58


「規則って簡単に考えていたけれど、案外難しいものね」

ロウェナはそう言って顔をしかめた。
机に広がるのは、大量の羊皮紙。
書かれては取り消し線が引かれ、付け足され、あげくにくしゃくしゃに丸められたものもある。
そのひとつを手にとって、ロウェナはひとつため息を付く。

「頭がごちゃごちゃしてくるわ」

銀髪をかく彼女に、思わず苦笑が漏れた。
大変だ、忙しい、難しい、と言いながら実質彼女は楽しんでいるふしがある。
指摘すれば激怒すること間違いないので、口には出さないが。

担当者の彼女の働き振りから見るに、校内の規則が決まるのも、もうすぐだろう。


― 二度目のお茶会 ―


ダンブルドアから二度目のお茶会のお誘いがあったのは、イースター休みが明けた四月のことだった。
この時期、生徒――特に上級生達――は、試験勉強へ気を移す。
朝食時に他人へ届いた手紙など、あのジェームズ達ですら興味を示さなかった。
そのことに、少しの安堵をしてサラダをつつく。

“友人には内密に”

と追記された手紙に、アラシはひとつため息をついた。
覚えがない、と言えば嘘になる。
つい先日の満月の事だ。
明け方、約束どおりリーマスを迎えに行こうと廊下を半ば走るようにして進んでいたアラシは、時間短縮にと入った絵画の後ろの抜け道で校長と出くわした。
かの老人はゴーストと談笑中だったようで、陽気に挨拶をしてきたのだが。
気まずさと、急いでいるのもあってアラシは挨拶もそこそこにその場を走り抜けたのだ。
よもや、ダンブルドアが挨拶の事で咎めるようなことはないだろうが、問題は別のところにある。

明け方、しかも満月の次の日に、急ぎ足で階下へ向かう。

このことが、今日の呼び出しに繋がったのだろうと、予想はついた。
そういえば、アラシの秘密は皆知ったということを校長は承知済みだが、リーマスの件については一切触れてきていない。
ちらりとリーマスを見やったが、今朝、彼に届いた手紙はなかったのでどうやらアラシだけがお茶会に誘われたらしい。
微妙に納得がいかないまま、アラシは再びサラダをつついて口へ運んだ。
リーマスのことにしては、随分遅い対応だ。まさか、アラシが気付いたことを知らなかったのだろうか。
と、そこまで考えてそれはないな、と一人笑った。

「アラシ?」

一人笑ったのを不審に思ったらしいジェームズの声で、顔を上げる。

「なに、ジェームズ」

刺々しく言うと、ジェームズは「いや、べつに」と言葉を濁した。
アラシはため息を付いて、もう少し大人にならないとなぁ、などと年不相応なことを考える。
ジェームズとシリウス、それにピーターは、今でこそ大人しく試験勉強に励んでいるものの、イースター休暇に入った頃は酷いものだった。
ありとあらゆる“いたずら”を大々的にやりまくったのだ。
おかげでグリフィンドール寮の点数は減るばかりである。一部の上級生は当然いい顔をしなかったし、シリウスの方へはあらぬ嫌疑をかける者も現れるほどだった。
これで極々一部の生徒に限るものの、信者の様に彼らに憧れる者もいるのだから、この学校はやはり少々変わっている。
当然、アラシもその被害を受けた。
ジェームズ達の“いたずら”について質問され、拒否し、さらに問い詰められて逃げる、というのが日常である。リーマスも同じような目にあっているらしく、今日も彼は“他人のフリ”を続けていた。
ついにぶち切れて説教をかましたのは、休暇が明ける三日ほど前の事だった。
それが効いたのか、はたまた飽きたのかは定かではないが、今は下火になりつつある。
しかしアラシの内には根深くそのことが残っているのだ。自分のことながら引きずりすぎだな、と苦笑が漏れる。

「俺、放課後用事が出来たから、先に寮へ行ってていいよ」

そう言うと、ジェームズ達はアラシが怒っていると判断したのか、ぴしりと動作が不自然に止まった。
それを横目で眺めつつ、少しは薬になったらしいなどと考えつつ。
アラシはサラダを咀嚼して付け加える。

「君達の“やりすぎたこと”とは関係ない」

ほ、と胸をなでおろしたのはピーターで、気まずそうに視線を逸らしたのはシリウス。ジェームズは、相変わらずバツが悪そうに視線を泳がせている。
やりすぎた自覚があるらしい。反省はしているようだった。
だからといって、今後一切やらないという保険にはならないが。
ともあれ、本当の意味での日常が戻ってくるのはもう目と鼻の先というわけだ。
アラシはゴブレットの水を飲み干して、立ち上がった。タイミングを計ったように、隣に座るリーマスも席を立つ。

