憂き世に愛はあるかしら
憂き世に愛はあるかしら




そろそろ何かジャムでもつくりたいな。キッチンの戸棚を眺めながらぼんやり考える。少し前にやって来た同居人は頭はおかしくないけれど、舌は確実におかしかった。餃子とたこ焼きを何故かとっても愛しているし、ありえない食べ合わせはもちろん、調味料の使い方を間違ってる。おかげで、これまで滅多に無くなることのなかったハチミツは頻繁に仕入れなくてはいけなくなった。ハチミツが無くなったとなれば、わたしがコツコツ煮込んで作ったジャムを片っ端から舐めていく。何なの、あのばか舌!

「ねえねえ、このラベンダーのジャムってもっとないの」
「あっ。また取られた」

ときどき不思議なことが起こる。さっきまでわたしが手に持っていた瓶を気付けばニノマエくんが手にしてるし、その上スプーンを突っ込んで舐めていた。それでもってわたしの手はまるでろくろを回してるみたいに止まっている。

「ねえねえ、どうして時々こんな風になるの」
「質問を質問で返さないでよ」
「ニノマエくんのは質問じゃなくてねだってるっていうんだよ」

いくらねだられても、ラベンダーはその瓶で最後だからね。そう言うと、名残惜し気にスプーンを瓶の中でかき回した。いや、舐めるの早すぎだから。熊じゃないでしょ君。

「それで、わたしの質問は?」
「さっきみたくなるのは僕が王だから」
「……?」
「いま頭わりーなコイツって思った?そんな顔してんだけど!」
「いやいや。いつにも増して話が通じないなと思いまして」
「なにそれいつも僕が意味わかんないこと言ってるみたいじゃん!」
「さっきの言葉を自分自身で吟味してみるといいと思うの」

ニノマエくんは見た目よりもいくらか幼く感じる。語彙に関してはわたしもとやかく言えるレベルじゃないんだけど、発想というのかな。さっきの質問だって答えがかみ合わないとか以前に王様ってどういうことなんだって疑問がわいてくる。

「だって、ニノマエジュウイチって書いてみなよ。一たす十一で『王』になるじゃん」
「ああそういう……って納得しそうになったけどさ、結局わたしの質問の答えにはなってないよ」
「うっせー紗希乃ちゃん!」
「なんだか子どもみたいだなあ」

ニノマエくんがやさぐれてるけど、とりあえず放置。そのうち後ろを付いてくるだろうから、別な残りのジャムたちまでも舐められないよう急いで整理しなくちゃ。ねえねえ買ってきてよーと後ろで唸る声は聞こえないふり。うるさいそのバカ舌で直接瓶舐めてろ。心の中でその台詞を決めて、棚の整理を続ける。ローズヒップにキンモクセイ……奥のあの瓶何だっけ。踏み台の上でめいっぱい背伸びをして手を奥に伸ばしていると、後ろから、カランカランと何かが落ちる音がした。

「あいつ……!」

振り向くと、木製のスプーンがべったりとジャムが着いたまま床に転がっていた。それの奥で怒りを露わにして立っているニノマエくんは、瓶を割れそうになるくらい力強く握っていた。

「ふざけんな、あいつ!今まで大目に見てやってきたのに!」
「ニノマエくん落ち着いて!危ないよ、けがする!」
「うるさい放せ!早くあいつを止めないと姉ちゃんが殺される!」

瓶を投げようとするニノマエくんにしがみついて、なんとか離そうとした。それでも、わたしとたいして変わらない身長の彼を止めるのは難しい。姉ちゃんを助ける、そう言ってきかないニノマエくんに、わたしの声も自然と大きくなった。

