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「仲直りの握手をしよう」

優しく、出来るだけ温厚に聞こえるように話しかけてみたが、反応は芳しくない。
不審げにこちらを見る瞳、警戒心あらわな姿勢。
確かに乱暴過ぎた気はしないでもない。しかし、暴れた相手とて悪いのだ。
――と、それを言ってみたところで相手には通じないだろう。こちらから歩み寄るしかない。

「悪かったよ、な? 機嫌直せって」

ゆっくり一歩近づく。
怯える瞳。

「許してくれ、お前が頼りなんだよ」

そう懇願すると、ようやく相手――彼女は納得したのか、すごすごと警戒態勢を解いた。
ほ、と安堵の息をつく。
なにせ、今この城にいるふくろうは彼女一匹だけなのだ。確かに大荷物過ぎるかもしれないが、他のふくろうの帰りを待っている時間はない。

「帰ってきたら、好物のビスケットやるからさ。ひとつ、サラザールのところまで頼むよ」

彼女はいかにも不満げに、ホウ、と一鳴きして大荷物によたつきながら音もなく飛び立った。


― 試験を前に ―


五月も半ばになると、試験勉強で躍起になる上級生の姿が多く見られるようになった。
煽られるように、下級生にも焦りが出てくる。
ジェームズ達が騒ぎを起こすのをやめ、真面目に勉強に取り組み始めたのもこの頃だ。
その影響もあったのか、彼女が声をかけてきたのもこのタイミングだった。

図書館で羊皮紙に引っ掛かったペン先をとろうと指先を真っ黒にしながら格闘していると、ふいに視界が暗くなる。
驚いたアラシは一瞬動きを止めて、ゆっくりと視線を上げた。
机に影を落としたのは、同い年の女の子だった。赤毛で、緑色の目をした見覚えのある風貌にぽかんとする。

「こんにちは」
「え、あ……こんにちは」

反射的に答えてから、彼女には嫌われたのではなかったか、と思考が追いつく。

「ここ、座ってもいい?」

正面の席を示して礼儀正しく言ったリリー・エヴァンスからは、嫌っている雰囲気も皮肉を言う素振りもない。
やはり反射的に「どうぞ」と返答してから、アラシはその席がリーマスが座っていた場所だと気付く。
薬学用の資料を探してくる、と席を立ったまま戻ってきていないようだ。
しかし今更退いてくれとも切り出せず、アラシは結局そのまま放っておくことにした。
リーマスが相手なら、早々言い争いになることもないだろう。

「どうしたの、それ」
「引っ掛かって取れなくなった」

肩をすくめると、リリーはおかしそうにくすくすと笑った。
彼女はテーブルに勉強道具を置きこそすれ、それを広げる様子は見せない。
アラシはペン先をいじくるのをやめて、彼女に向き直った。

「俺に何か用?」
「聞きたいことがあるの」

待っていました、といわんばかりの早さでリリーが返してくる。
ジェームズ達の行いによって温度の下がった目線とは違う、真剣なものだった。
未だ幼さの残る顔立ちながら、リリーのその表情はやけに大人びている。
頷いて先を促すと、彼女は唇を舐めて続けた。

「あなたとルーピンは、アイツらとは無関係なのね?」

言わずともかな、アイツらとはジェームズ、シリウス、ピーターの三人だろう。
肯定するべきか否定するべきか迷って、アラシは結局そのどちらでもない選択をした。

「友人ではある。だけど、彼らが起こした騒ぎには関わってないよ。俺もリーマスも」

ずるい答え方だな、などと思いつつ口を動かした。
それは、セブルス・スネイプとジェームズ達との間に挟まれたときと似ている。
けれどリリーは、あっさりと頷いて笑みを見せた。

「わかったわ。あーすっきりした。……今までごめんなさい、アラシ。仲直りしましょう」

差し出された右手に、頬がゆるむ。そっと握り返して、アラシは彼女へ笑い返した。

「ありがとう」

いいえ、とリリーは首を振って手を離す。
その手へ何気なく視線をやって、アラシは「あ」と声を上げた。
真っ黒な線がくっきりとリリーの手の甲についてしまっている。
インクのついたペン先をいじった手で握手したのだから、当然の結果だった。
アラシの視線の先にリリーも気が付いたのだろう、自分の手を見て苦笑を浮かべた。

「ごめん、今消すから」

杖を取り出して、軽く振る。間もなく、黒く残った指の跡は消えうせた。
それを不思議そうに眺めてから、リリーが口を開く。

「相変わらずすごいのね」

それに愛想笑いで返す。
図書館は、試験勉強に励む生徒でごった返していて、多少のお喋りをマダム・ピンズは大目に見ているようだ。

「何の勉強をしてたの?」

リリーがアラシの広げた羊皮紙を覗き込む。羽ペンが置かれた場所に黒い染みが広がっている他に、多少の文字も書かれていた。
アラシはリリーと同じように視線を羊皮紙へ下げ、羽ペンを手に取る。ぐい、と繊維にペン先が引っ掛かる感覚に顔をしかめて、それを取り外す作業に戻った。

