晴れ間に/式の前日

やさしい人の特権



『姉ちゃん、なんで真っ黒いの食べてるの?』
『ふふん、聞いて驚け。これはご飯を作っている姉ちゃんの特権なのだー!』

外で遊ぶことに一生懸命で、家の手伝いなんてろくにしていなかった。両親が死んでしまった後、家事を8つ上の姉がやってくれていた。母親が生きていた頃は食卓に黒っぽいものがのることはなく、いなくなった後からそいつは度々登場した。それも、姉のお皿の上にだけ。ある日、ご飯時に回覧板を持ってきた近所のおばさんと玄関で話し込んでいる姉の目を盗み、皿の上にあった黒っぽい鶏のから揚げと自分の皿の上にいた茶色いから揚げを交換して食べてみた。とても苦くて、食えたもんじゃないと思った。

『なんであんたが食べてるのっ!』

戻ってきた姉は怒っていた。口は笑っていたけど、目は笑ってなかった。苦い、と俺が零せば、

『子供にはまだ早いわよ』

と笑われた。それでもやっぱり目は笑っていない。俺は子供だったけど、気付かないほど馬鹿ではなかった。姉だって、両親がいなくなる前までは普通に母の手料理を食べていた。たまに料理をすることはあっただろけど、毎日なんてわけじゃない。俺を育てていかなくちゃならなくて、それで得意じゃない料理を頑張ってくれていたわけだ。見栄を張るような人間だったなら、黒くなったそれは捨てて、綺麗な奴だけ食卓に並んでいたはず。でもそういう人ではなかった。あの日怒っていたのはきっと、姉の好意を踏みにじったからだと思う。なんやかんやと縁があって週に何度か弁当を作って来てくれる後輩の弁当を見て姉との黒い食べ物の思い出が浮かんできた。

黒いのを俺が食べてやるよって言うのも優しさのひとつではある。でも、何を思ってこっちを俺の弁当にしてるのか、とか考えたらその優しさに甘えてみることしか選択肢が浮かばなかった。念のため確かめてみれば「正解です」と笑われる始末。7つも離れている女の子に気を使わせてしまった。と情けない気もするが、それに勝ったのは吉川の優しさだった。


*


今日も仕事を何とかこなしてから家に帰ると、携帯に姉からの着信があった。何か用か。

「もしもし?」
『もしもーし?今帰って来たの?』
「そう」
『もう飲んだ?』
「今から飲むとこ」
『あ、そ。ねーえ、あの子とはどうなったの?』
「あの子って?」
『しらばっくれちゃってやだやだ』

携帯を耳に当てながら、冷蔵庫から缶ビールを取り出した。足元で、みゃうと鳴く同居人の飯をすっかり忘れていて、姉に適当に返事をしながら大きな袋に入った餌を専用の皿にのせてやる。

『まだお弁当作ってもらってるの?』
「うん。週に何度か」
『へー、美味しい?』
「まあ。好きな味ではある」
『ほうほう。お返しは?ちゃんとしてる?』
「ん。前に教えてもらった店のを順番にクリアしていってる」
『クリアって、ゲームじゃないんだからバカ』

最初に作ってもらった時のお礼に、姉に教えてもらった店のゼリーを買って渡していた。彼女はそれがとても気に入ったらしく、作ってもらったらその店のゼリーを渡してる。ゼリーが好きだったみたいでよかった。無難にお菓子とかケーキでいいかと姉に相談した時に「太らせる気か!」と言われ、まあ確かに。太る太らないを常に気にしていた姉を思い出して納得した。

「そろそろやめようと思うよ」
『え?何を?』
「ゼリー」
『そりゃもっと早くに気付けばよかったのにさ』
「ゼリー好きだって言うから続けてたんだよ」
『そうなの。じゃあ、お店変えてみるとか』
「んー。それもありだけど、もっと違うのあったらそれにする」
『食べ物以外あげてみたら?』
「んなの急にもらったら引くだろ」
『どーかねえ。すぐに引くような子だったら、お弁当なんか作って来ないよ』

女子のカン!とケタケタ電話越しに笑う姉が「いま女子って言葉に引っかかったでしょ?」と言い始めた。べ「言ってない」そう言うと、「男はどうせみんなそう思ってるんだ」なんて言い始める。義兄さんに言われたんだろう。今度会ったら聞いてみるか。姉との電話はほどほどにしておいて、ビールがぬるくなる前に飲むことにした。

「なにがいいんだろうな」

ちゃぶ台の上で寛いでいる猫を撫でようとしたが、ひょいと交わされ、可愛げのないつぶれた声で鳴かれた。知らねーってか。そりゃそうだ。猫にわかって俺が分かんないんじゃ俺の立場がない。
さて、何をあげたら吉川は喜ぶんだろう。




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