憂き世に愛はあるかしら
憂き世に愛はあるかしら




目が覚めた。まだ夜中みたいで、隣りに眠る紗希乃ちゃんの寝息しか聞こえない。それからガツンと映像が頭の中に流れてきた。ほんとにこの白昼夢ってのは不思議だよな、夢だっていうなら寝てる間に見せろっての。この前に不意に瞼の裏側に流れてきた映像の続きか、なんて考えながら、ベッドを抜け出していつもの真っ黒な服に着替えた。起こしちゃったのか、眠そうに目を擦っている紗希乃ちゃんが、どうしたの?とたずねてきた。

「紗希乃ちゃん、姉ちゃんに呼ばれたから行ってくるよ」
「……いってらっしゃい。お姉さんによろしくね」
「うん。いってきます」

ベッドの上からひらひら手をふる彼女に笑ってやれば、身体が浮いていくのがわかった。さっきの映像の流れなら、僕がこれからやるべきことなんて決まってた。真っ暗で周りに浮いている靄に吸い込まれていくような感覚から目の前が開けていく。それから薄暗い地下のそこに僕は辿り着いた。

「陽太、お願い!」

そしてやっぱり呼ばれる時は、姉ちゃんのピンチな時なんだよなあ。隣りにならんで一緒に指をパチン、と鳴らしている姉と爆発している手榴弾の欠片を目の前にしてそんなことを思った。

「久しぶりだね、姉ちゃん」
「元気だった?って、おかしいか」

おかしくないよ。元気に暮らしてるし。でも、現世で生きている人間からしてみたらちょっと違うだろうな。僕のすべてが冥界にいるわけじゃない。僕の意識の一部は確実にここにいるんだから。

「僕はずっと姉ちゃんのそばにいるよ。いつでもね」
「ハハハハ!きも。砂肝。うな肝。和田ア肝。アダモステ!ぺいっ!」
「……どーしよっかなあ」
「シカトかよ!」

姉ちゃんの言動にひとつひとつ付き合ってたら時間がないよな、たぶん。僕は長い間ここにいれるわけじゃないんだろうしさ。これ、手榴弾触るよりあの三人を動かした方が早いね。姉ちゃんにそう言って、瀬文さんたちを引っ張って手榴弾から遠ざけた。重っ。

「なにしてんの姉ちゃん」
「手榴弾の破片、毛布で包んどいた。あったま良い〜あたしぃ〜」
「え〜先に言ってよ!ヘビーなの運ばなくて良かったじゃん」
「あたしの渾身のギャグをシカトすっからだよ」
「だってそんなつまんないの言う人向こうじゃいないし」
「向こう、って」
「地獄だと思ったけどそうでもなくて、でも僕が行ける様なとこだから天国でもないとこ」
「はあ?」
「そういやあの子、姉ちゃんによろしく言っといてって言ってた」
「……ひとりぼっちじゃないんだね」
「うん。世界……いや、冥界いち植物に愛されてる素敵な子がいるんだ。姉ちゃんなら呼べると思うけど、」

きっと呼んだりしないだろうね。最低限しか姉ちゃんは左手を使わないから。それに僕はいつだって、姉ちゃんのそばにいて、姉ちゃんを見守ってるんだよ。さっき言ったから二度目は言ってやんないけどさ。


*

瀬文さんたちを運び終えたから、残りの女の子を運んであげて。姉ちゃんにそう言ってからすぐ。姉ちゃんが女の子へむけて発砲した銃弾は当たることなく空を切った。これまで見ていた白昼夢のなかではかわいそうな女の子のポジションだったはずなのに、好戦的な眼をして姉ちゃんのSPECを奪おうと煽ってくる女はどうやら僕のSPECも盗んでたみたいだ。ふざけんな、人が死んでるのを良いことに利用しやがって。復讐してやりたいのは山々だけど姉ちゃんに呼ばれた僕が何でもやれるってわけじゃない。姉ちゃんがどう行動にでるのか見守ることしかできないまま、目の前で話はどんどん進んでく。かばう間もなく、姉ちゃんが相手のSPECにやられて吹き飛ばされた。

「姉ちゃん!」

僕の声は届かなかったかも。気付けばやっぱり真っ暗な中に靄がかかったようなところにいた。ああ、大丈夫かな。目を閉じて瞼の裏側を覗いてみようとしても見えない。あの続きを見るにはまだ時間が必要なのかもしれない。立ち止まるのをやめて、一歩踏み出した。…あれ?踏み出した右足の周りだけ、紫色の花が何本も伸びてきた。左足も進めてみるとやっぱり花が足の周りに着いてくる。そして、ポツポツと僕が進もうとしていた方向へ花が咲いて道のように先へ進んでく。

「紗希乃ちゃん?」

思い至ったら早かった。先へ先へと増えていく花を追いかけて走れば、花もありえない速さで先へ増えていく。ある程度走っていたら急にふっと花を追い抜いてしまった。思わず立ち止まると、目の前がパチパチはじけた。次々と広がっていく景色。目の前にあったのはさっきまで追いかけていた紫の花が一面に咲いた花畑と、見慣れた家。それから……

「おかえりなさい、陽太くん」

びっくりしたように立っているその子に近づこうとした時、またガツンと映像が流れ込んで来た。麦わら帽子を被っている紗希乃ちゃんと、瞼の裏側に流れ込んで来た姉ちゃんが重なって見える。左手の感覚を封じた姉。もう二度と会って話なんてできないだろう人。SPECがなければあたりまえだったその関係に落ち着いただけだったのに、こんなにも悲しいなんて。

「泣いてるの?」
「ただいま……紗希乃ちゃん」
「おかえり」

がんばったね、と寄り添って抱きしめてくれるのはもうこの子しかいないんだ。僕を陽太として呼んでくれる唯一の人。紫色の花畑のど真ん中で、風に運ばれた花の香りが咽かえるほど押し寄せてくる。そう、だから鼻水だって出るし涙だって出るんだ。そっと抱きしめてくれた紗希乃ちゃんをちゃんと抱き返す。

「ズズッ……ねえ、この花って何の花?」
「アネモネだよ」
「ふーん……ぐすっ、」
「ありがとう、ちゃんと帰ってきてくれて」
「紗希乃ちゃんが迎えを寄越してくれたから、迷わずに来れたんだ」
「迎え?なんのこと?」
「このアネモネが道を教えてくれたんだけど……」
「へー!すごいね!」
「いや、すごいねってやったの紗希乃ちゃんでしょ」
「ううん。わたしは、ただ、陽太くんのことちゃんと待ってようって思ってただけだよ」

じゃあ、植物の方が勝手に僕を先導してきてくれたってわけ?思わずため息をついちゃって、紗希乃ちゃんが拗ねるようにムッとした。

「ごめんごめん、相変わらず愛されてんだなって思っただけだよ」

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