憂き世に愛はあるかしら
憂き世に愛はあるかしら




「はあっ?!」

最近家にやって来る野良猫と遊んでいる陽太くんのとなりで、押し花を作ろうと準備をしているところだった。急に立ち上がった陽太くんは持っていた猫じゃらしがくったりしてしまうくらいに強い力で手を握りしめてる。

「どうしたの、何かあった?」
「"僕"が現世にいるんだ」
「……どういうこと?」
「僕の方が聞きたいよ!」

頭を抱えてうんうん唸る陽太くんは目を瞑って、白昼夢を見ようとしてるみたい。最近は自分で見ようとも勝手に映像が流れてくることも少なくなったとちょっぴり寂しそうに話してた陽太くん。自分から見ようとしてもうまく映像を把握できないみたいで、なにかぶつぶつ言ってる。

「いや、もっと左…!もうちょい…もうちょい…!」
「そんなゲームみたいな感じだったっけ?」

急に長い夢を見るために動きがとまっても困るなあ。押し花は今度にしようか。箱に道具を戻してから陽太くんの側に近寄った。わたしが近寄って来たのにも気づいてないみたい。頭を抱えたままの陽太くんの肩をぐいぐい引っ張ってソファへと押し込んだ。ベッドまでは結構遠いからソファで我慢してよね。ブランケットを取りに行って戻ってきたら、クッションを綿が出そうなくらいに抱きしめている陽太くんがいた。

「……お姉さん、何かあったの」
「なんでねーちゃんだって思うわけ?」
「何でって、」

そんなに悔しそうな顔をしてたらわかるよ。人をいっぱい殺してきたっていう陽太くんが前に後悔しているのはお姉さんに自分を手にかけさせてしまったことだと言ってた。陽太くんは自覚ないのかもしれないけど、きっと陽太くんが悔しくてしようがないことってお姉さんのことが多いと思う。

「今回は、まだねーちゃんは何もなってないよ」
「そうなんだ。よかった…ってことは他に何か?」
「さっき言ったじゃん、"僕"がいるって。"一十一"が生きてるんだよ」
「……それって陽太くんじゃないの?」
「そうだったはずなんだけど、わけがわかんないんだ」
「死んだのに生きてるって変な話だね?」
「ほんとだよ。それに、その"一十一"は姉ちゃんに『殺す』って言ったんだ」

ありえない!と、またクッションをぎゅうぎゅうに抱きしめる陽太くん。そのまましばらく息を殺すように体を丸めてる。わたしは、持ってきたブランケットをかけてあげるのも戸惑ってしまって、陽太くんの隣りに浅く腰かけた。押し殺した静かな吐息が隣りから聞こえる。背中をさすっても大丈夫だろうか、嫌がられるだろうか。手は伸びるのに、触れられなくて行き場を失くした手が宙にぶらぶらしている。…ホットミルクでもいれてこようか。立ち上がろうとしたその時、強い力で抱きしめられた。

「陽太くん……」

ゆっくりと陽太くんの背中をなでる。強張った背中がひくり、と揺れた。

「…ありえなくなんかないんだ。だって、僕が本当に一十一だった時なんて姉ちゃんを殺そうとしたこと何度でもあったんだ。だからあの時の僕だけが抜き取られた存在なのだとしたら、あれは間違いなく僕だ」
「でもさ、陽太くん。ニノマエだった陽太くんはもう死んだんだよ」
「だけどここにはいるじゃん」
「ここにいるのは陽太くんだよ」

ニノマエが人をいくらでも殺せるような存在なのだとしたら、陽太くんはきっと殺せないんだろう。そうじゃなくちゃ、わたしが出会ってからの陽太くんは誰なんだって思うくらいには別人だ。本来の自分を思い出した陽太くんと、本来の自分を思い出せてない現世にいるニノマエ。どうして二人になっちゃったの?陽太くんは分裂でもするSPECを持っていたのかな。

「……オリジナルの陽太くんがここにいるなら、やっぱり現世にいるのは偽物だよ」

そもそもさ、自分の魂の一部は現世で親しかった人の側にいてその状況を見れるのに、自分自身の状況を把握できないのがおかしいと思うな。と何気なく呟けば、陽太くんががばっとわたしの肩をおして離れた。

「そうだよ、おかしいんだ!現世にいる僕を認識したのは姉ちゃんの側でだけだし、例えば現世のあいつが本当に僕の分身だったとしたら奴の見たものは僕も見れなくちゃおかしい話だよね。だって、当麻陽太と一十一の元の魂はここにいる僕だけだ!」

魂。身体の実感は確かにここにあるのに、わたしたちは魂そのものでしかない。肉体はなくなってしまって、年をとってるんだかとってないんだかわからない不安定なものになっちゃった。だから、今回の陽太くんみたいに自分の知らない自分が一人でに動き回ってることもあるのかもしれない。危ない葉っぱを育てている悪い顔をした自分を想像して背中がゾクリとした。陽太くんには偽物だよ、って言い切ったけど、本当に偽物かどうかなんてわたしには判断できないよ。

「うん。陽太くんはちゃんとここにいるよ。お姉さん思いで、舌がおばかさんな陽太くんは君だけ」
「ムッ。おばかさんだなんて紗希乃ちゃんに言われたくないなあ」

わたしには思い込むことしかできないけれど、それが少しでも陽太くんの救いになっていたらいいなあ。今度はわたしから陽太くんに抱き着いてぎゅうぎゅう抱きしめてみた。ねえ、陽太くん。魂だってあったかいんだね。わたしたちはあったかくて、ここで生きていて、みんなを見守ってる。だから、偽物になんて負けないで。君のあたたかさはきっと、生きてるお姉さんに伝わるよ。本物は別にいるってちゃんとわかってくれるよ。陽太くんのお姉さん、お願いだから気付いてあげて。それは陽太くんじゃないんだよ。あなたの弟はちゃんとここで元気にしてます。だから信じてあげてください。会ったこともない陽太くんのお姉さんにわたしは何度も何度も頭の中で呼びかけた。

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