ってしまったのは申し訳ないけど、俺も気になっていたりする。本心を隠すのが常の吉川のことは本当に知らないんだ。質問ターイム!と楽しそうに高木さんの肩に手を回す佐藤さんが吉川を指さして笑ってる。

「佐藤さん、見かけによらず酔い癖悪いですねえ」
「お互い様でしょー」
「わたしはまだ酔ってませんもん」
「吉川さん、酔っ払いは皆そう言うもんだよ……」
「いーですよ。酔っぱらってない証拠に質問なんでも答えますぅ」
「言ったな〜〜?じゃー苗子!質問よ!」
「わたしからですかー?!」
「何かあるでしょー?!」
「えっと、じゃ、じゃあご主人とはどういったご縁で……?」
「職場婚でーす」
「どこの!どこの部署ですか!」
「えー?千葉くん、言ってなかったんだっけ?」
「下手なこと教えられないしさ」
「んー……まあ警視庁じゃありません」
「えっ。ということは警察庁……?」
「せいかーい。まあ情報技術犯罪対策課ってことで」
「あー、そこだ。前言ってたのそこだ」
「千葉くんに言ったっけ?」
「同期飲みの時言ってた」
「ほー」
「そっちが忘れてるのかよ」
「うん。だって、ほんとのところまで知ってる人ってそんなにいないよ」

あなたたちは唯一知ってる人だから。とへらりと笑う。それから、手元の空いたグラスを寂し気に見つめるもんだから佐藤さんがシャンパンを注ぎ足した。いや、だから!注がないで!苗子の制止虚しく、流れるように吉川の口元に滑り込んでいってグラスが空になった。

「ねえ。わたし達と初めて会った頃は、もう安室さんの部下だったの?」
「そうですよー。あの時はただの部下でした」
「え?でも付き合ってたような」
「あれはフリです。その方がいろいろ動きやすくって」
「いつから本格的にそういう関係になったんですか!」
「苗子さんやけに前のめりですね……?いつから、いつ……うーん、まあ。数年部下してたら気づいたらこうなってました〜」
「何よもっと具体的に言いなさいって〜」
「そうですよ具体的に!」
「あのちょっと、言っときますけどわたしの方が一応上官なんですが」
「やっぱり気にしてました?」
「まあわたしの階級なんてあってないようなものですし?他部署ですし?敬えとかは思ってませんが、ちょっとは配慮ほしい」
「うわ本音出た」
「だって縦社会めんどくさい〜〜。よそで舐められたら帰ってから絞られるでしょ〜〜」
「そっちもそういうのあるんだな……」
「あるよもちろん〜。もしわたしが警視庁に出向なんてしたら皆さんわたしの部下ですからね、そこんとこ忘れないでくださいね。距離感近すぎてわたしが締められるの無理ですからね」
「お前昇級早すぎだろ……」
「こっちのペースはこんなもんなの」

あー、とか、うーとか言いながらも吉川は問いかけにちゃんと答えているし、少しは崩れても完全に酔っぱらっている様子はなかった。にしても飲み過ぎだけど。お手洗いに行くと、立ち上がってふらふらとしながらもちゃんと進んでいくのを見送ると、佐藤さんが長いため息を吐いた。

「ぜんっぜん崩れないわね……」
「流石ですね……」
「ご主人の事聞きたいのに全然そっちにいってくれませんね……」
「吉川って惚気たりするのかな……」
「寧ろ、安室さんを呼べばよかったのに今日はどうして本人がいないのかしら」
「確かに二人で来てもいいのに」
「本人呼ぶって言っても連絡先知らないしなあ」
「連絡先……あっ、」
「どうしたの千葉君」
「合法で、セーフなやり方がありますよ……!」





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