晴れ間に/式の前日

きらめく透明に閉じ込めた



小さな頃のとある夏の出来事。あついあつい夏を乗り切るためには大人は冷えたビールが一番だなんて頷いている父の正面で、わたしは誰から見ても不服そうな顔をしていたと思う。だって、大人ばかりずるい。ご飯時にジュースを飲んじゃいけないって怒るのにお酒はいいなんておかしいよ。休日のお昼にグラスが汗をかくくらい冷えたビールを呷る父を恨めしそうに見ていたわたしに、お母さんがこっそり手招きをしてわたしの耳元に口を寄せた。

『あとで、とっておき作ってあげる』
『ほんとうに?!』

おやつの時よ。と付け足された言葉なんてわたしには聞こえちゃいなくてはしゃぎまくっていた。そう、それは夏の思い出。


*

「……お前、まだそんな食い方してんのか」
「あれ。父さん釣りに行ったんじゃなかったの」

休日の昼過ぎ。リビングのソファで透明なカップを片手にテーブルへ書類を広げてる所へ朝から出かけていた父が帰ってきた。釣りは風が強くて途中で諦めて帰ってきたらしい。風が強かったら竿もふれないか。釣りをしたことないからイマイチわからなかったけど、諦めたってことはそういうことなんだと思う。

「そんな食い方ってなに?」
「ゼリーだよ」
「ふつうに食べてるだけなんだけど」
「お前よく炭酸ジュースにゼリーいれて食ってただろう」
「ああ、あれ。よく覚えてるね。父さん昼にビール飲んでぐーすか寝てたのに」
「ヘンな食い方だと思ってな」
「へんって、フルーツとかだとよくあるじゃん。それがゼリーになっただけだよ」

色んな色のゼリーをまるくくり抜いてコップに入れる。それからシュワシュワのサイダーを注ぎ入れたら完成。それを縁側で飲むのが大好きだった。光が反射してきらきら光って不思議な色になる。こんなに綺麗な食べ物なんて他にないと思っていた。

「それにこれ、もともとサイダーにゼラチン入ってるやつだから見た目似てるかもしれないけど全部ゼリーだよ」
「そうか」

わかってるんだかわかってないんだか曖昧な返事をして父はソファに腰かけた。お茶でも淹れてやろうとゼリーをテーブルに置いてキッチンに立つ。数年前、母が他界してから二人でこのマンションに越してきた。縁側のついた広い家は両親とわたしだけでも広かったのに、母が欠けてからさらに広く感じて父は寂しかったのかもしれない。大学の近くに住んだ方が楽だろう、っていう父の言葉にひとつも反対することなくこの家へとやってきた。

「それにしても最近よく食べてるな、ゼリー」
「うん。頂き物なの」
「ほお」

食べる?と聞いてみると、いらないと断られた。まあ、食べると言われても食べかけのやつしか残ってないんだけど。ソファに腰かける父の前にグラスに入れた麦茶をひとつ置く。

「いつも同じ人からもらってるのか」
「そうだよ。ゼリーが好きだって言ったら、いつもくれるの」

ああ、いけない。お茶のボトルを出しっぱなしだったから仕舞わないと、と立ち上がった所でボソリ。父の低い声が零れてきた。

「よかったな」
「うん?」

よかったと言う父の表情はいつもの通りに真顔でちっとも良くなんてなさそう。表情と言動が一致してないよ、と言ってみれば「そうか」なんてまた曖昧に濁される。窓から差し込む光できらきら輝く食べかけのゼリーと、麦茶のグラス。汗をかいたグラスを握る父の手は前よりも皺が増えているように見えた。


*

「ごめんなさいね、休日だっていうのに呼び出して」
「いえ呼んで頂けて良かったです」

休日なんてあったもんじゃない。ようやくやって来た休みは営業先の顧客から呼び出され、先方の会社へ出向く羽目になってほとんど潰れた。どのみち近々寄らなくてはならなかった相手ではあったけども態々休日じゃなくていーだろ……と溜息が出そうになるのは、二度寝してだらだら過ごしている所へ連絡があったせいで飼い猫に餌をあげ忘れたことを気にしているからだった。30にもなる大の男が猫のことしか気にしていないなんて随分と寂しいもんだな、と向かいに座る仕事相手の左手薬指に光る結婚指輪を目にして思った。

「次からは新人さんになるのよね?引継ぎとかは上手くいってる?」
「はい。引継ぎ自体は順調です。近々一緒に挨拶に参りますので」
「いいわよ〜。新人って言っても、一緒に回ってたあの女の子でしょ?吉川さんって言ったかしら」
「そうですが……ぜひまた寄らせてください」
「まあ心配よね。後輩だし何より女の子だし」

取って食うようなヤツは相手にさせないから安心して。ウインク付きで投げかけられた言葉に思わず言葉が詰まった。それを目敏く見つけたその人はやたらと長いまつ毛をバシバシ瞬かせてからニヤリと笑う。

「なぁに〜若い子に手出しちゃったの〜?」
「だ、出していません」
「それにしては何か思い当たる節がありそうな反応だこと」
「いや……」

やましいことなんて何もない。だけど、週に何度か吉川が作って来てくれる弁当を隣りのデスクで並んで広げていると周りからからかわれることが多々あった。というか、確実に生温かく見守られている。同期はともかく部長にいたっては常にニヤニヤとこちらの動向を伺っているようだった。仕事しろよなあの親父。なんとか誤魔化そうとするが、そんなことは聞いていないとばかりに目の前の客は俺の返事を受け流して、次々と質問を投げかけてきた。当然しどろもどろになっていく俺の返答は突っ込みどころが満載で格好の餌となった。

「ふーん。良い子じゃない!それにしても貴方、30にもなってお返しがゼリー一択って芸がないわね」
「……返す言葉もございません」
「喜んでくれてるの?」
「見た限りではそうです」
「気を使ってるのか単純に好きなのかどっちかわからないけど……どうせならもっと喜ばせてあげたら?」
「もっと、とは?」

耳を貸しなさいと言われ、しぶしぶテーブル越しに耳を寄せる。こっそり呟かれた単語に思わず眉間に皺が寄ってしまったことに自分でもわかった。

「なに渋い顔してんのよ。それをあげたら女なんてイチコロよ!」
「……検討してみます」

イチコロなんて言葉は今じゃ死語だろう。イチコロイチコロと騒ぐ目の前の女性は自分よりもかなり年上だ。そんな人に女を総称されて語られても、いまいち吉川とはつながらないような気がしてしまう。まだ姉の方が彼女に近い。ゼリーだって姉の知恵であるし、姉の言葉を信じてみるか。

『すぐに引くような子だったら、お弁当なんか作って来ないよ』

そうであってくれたらいいと思う。ふいに彼女の作ったお弁当を思い出して、無性にお腹が空いてきた。食いてえな、弁当。なんでもいいわけじゃなくて吉川が作ったやつが食べたい。

「それにしても、若いのに胃袋で男を掴むなんてやるわねあの子」

……掴まれてたのか、俺は。





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