「じゃ、先に教室行ってるから」

短く言って、リーマスと並び歩き出す。
最近は、こうやって別行動を取ることが多い。それというのも、彼らの周りには常に人が集まり、トラブルが舞い込んでくるからだ。
アラシもリーマスも余計な騒ぎに巻き込まれるのはごめんだったので、早々に朝食を終えたというわけである。

「放課後どうしたの?」

変身術への教室へ向かいながら、ふいにリーマスが口を開いた。
ここで本当の事――満月の次の日にダンブルドアに見つかったことについて――言えば、きっと彼は自分のせいだと思うだろう。
アラシはへらりと笑って、ふと思いついたことを口にした。

「家からの手紙。返事を書くんだ」
「ああ、なるほど」

リーマスは納得したようでひとつ頷き、他愛のないことへ話題を変えた。
それに相槌しながら、そういえば祖父母とは長らく連絡をとっていないことを思い出す。彼らが魔法に慣れておらず、ふくろう便も長距離には向かないだろうと手紙も書かずにいたのだけれど。
きっと心配していることだろう。夏休みに家へ帰ったら、きちんと報告しなくてはならない。
イギリスで、何を知り何を学んで何を得たのか。
記憶と、友人と。それから、もう二度と普通の少年には戻れないことも言わなくてはいけないだろう。

「教科書を開いて。学期末試験は目と鼻の先です。いつまでも連休気分でいないように」

マクゴナガルの一声でざわめいていた教室が静まり返る。彼女の眉がぴくりと動いたのは、そのすぐ後だった。

「ポッター、ブラック、ペティグリュー。遅刻した上に誤魔化すなど言語道断ですよ」

険しい視線の先を追えば、腰をかがめていかにもこっそり入り込みましたといったポーズの三人組が固まっている。
生徒の大半は呆れ顔の一方で、何人かの男子生徒は楽しげに忍び笑いを漏らした。
アラシはもはや何を思うでもなく、すぐに前に向き直る。リーマスも当然他人のふりだ。

「グリフィンドールから10点減点。三人とも席に着きなさい。授業を始めます」

先日のクィディッチ優勝争いにグリフィンドールが参戦できなかったためか、彼女の機嫌はあまり良くないようだ。
結局、今年のクィディッチはスリザリンが優勝した。一番の敵対寮とあり、寮監のマクゴナガルも思うところがあるのだろう。
ともあれ、そんな教授の怒りには触れたくないので変身術の授業は極めて静かに始まり、緊迫した空気の中で終わった。

昼食のあとは、薬草学である。
当然、こちらも試験に向けての忠告があった。一年生だからといって気を抜かないこと、とスプラウト先生にしては珍しく口を酸っぱくして言い重ねたのである。
ようやく一日を終えた頃には、試験があーだこーだと散々言われて憔悴している生徒の姿が城のそこかしこに見かけられた。

放課後、薬草学の教科書とドラゴン皮の手袋が入ったままの鞄を持ってアラシは廊下を進んでいた。
目指すは、校長室の入り口であるガーゴイル像。今回は、合言葉が手紙に記されているので勝手に入って来いということだろう。
三度目の訪問となっていい加減慣れてきたアラシは、動き出したガーゴイル像を見上げてひとつため息をついた。
いくら“ゴドリックの記憶”があるとはいえ、試験は気が重い。
ほどなくして着いた校長室の扉の前で一旦気を引き締めてから、そっとノックした。

「誰かの?」
「カンザキです」

短く返事を返すと、入室を許可する校長の声がした。
扉を開ければ、どこから持ち出してきたのか座り心地の良さそうなソファーが二脚、テーブルが一つ用意されている。
ソファーの片方に腰掛けていたダンブルドアは、にっこりと笑って座るようにと促した。それに従って、対面に置かれたソファーに身を沈める。
ダンブルドアは紅茶をアラシの前に置くと、ゆっくり口を開いた。

「さて、アラシ。早速だが、本題といこうかの」

いつになく真剣なブルーの瞳に、思わず体が強張る。

「今年度も残すところあと三月(みつき)足らずじゃ」

しかし予想していた話題とはあまりに関係のない切り出しに、呆気にとられる。
ぽかんとしているアラシを見てダンブルドアは微笑むと、さらに言葉を続けた。

「夏休みの帰郷の前に、おぬしに話しておかなければならない事がある」

どうやら、リーマスのことではないらしい。
アラシは「はい」と短く頷いて、ダンブルドアが先を話すのを待った。

「まず、おぬしは国と海を越えてこの学校へ在学している」

黙って頷くと、校長は少々困ったように笑みを崩した。

「おぬしの故郷にも少なからず魔法使いがいることは知っているかの」
「ええ、まあ」

散々図書館で本を読み漁った知識の欠片として、ではあるが、知っているには知っている。
アラシは首をかしげた。

「それが何か?」
「日本はイギリスにも増して純血主義の高い国じゃ。魔法使いの親から子へ、そうでなければ師から弟子へ魔法は受け継がれ、学校という概念は極めて薄い。……これも承知のようじゃな」

