晴れ間に/式の前日

やわく彩り縁取って



せっかくの休みなんだしどこかへ出かけよう。そう思いついて、家でだらだらしていた掃除をキッパリと中断し、あまり行ったことのないショッピングモールへと来ていた。友人に声をかけたけれども誰も捕まらなくて、休日で人が溢れるそこで一人さびしく買い物をすることにした。目的のものがあるわけでもなく歩いていると、ふと目に入った雑貨屋にカラフルなお弁当箱が並んでいた。

「おお、すごい機能付きだ」

保温効果のあるものや面白い形をしたもの。ちょっと覗くつもりだったそれらを気付けば夢中になって物色していた。もう夏に片足を突っ込んでいるような今の時期、お弁当の中身は気を使わないと傷んでしまう。保温性のあるやつにしたらマシなのかな。でも、わたしのがそれで良くても先輩のが良くないよなあ。なんて考えながら、値段の書かれたプレートとにらめっこする。先輩のお弁当はタッパーだし、保冷材を一緒にいれとけば傷むことはないけど…どうしよう。ここ最近で一番悩んでいる買い物かもしれない。わたしのを保温効果のあるやつにするなら先輩のもそうしたい…!なんて、筒状のカラフルな弁当箱を両手に一人悩んでいると、足元にバタバタと小さな女の子がやって来た。

「ねこちゃん!」

お弁当売り場の飾りで置いてある猫の置物へと小さな背を目一杯のばして手をのばす女の子は、何度も猫ちゃんと繰り返している。

「猫がすきなの?」
「うん!すき!しぬほど!」
「し、死ぬほどって…」

死ぬほど好きな猫ちゃんに触れないなんてそりゃあ一大事だなあ。なんて呟いてみてから女の子の目線に合うようにしゃがんでみる。まんまるの目をぱちぱちさせながら女の子は首を傾げた。

「おねえちゃん、おうちにねこちゃんいる?」
「わたしのお家には猫ちゃんはいないな〜」
「メイも!でも、」

としあきくんのところにいるよ。そう言ってくっしゃくしゃに笑うその子の笑顔と「メイ!」と大きな声で呼ぶ低い声が目の前で混ざり合う。あれ、この声知ってる。次に首を傾げるのはわたしの番だった。

「としあきくん!」
「メイ!勝手に歩くなって言っただろ!」
「だってねこちゃんが…」
「一緒に行くからって言ってんじゃん」

すぐ目の前にいた女の子が急に現れた男性にひょいっと持ち上げられていく。しゃがんだまま見上げるわたしはポカンとそれを眺めているだけだった。だって、まさかそんなはず。

「お、お子さんですか先輩……!」
「吉川?」

何をびっくりした顔してるんですか。驚くのはこっちの方ですよ。それでも、としあきくん!と先輩に抱き着く女の子を見てピンと来た。

「お姉さんのお子さん…?」
「正解。彼女すらいねーのに子供いてたまるか」
「びびびびっくりしたあ〜!」
「そんなに驚くもん?」
「だって普通にお父さんしてますよ先輩」
「それ本物の父親に失礼だから」

すっと差し出された手のひらに思わず首を傾げる。片手に女の子を抱き上げた先輩はわたしに向かって手を差し出していた。

「いつまで座ってるつもりなの、お前さ」

慌てて先輩の手のひらに自分の手を乗せると、置いたか置かないかの瞬間にぐいっと引き上げられた。うわっ、と可愛げのかけらもない声を出して先輩の目の前に直立する。「おねえちゃんつれた!」とケタケタ笑って姪っ子ちゃんが手を叩いて喜んでいる。よ、喜んでいる場合じゃないんだよわたしは…!とってもドキドキしている胸は一向に鳴りやまない。急に引き上げられたからびっくりしたのか、手を差し出してくれた先輩に胸が鳴ったのかわからないけど、まともに顔を見れるような心境じゃ到底なかった。


*

「にゃーじゃなくて、な゛あっていうの」

あのねあのね、と姪っ子ちゃんは先輩の家で飼っている猫の鳴き声を一生懸命説明してくれる。氷がいくつか入ったオレンジジュースがカラン、と音を鳴らした。お子様ランチを目の前にしてるのに食べることよりもお話することに夢中になっているようだった。その脇で先輩がオムライスをただひたすらに咀嚼している。休日にまさかの遭遇を果たしたわたしたちは流れでショッピングモール内にあるレストランで一緒に昼食を食べることになった。

「それが ちょうかわいくて」
「しぬほど?」
「しぬほど!」
「なんでお前知ってんの?」
「なにがですか??」
「その、死ぬほどってやつメイの最近のブームなんだけど」
「さっき言ってたので使ってみました!」

幼稚園で覚えてきたというその言い回しは彼女のマイブームだったらしい。使ってみたと言うと、よく拾ってくるなァと妙に感心した様子で先輩はお茶を飲んでいた。一息ついたと思ったら、ぽろぽろこぼしながら食べているメイちゃんの世話をやりはじめた。なんだ、単純に話に興味がなかったわけじゃなくて、さっさと自分の分を終わらせて面倒みるつもりだっただけなのか。大好きな叔父が自分に構ってくれるのが嬉しいのか、メイちゃんはニコニコ笑顔だった。

「はい!それじゃーねえ、としあきくん おはなしして」
「話ってなんの?」
「おねえちゃんのことおしえて?」

メイちゃんの口元を紙ナプキンで拭おうとしていた先輩の動きがピタリと止まる。それから「自分で話してもらった方が良くね?」とすこし助けを求める様な視線をわたしに寄越してから呟く。