「待ってよ、どうやって止めにいくっていうの!」

わたしの言葉にニノマエくんはピタリと止まった。そしてそのまま、ずるずると座り込む。引きずられて一緒に座り込んで、二人して肩で息をした。

「……ニノマエくん、あれから時々、夢見てたんでしょう。」
「だって心配なんだ」
「夢ばかり見てちゃいけないよ」
「だから!心配なんだ!」
「尚更だよ。わたしたちは見ることしかできないの」
「だけど……っ!」

助けにも、会いにもいけないんだよ。そう言わなくてもわかるんだろう。握りしめてた瓶を床に置いたニノマエくんは代わりにわたしの手を握りしめた。それは痛いくらい力強くて、わたしの指先はだんだん冷たくなっていく。

わたしたちの意識の一部は生前の縁者のところへ確かにいる。けれど、本体のわたしたちは四六時中彼らを眺めているわけじゃない。現世と冥界の時の流れは違う。現世で継続的に続いていく物事が、わたしたちには白昼夢で断続的に夢に見る。続いて長く見る時もあれば、ふっと続きがやってくる時もある。そのサイクルは詳しくわからないけれど、たぶん、見たいと思った時には長く長く見られるんだろう。

「ニノマエくん」
「……なに」
「お手伝いしてほしいな」
「……なんで今」

ぴりぴりと痺れだすくらい握りしめられたままの左手をそのままにして外に出た。日は相変わらず照っているけど、今日は仕方ない麦わら帽子は諦めよう。

「向日葵を集めるよ」
「だからなんで今なんだよ」
「ラベンダーのジャムが食べたいんでしょ」
「言ったけど、今はそれどころじゃ…」
「見てても仕方ないの。何にもできないんだから、だったらできることをするしかない」
「……紗希乃ちゃんは、見ないの?」
「見るよ。時々ふっと夢を見る時はね」
「あえて見たりしないの?」
「しない。この目で見ようとしなくたって、わたしの一部は確実に向こうにいて、傍にいる。だったら、それでいいよ」
「でも、」
「ちょっとだけやめてみようよ。だから、お姉さんを心配するその時間をわたしにちょうだい」
「行けもしないのに心配してるのは無駄な時間だって言いたいんだね」
「ちがうよ。大事な時間だから、大事なことに使いたいの。ラベンダーのジャム、食べたいんでしょ?」
「……わかった、今はやめてみる。だけど、」
「後のことはニノマエくんの自由だよ。だから、今だけ。今だけわたしといてほしい」
「……うん」

向日葵を全て刈り取って、それからラベンダーを植えよう。それからバラも欲しいし、いろいろジャムにするお花も欲しい。ご近所さんにお願いされた花も必要だ。

「ラベンダーのジャムつくるのに向日葵がいるっておかしくない?」
「ちがうよラベンダーを植えるために刈るんだよ」
「早く言えって猫娘」
「なにそれ悪口なの」
「紗希乃ちゃん猫みたいな顔してるし」
「キツイ顔ってことか!」
「きつくはないけど」
「あーあーあー!!!」
「急に叫ばないでよ耳おかしくなる!」
「なんにも思い通りにいかないし、わかんないことだらけだ」
「前も同じこと言ってたね」
「だから教えてよ紗希乃ちゃん。カンニングは得意だけど人の心まで見えないよ」
「なんかかっこいーこと言ってる風で最低なことカミングアウトしたねニノマエくん」

そうだなあ、もう少ししたらゆっくり教えてあげる。そう言ってみたら、苦虫をかみつぶしたような顔をして向日葵の花の茎をハサミで雑に切り進めていく。

「紗希乃ちゃん、いつも何でも知ってる風だし僕より年上みたいな素振りするの、なんかむかつく」
「素振りっていうか年上じゃないかな」
「えっ、ウソだ!」
「たぶん年上だよ。わたし死んだの17歳だもん」
「えええ」
「永遠のセブンティーンなんですよわたしは〜」
「ウソだ!もっと年下だよ!」
「うるさいよ子ども!ニノマエくんは絶対もっともっと下だね!」
「そんなことない!」
「そんなことある〜」

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