なんだか胸騒ぎがする。なにも変わったことはないのに、ときどき不安になる。現世にいる両親になにかあったわけでもなければ、わたしの今の生活にも何か起きたわけでもない。たくさんの白と黄色。カミツレの優しい香りに包まれて、花畑の中心に座って空を見上げた。
「……カラス?」
黒い鳥。烏。からす。よく知ってるその鳥を目にしたのは久しぶりだった。そういえば陽太くんが前に言ってたな、
『冥界ってカラスいないんだね』
って。言われてみたら目にしたことないや。最後に見たのは、危ない葉っぱを育てていた普通の女子高生の頃。それがどうして今になって……
「紗希乃ちゃん!」
「陽太くん?」
「すぐ戻ろう、ここは危ない」
「危ないって何で?」
カラスが増えた。ひらひらと落ちてくる黒い羽が、白いカミツレの絨毯に何枚も広がっていく。わたしの前を走ってく陽太くんに手を引かれて、何とかついていく。足元の花がバラバラに崩れていくのもお構いなしに陽太くんは家に向かって走り続けた。いつもだったらそんなことしないのに。わたしが大切にしてる花を、ちょっぴり文句を言いながらも大事にしてくれてたのに。今日は、全部、何かが違う。
バタン!勢いよく閉めた扉に凭れるようにふたり並んで肩で息をした。窓から見える空が黒ずんでいる。それも、赤黒い不思議な色に染まっていた。その中を黒いカラスが飛び交っている。
「これはなに?陽太くん、なにか知ってるの?」
「たぶん混ざってるんだ」
「混ざってる?」
「冥界と現世の境目がなくなってきてる。ただのカラスに見えるのは、冥界にいる人たちなんだ。現世の人から見たらきっと僕らもヤタガラスの姿で見えるんだと思う」
「えっ、わたしたちカラスなの」
「うん。だから、冥界にカラスはいなかった。僕らがそれそのものだったから」
「全然理解ができないんだけど!」
床に座ったままだったのを陽太くんと一緒に立ち上がってソファに座りなおす。ヤタガラスって何、ただのカラスじゃないの。ていうか現世と混ざってるってどういうことなの。頭のなかでグルグルと考えていたら、足元からパキパキと音が聞こえた。何の植物か忘れたけど、蔦がわたしの足元から足に絡まるように伸びてきた。
「なに?!」
「わかってるよ、連れてかないし。ほんっとうに紗希乃ちゃんって愛されてるよね、愛され過ぎ!植物の愛重っ。そもそも紗希乃ちゃん呼ばれてないからね?」
「呼ばれてないって…、陽太くん呼ばれたの?」
「うん。夢で見た。たぶん、もうすぐ向こうに行くことになりそう」
やることがいっぱいあるみたいなんだ。と陽太くんは肩を竦めた。どこか嬉しそうでいて、寂しそうにも見えた。
「紗希乃ちゃん、僕は行くけど、絶対にまた君のとこに戻ってきたいんだ」
「な、んでそんな……戻れないかもしれないような言い方なの……?」
「たぶん戻れない」
「戻れないけど、戻りたいんだよ、紗希乃ちゃん」
*
姉ちゃん。瀬文さん。SPEC。祖母ちゃん。SPECホルダー。姉ちゃん。ユダ。シンプルプラン。姉ちゃんの側にいる僕から見える現世は大変なことになっていた。それでも、冥界にいる僕にできることなんて限られていることはもう痛いくらいわかりきっていて、不用意に紗希乃ちゃんを不安がらせちゃいけないと思ってた。けれど、冥界が冥界を持続できなくなるくらい事態は急転していく。姉ちゃんが世界を助けられたら、僕と紗希乃ちゃんはどうなるんだろう。今の現世を維持することも冥界を維持することも困難らしい。姉ちゃんが助けられたら、別な世界へと生まれ変わることになる。SPECのない世界で僕は紗希乃ちゃんと――……
あったかい紗希乃ちゃんを目一杯抱きしめた。姉ちゃんが呼んでる。行かなくちゃ。
「絶対に迎えに行くから」
だから、待っていて。
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