「おねーちゃん たべてるもん」

あはは、すみません先輩。わたしのドリアはアツアツでなかなか食べ進めるのに時間がかかってます。噴き出しそうになるのを誤魔化していると、じっとりと恨みがましい目で見られた。わたし悪くないですって。先輩ももちろん悪か無いけど、変に気を回さなけりゃよかったとでも思ってるのかもしれない。ううーん。と頭を抱えていた。

「俺と同じ会社の後輩」
「こーはいってなに?」
「……」
「後から入ってきた人って意味だよ」
「いもうとってこと?」
「妹…ではないかな」
「うーん?」
「同じ仕事してる仲間かな」
「なかま!」
「そうそうそんな感じです」

仲間だと聞いてメイちゃんの顔がぱあっと輝いた。小さい子にわかるように話すのって案外難しいんだな、なんて身近に子供なんていないからそう思う。

「ふたりは なかよし?」
「うん。仲良しだ」

先輩の口から仲良しって言葉が出てくるのがなんだか面白くって、さっきまで笑うのを誤魔化してたっていうのに我慢しきれなかった。軽く吹きだすと、先輩は何笑ってんだと見てきた。

「っはは。すみません、先輩」
「おまえ笑いすぎだって」

わたしが何に笑ってるのか分かっていないメイちゃんはわたしと先輩の顔を見比べてきょとんとしている。それから首を傾げながらジュースのストローを咥えていた。

「ねーえ?なんで センパイなの?としあきくんじゃないの?」
「えっ」
「……さっきの後輩の反対の言葉だよ」
「んんん〜?じゃーなかまじゃなかったの?」
「仲間はあってるよメイちゃん」

「じゃーなんで としあきくんていわないの?」

なんで?と繰り返される言葉にぐっと詰まる。なんで、って先輩としか呼んでないから…と言いたいけど先輩って言葉がそもそも通じないのだから無理な話だった。突然の名前で呼ばないの攻撃にわたしがひるんでいるのに先輩はさして気にしてない様子。呼んでもいいけど、呼べと言われたら途端に気恥ずかしくなってくるのはどうしてだろう。くん、は無い歳的に君付けでは呼べない。となると呼ぶとしたら…

「と、俊明、さん……?!」
「プッ。なんでそんな必死なの おまえ」

おかしくてしょうがなさそうに、先輩は吹き出して実に楽しそうに笑っている。さらっと呼べば良かったんだろうけどうまくいかなくて、ほんとに恥ずかしくてたまらない。たぶんきっと真っ赤になってるんだろうな、わたし。散々問い詰めて名前を呼ばせた張本人は単純に名前を呼ばないことが気になっていただけだったらしく、切羽詰まっていようが何だろうが一度言ったら満足したようだった。なんか一人でドタバタしてたみたいで尚更恥ずかしい!相変わらず笑ったままの先輩と、それを見てニコニコしている姪っ子ふたりを前に食べかけのドリアをいそいそと口へ運ぶ。もう、笑わないでくださいよ。じろりと先輩を睨みつけてみたけれど、それすらもツボに入ったらしく、また吹き出される始末だった。

「としあきくん たのしいの?」
「ん。死ぬほどな」
「おおっ しぬほど」
「もーやめてくださいよー!!」


*

姉夫婦が忙しい時には時々こうして姪っ子を預かる時がある。歩き疲れたメイにせがまれておんぶすると、嬉しそうに背中へしがみついてきた。子供特有の高めの体温はオレにとって少し暑い。

「ねー、としあきくん!おねえちゃんととしあきくんって すっごい仲良しさんだね」

背負っているから顔は見えないけど、きっと笑顔で楽しんでるように聞こえる声色でメイは「すっごい仲良しだった!」と繰り返す。昼に会社の後輩と遭遇してからのこいつはずっと楽しそうだった。別れた後もずっと、おねえちゃんおねえちゃんと吉川のことを話している。

「としあきくん、おねえちゃんのことおしえてー」
「さっき教えたじゃん」
「ぜんぜんわかんなかったもん」
「今日教えたことをちゃんと思い出してみろって」
「んーと、コーハイ!」
「ん。正解」
「あとねえ、ごはんがおいしい!」
「あたりー」
「ママのごはんとどっちがおいしい?」
「お前のカーチャンのご飯もウマいよ」
「どっちも?」
「そう、どっちも」

それと、それと〜…とオレの首に回した手の先で指折り数えている手がゆるゆると下がっていく。うとうとし始めたソイツをもう一度ちゃんと背負い直すと、揺れてちょっとだけ目の覚めたメイがもごもごと何か呟いている。

「……おねえちゃん、すき?」

眠るまいと、小さく唸りながら呟く。好きかどうかなんてどういう意味で言ってんだ子供が。なんて思っていれば「すきじゃないの?」と繰り返される。

「好きだよ」

オレの答えに満足したのかきゃあきゃあ笑って、その内にすとんと眠り始めた。子供はほんとに忙しない。

姪っ子に聞かれたから答えただけ。確かにその通りだけど、すんなりと認めた自分が面白く思えてきた。本人がいないところならこうやって照れもせずに認めることができるのに、目の前に座られちゃ、何でもないように装うので手一杯だった。大袈裟に笑って誤魔化すしかできないなんてどこのガキだよ、もう30だぞこっちは。真っ赤な顔で自分の名前を呼ぶ彼女を思い返す。あんなに真っ赤な顔見たことないかもしれない。良いもん見れた、と一人で笑っていれば遠くで手を振る姉の姿が見えた。今日はとてもいい子だったって伝えておこう。








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