「魔法薬学だよ、リーマスと一緒に。材料名全部は覚えきれないよね」

リリーはこてん、と小首をかしげて「そう?」と笑った。

「頑張れば、そうでもないと思うけど。暗記苦手なの?」
「というか、薬学自体に興味が持てなくて覚える気が起きない」

肩をすくめると、リリーは一瞬目を見開いてくすくすと笑った。

「意外だわ」
「そうかな」
「てっきり、全教科満点を取るのかと思ってた」

思わぬ言葉に、手が止まった。苦笑が漏れる。
それは出来ない。いくら“記憶”があって、他の生徒より有利で、努力すれば可能だとしても。
あまりにずるい行為だし、アラシ自身そこまで努力するつもりはない。

「リリーこそ勉強はどう? はかどってる?」

そう振ると、彼女は整然とした笑みで「まあまあね」と答えた。
どうやら自信があるようだ。
マグル生まれというハンデキャップからなのか、リリーはとても努力家でかつ才能がある。
授業でも頻繁に褒められるくらいなのだから、テストにも当然全力で取り組むだろう。

「それはそうと、アラシ」
「ん、なに?」

もう少しで絡まった繊維が取れそう、と呟いてアラシは視線を落とす。

「二月にあなたの秘密をおしえてくれた日、覚えてる?」

軽い調子でリリーが言ったので、アラシは頷くだけの返事を返した。
手元が真剣なのだ、目が放せない。

「あの日のポッター、傷だらけだったじゃない?」
「ああ、うん。確かスリザリン生と言い争ってたって聞いたけど」

ふと、沈黙が落ちる。リリーが言いよどんでいるのか、それともこの話題に飽きたのか。
ともかく、この間にアラシはようやく羽ペンを解放する事に成功した。
手先はインクで真っ黒に染め上がってしまったが、これでようやく勉強の続きが出来ると安堵の息をつく。

「言うべきかどうか迷ったんだけど、私はポッターの事なんてどうでもいいから、言っちゃうね」

相も変わらず軽い口調で酷いことを口走ったリリーは、ぽかんとするアラシをよそに話を続けた。

「たぶんねそれ、あなた絡みのことだと思うの」
「え、俺?」

思わぬ言葉に素っ頓狂な声が出た。
図書館でのそれは、案外目立つ。司書がちらりと視線をこちらに向けたので、アラシは慌てて咳払いをして誤魔化した。

「俺絡みって、どういうこと?」
「私も呪文学の教室の窓から聞いただけだからよくわからないけど、あなたの名前が聞こえたから」

たぶんね、とリリーは自信なさげに続ける。
アラシは眉根を寄せた。そんな話は、ジェームズから一言も聞いていない。

「ポッターは言っていないと思ったから迷ったんだけど。私がアラシなら知りたいから、言っちゃった。余計なことだった?」

不安そうに声を震わせたリリーへ、アラシは首を横に勢い良く振って笑みを浮かべた。

「そんなことないよ。話してくれてありがとう、リリー」

リリーは薄っすらと頬を染めて嬉しそうに笑う。
アラシはそれを微笑ましく思いつつ、きゅ、と顔を引き締めた。

「相手が誰だかわかる?」

問いかけに、リリーはふるりと首を振る。そう、と頷いてため息を付いた。
まさかジェームズのあの怪我にそんなことが絡んでいたとは予想外だ。
もう三ヶ月も前のことで、すっかり忘れていた。もっとも、その時も別の事で手一杯で頭がそこまで回らなかったのだが。

「あれ、エヴァンスさん?」

第三者の介入で、空気が変わる。声の主へ視線を滑らせ、アラシは自然と笑いかけた。

「リーマス、いい本あった?」
「え? ああ、うん。で、なんでエヴァンスさんがいるの?」

戸惑ったように二人を見比べるリーマスの手には、見繕ってきたらしい本が数冊抱えられている。

「ごめんなさい、ここルーピンが座ってたのね」

リリーは礼儀正しくそう言って、素早く立ち上がった。元々長居する気は無かったのだろう。

「それは別にいいんだけど。――えーと……、もう怒ってないの?」

後半はアラシに向かってボソボソと言ったリーマスに、くすりと笑って頷いた。

「仲直りをしてくれるって」
「あなたたち二人だけね。今まで色々ごめんなさい」

リリーはアラシの言葉にそう付け加えて、リーマスへ右手を差し出す。
リーマスは抱えていた本をテーブルに置いて、その手を握り返した。

「誤解が解けたみたいで良かった」

アラシもリーマスも彼女がこちらへ必要以上に皮肉を言ってこなければ別段構わなかったのだが、友人とは仲直りするに限る。
しばし三人で顔を見合わせた後、リリーは自分の勉強道具を腕に抱えた。

「じゃあ、私行くね。お互い試験頑張りましょう」

軽く手を振って去っていく彼女を横目に、リーマスが椅子へ腰をおろす。

「試験前にしがらみを無くしたかったのかな。エヴァンスさんらしいね」

ぽつりと呟いたリーマスの言葉で、アラシはいきなり彼女が折れたことに合点がついたような気がした。いかにも、真面目なリリーらしい。
ジェームズの件についても、きっと彼女の内にしまっておくには試験の邪魔だったのだろう。

「ところでアラシ、手が真っ黒だけどどうしたの?」
「ペン先が引っ掛かって取ってたんだ」

リーマスの問いに答えると、彼は呆れた目で真っ黒の手を見下ろした。
釣られて自分の手に視線を落とすと、辛らつな言葉が降ってくる。

「魔法使えばいいのに。まさか、自分が魔法使いだってこと忘れているわけじゃないだろ?」

その手があったか、とアラシはひとしきり後悔したのであった。


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