憂き世に愛はあるかしら
憂き世に愛はあるかしら




時折やってくる不思議な感覚。その感覚はわたしの頭の中を刺激していくだけじゃなくて、新しい色を持って来る。お前、何か足りないものがあるんじゃないの?と何かを目の前に突き付けていくそれは、小さな染みからじわじわと滲みを作っていくようだった。今日もそんな不思議な気分で目が覚めた。目の前に広がるのは何の変哲もないわたしの部屋。

「……あ!」

小窓の下に置いた小さな鉢植えの真ん中でアネモネの花がそっと開いてる。開花はもっと先だって聞いたんだけどなあ。何はともあれ、紫色の花弁がとってもきれい。写真撮っとこ!スマホで写真を撮って、SNSのアイコンにしてみた。うん、かわいい。パジャマを着たままそんなことをしていたものだから、一階からお母さんのおっきな声が聞こえてきた。


「はやく起きなさい紗希乃ー!今日からまたバイトだって言ってたでしょ!」
「起きてるし覚えてるよーっ!」
「朝ごはんはー?!」
「いるーっ!」

やっとテストが終わって晴れて自由の身になった。これでやっとバイトに出れるよ。テスト期間だけお休みしてたけど、はやく行きたくってしょうがなかった。アネモネのことも報告できるし今日はいいことがありそう。

じわり。

着替えの途中にまたやってきた、あの不思議な感覚。なんなんだろうこれ。夢の内容はさっぱり覚えてないっていうのにこの感覚だけは覚えてる。きっと、夢を見たんだとは思うんだけど。起きてる時に感じるのなんて珍しいこともあるもんだなあ。これってあれかな、何か特別な能力に目覚め始めてるとか?なーんてSFの世界じゃあるまいしありえないってね。ふとアネモネの花が気になった。……見た事ある気がする。っていっても花だし見た事あっても何らおかしくない。今日はなにかあるの、アネモネさん?なんて返事をくれるわけない花に訊ねてみた。返事はもちろんなくて、代わりにじわり。何かが滲んで浸透していくような気分になるだけだった。


*

「ありがとうございましたー」

嬉しそうにミニブーケを持って帰っていくお客様を見送るだけでわたしも嬉しい。テスト期間にバイトできなかった分、今日からいっぱいシフトに入るつもり。駅前にある小さなお花屋さん。高校に入ってからここでバイトをするようになった。素敵なお花たちに囲まれて、仕事中だっていうのにうっとりしちゃう。店長は仕入先の人と話があるみたいで裏に引っ込んで電話をしてる。店頭でひとり仕事をしてたら、ふと視線を感じた。

「いらっしゃいませ……?」

視線の先にいたのは男の子だった。それも隣り町の中学の制服を着た男の子。見た事はあるような、ないような……。と言っても今日は朝からずっとふわふわ不思議な気分だから、あんまりあてにならない。

「あの!」
「はい、何かお探しですか?」
「おすすめの花とか、」
「おすすめですね。今の季節の花だと……」
「季節とかじゃなくて、あなたの一番すきな花が知りたいんだ」

まるで告白。照れちゃうくらい、男の子はまっすぐにわたしに好きな花を聞いてきた。何だかやたらと恥ずかしくって好きな花を答えられない。照れ隠しで、すすす、と指をさして答えると男の子は真ん丸な目を大きく瞬かせた。

「なんでこんな季節にヒマワリ?季節感ぜんっぜんないじゃん」
「今はハウス栽培のおかげで冬も咲いてるの。ただ、値段はびっくりするくらい跳ね上がるけどね」

男の子はヒマワリの値札を睨むように眺めつつ財布を取り出した。

「わ、ごめんね。高いのおすすめしちゃって……お手頃なお花だとおすすめはそっちの、」
「金額は問題じゃないし。こういうのは気持ちじゃん」
「あっそう。じゃあ何本買いますかー?」
「何本が良い?」
「えーと、買ってもらえるのであれば多いに越したことはないけど」
「じゃあ、カゴ一杯のヒマワリがいいな」
「君、お金大丈夫なの?」
「ねーちゃんにお小遣いもらったから平気だよ」
「そっか。お姉さんやさしいね」
「うん。ねーちゃん公務員だからさ」

公務員とやさしさは決してイコールじゃないぞ。なんて思いながらニコニコ笑う男の子の言う通りにカゴいっぱいのヒマワリを束ねる。

「いっぱい買ってくれるから、花束の紙とリボンとか無料でアレンジしてあげるよ」
「ほんと?じゃあ、どんなのがいいかなー」
「お花自体はとっても華やかだし数も多いし、それを邪魔しないシンプルなものもいいかもしれないね。プレゼントする人はいくつくらいの人?」
「えっ、まだ気づいてないの?」
「はい?」

「あなたの一番すきな花が知りたいって言われたら、自分にくれるのかなって思わない?」

なんてませた中学生なんだ。とか、急にそんなこと言われたって恋愛経験ゼロのわたしにわかるわけないでしょ。とか色々思うところがあるのにひとつも声にならない。じわりとあの感覚がまたやってきて、今までにないくらい胸に広がっていく。

「お名前教えてお姉さん」
「……紗希乃」
「紗希乃ちゃん、ね!」

じわじわ、じわり。滲むように広がっていくそれはいつの間にか温かく熱を帯びていて、胸に浸透していく。知ってる、このあったかさ。けれど、どこで知ったんだろう?自問自答してもわかんない。嬉しそうに笑う彼の顔を見ていたら、もっとあったかくなってくる。やっぱり知ってるような気がするなあ。

「ねえ、わたしたち会ったことある?」
「ないと思うけど」
「えっじゃあ、なぜここでヒマワリを?!」
「たまたま通ったら居たんだ」
「わたしが?」
「そ。紗希乃ちゃんが」
「それでこんなナンパ紛いのことを…?」
「だって、僕も初めて会った気がしないんだもん」

目の前がぱちぱちとはじけていく。そうか、そうなんだ。わたしたちはきっとどこかで出会ってた。きっとそういうことなんだ。急にロマンチストぶってそんなことに思い至る。前世とかわかんないし、よくあるパラレルワールドなんて世界のことも知ったこっちゃないけど、きっとわたしたちはどこかで出会っていて、こうしてまた出会ったんだ。そう考えたら、腑に落ちてスッキリした。

「わたしばっかり名乗らせてずるいよ。君の名前は?」
「僕?僕はね――……」

確実にわたしより年下の、まだまだ子供な少年とわたしはきっとこれからもっともっと仲良くなっていく。それがどういう仲の良さかなんてまだよくわかんないけどさ。






end
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