晴れ間に/式の前日

まなざしをあげます



「何でも頑張ります!」

確かにそう言ったのはリクルートスーツを着て、無理やり黒く染めた髪の毛を一本に縛ったわたしだった。後がないっていうほど追いつめられていたわけではなかったけど、手応えを感じれたこの会社で働けたらって、がっついていたように思う。今思うとなんてことを言ったんだと頭を抱えたくなる。確か、何でもって言ってたよね?とにっこり笑われて、苦笑いするしかない。たしかに言ってた。よく覚えてるな…だなんて内心思ってることはばれていないといいな。なんて上の空で、渡された書類に書かれたお堅い文章を眺める。回りくどく書かれているけど、結局はハイ君来月から異動ね!ってことだった。

「少なくとも1年は異動がないって聞いてたんですけど〜……」
「もう2月よ?だいたい1年ってところでしょ」
「そーなんですけど、そーじゃないんです!」

4月に配属された企画部で二つ上の先輩のデスク隣りに座り、先輩にもらったチョコレートを食べながらうなだれる。昼休憩で、人もまばらなこのフロアは静かだった。上司に呼び出されて、同期との昼食に出遅れたわたしは朝ごはんで食べ損ねて持ってきたおにぎりを食べ、周りの先輩にお菓子の餌付けをされていた。お菓子はおいしいけど、複雑な気分。だって異動だなんて。先輩や同期とせっかく仲良くやれていたのに。ここに来て異動だなんてさ。

「そんな落ち込まないでよ。フロア近いじゃない。」
「そーなんですけど……」
「さっきからおんなじことしか言ってないよ吉川」

先輩は笑って、またひとつ小さいお菓子をわたしの膝の上に落としていった。

「何か楽しみでも見つけてみたら?営業課はここと全然色が違うんだし」
「楽しみですか?」
「そうそう。企画部はさ、大体女じゃない。だけど、向こうは男の人いっぱいだし」
「あのわたし別に男漁りに行くわけじゃないんですが!」
「でも、あの人いるじゃん。吉川がお気に入りの」
「……あっ!」
「いま気付いたのー?いつも営業課の前通る時に眺めてるじゃん」

そうだ、あの人がいる。ぶっきらぼうな雰囲気なのに、お客様の前だけ饒舌に喋るあの人。それこそ男漁りに社会に出たわけじゃないのに、ふと気になって目で追うようになってしまっていた。わたしの行動はバレバレで、先輩方にはよくつっこまれていた。話して来ればいいじゃん、って言われたって話してくれなんかしないだろう。だって、お客様を笑顔で見送った後は本当に気怠そうにしているし、大体男の人としか話していない。……これじゃまるでわたしがずっとあの人を見ているかのようだ。

「これで向こうでも頑張れるご褒美が出来たね」
「そーいうことじゃ!ないんです!」
「ははは、またそういうこと言う」

営業課にはいくつかチームがあって、わたしとあと何人かが一緒に移動になるらしいから、あの人の下に就かなければ特にこれまでと変わりなく過ごせるんだろう。わたしは別に何も望んじゃいないんだ。ただ目で追ってしまうというだけで。

そんな願いが容易く散ってしまうなんてこの時は思いもしてなかった。いざ異動してから、配属チームを伝えられて驚いた。まさか、まさかまさか。あの人の下なんて。

「あー、よろしく。」

珍しいものを見るような目で見下ろされる。こんな顔するんだ、って思ったらふつふつと興味が沸いてきた。この人は、わたしがこれまで思っていたような人なのだろうか。近づいてみたらどう変わるんだろうか。そう考えたら、遠くに感じていた距離が勝手にすこしだけ近く感じた。あの人のこの表情はこの先一生忘れないと思う。

きっと、わたしをちゃんと捉えた最初の表情だから。




back
- ナノ -