晴れ間に/式の前日

はじまるこれから



「わあ、この子が噂の猫ちゃんですね!」
「最近こいつ太り気味なんだよ」
「もしかして人間の食べ物あげてません?動物には塩分強すぎるんですよ」
「あ、そうなの?」

*

「俊明さん!見て、見てこれ!」
「飼い猫特集……?」
「そうなの。この前送ってみたんです!ほら、あくび姿が猛々しいって!」
「褒め言葉かよ、それ」

*

「時計壊れた」
「新しいの買いに行きましょ!この家にぴったりな雰囲気のがいいですね〜」
「デジタルの方がわかりやすくね?」
「ええ〜?昔ながらの方が味があっていいですよ」
「そういうもん?」
「そういうもんですっ」

*

「ん。やっぱりゴテゴテしてるやつよりシンプルなやつのほうがお前に似合う」
「えへへ…ありがとうございます〜」
「あと、これも」
「……これって、指輪、」
「俺とこれからも一緒にいてください」
「……!」
「結婚しよう」
「……はいっ!」


*

あのね、お父さん。いっぱい、いっぱいあるのよ話したいこと。お母さんには心の中でいっつも話しかけてるからきっと聞こえてると思うけど、お父さんにはなかなかお話する機会がなかったね。本番じゃありきたりな感謝の言葉しか話せないと思うから、お父さんにちゃんと話しておきたいの。

「大丈夫だよ」
「大丈夫って……」
「お前が俊明くんに大切にされていることなんて、言われなくてもわかるさ」
「なにも、話してないのに?」
「見てたら分かるよ」

僕らの娘なんだから。なあ、母さん。棚の上に飾っている家族写真で笑う母に問いかける父は、穏やかに笑っていた。こんな風に笑う人だったんだろうか。笑うようになったんだろうか。母の後ろからこの人を見ていた時を思い出しても、あんまりわからない。ぽつりぽつりと呟いていく父は、昔見えた大きな背中よりもこじんまりして見える。

「いつか出て行くのがわかっていたから、このマンションを買ったんだ」

一人じゃあの家は広すぎる。そう言う父は苦笑いした。結婚の挨拶に俊明さんをうちに売れてきた時に、一緒に住まないかと父に言ったのに父はそれに頑として首を振らなかった。あの家は2人で住んでも広いから、俊明さんがそう言った時に返って来たのは、「だんだんと狭くなっていくんだよ」という言葉だった。

「いい人と出会えたな、紗希乃」

胸がいっぱいになる。熱い目頭を擦らないように、頑張って耐えたけど温かいものが零れていく。擦ってどうする、明日みっともない顔で出たら母さんがきっと怒るぞ。一番楽しみにしてるんだから、なんて笑う父の目もじんわり潤っていた。いつもの不器用な笑い方をしている父と、わんわん泣いている自分がまるで何かのドラマの一部のように他人ごとに思えた。



社会人三年目。仕事も大体安定してきた。母はわたしが大学生の頃に先立った。

「明日、お礼言わなくちゃな」
「お礼?」
「最後にお前と過ごす時間をくれてありがとう、ってね」

それからはわたしが父の世話をしていたような感じだったけれど、一緒に暮らして、育ててくれた。あと数年もしたら還暦を迎える父のもとからわたしは嫁いで行く。大好きなあの人と、鳴き声がかわいくない猫と生きていく。きっと人数も増えていって、賑やかになるんだろう。そして時々この家に来て、皺だらけになった父の周りで騒いで困らせてやるんだ。なんとなく悲しくて、ぼんやりした希望もあって、泣き笑いっていう様子がぴったりだと思う。俊明さんがくれた最後の時間はきっとこれからも忘れない。そして、これから先のことも全部、全部忘れないよ。

わたしは明日、結婚する。








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