アラシの表情から読み取ったのだろう、校長は苦笑を漏らした。

「たぶん、言いたいことをおっしゃって貰った方が早いかと」

同じく苦笑で返すと、ダンブルドアはうむ、と重々しく頷いてみせる。

「アラシ・カンザキは未成年じゃ。こちらで日本側への書類作成はしたが、誤魔化したのはマグルの目に過ぎない」
「えーと、つまり日本における俺は魔法使いであってはまずい、ってことですか」
「平たく言うとそうなるが、少々問題は複雑なのだよ」

説明に困っているのか、ダンブルドアは誤魔化すようにティーカップを口へ運ぶ。
アラシはその間に、話の内容を必死に咀嚼した。
ホグワーツへはダンブルドアのはからいで“特別入学”として受け入れられた。
住所はイギリスではないから、留学という形になるだろうか。
そして日本では魔法使いではないので、そう振舞ってはいけない。
そこで、ぽつりと疑問が浮かぶ。
なぜ、“日本の魔法使い”であってはいけないのか。

「日本の魔法使いの形に問題があるんですか?」

おそるおそる問いかけると、ダンブルドアは一瞬驚いたように目を見開き、続いてため息を付いた。

「頭の回転が早いのう。日本ではまだ魔法について未発達なのじゃ。魔法使い社会がまだ完全に出来上がっておらん。わしが知る限りでは、魔法使いとして把握される者に枠がある。親がそうであるもの、あるいは魔法使いが弟子と認めるものとしているようじゃ。つまり、おぬしはイギリスで言う未登録のアニメーガスに近い」

アニメーガス――動物もどきについては、変身術の授業で少々触れられたことがある。
その名の通り、動物に変身することが出来る能力のことだ。高い技術が必要とされる。変身術を教えるマクゴナガル教授は数少ないアニメーガスの一人だ。
そして、習得したものは魔法省に登録申請する事を義務づけられる。未登録は違法――すなわち、犯罪だ。
アラシは顔が引きつった。それって、かなりまずいのではないか。

「校長、なんでもっとこう……どうにかならないんですか」

のんきに紅茶なんて飲んでいる場合ではない。
日本に帰ったら犯罪者、なんて考えもしなかった。そもそも、そのへんは学校側が上手く処理しているものだと高をくくっていたのである。

「わしも、日本とはあまり縁がなくての。魔法使いの知り合いの一人でもいれば、そこから身分証明の師となる者を探せたのじゃが。他の先生方や出来うる限りの知り合いにも尋ねたが、残念ながら見つからなかった」
「それ、いつの話ですか」
「おぬしの入学前からじゃよ」

どうやら、校長も校長なりに頑張っていたようである。
しかし夏休みまで日がないことを考慮して、こうして事情説明となったのだろう。
アラシは責めるに責められず、ただただ深いため息をついた。

「事情は飲み込めました。質問ですが、俺はマグルの方にはどういう扱いなんですか」
「本当の両親と暮らしている、ということになっている。国籍は日本のままじゃ」

なるほど、無理のない設定だ。ある意味、両親と言うことでは間違いではない。千年も前の魔法使いだが、ゴドリック・グリフィンドールは親ともいえるだろう。
アラシはティーカップへ手を伸ばし、一口こくりと飲んだ。大分冷めてしまったが、ふわりと優しい香りが口内に広がる。

「これから三ヶ月の間に、身分を証明してくれる人が見つかるのを期待するべきでしょうか」
「可能性は低いことを承知してもらわねばならん」

やはりそうか、とアラシは頭を抱えたくなった。
帰国中に魔法を使うつもりはなかったが、心構えが違う。
使ったらイギリスの未成年法ではなく、日本の得体の知れぬ法によって裁かれるのだ。
当然公言もできないし、もしかしたら保護者たる祖父母にまで危害が及ぶかもしれない。
最悪、ホグワーツへ戻ってこれなくなる可能性もある。

「祖父母にも説明して、気をつけます」

ようやくそれだけを搾り出して口に乗せた。
試験で気が重いと考えていた先程までが、いかに気楽だったかを思い知る。
校長は申し訳無さそうに頷いて、食べなさい、とパウンドケーキを一切れ差し出した。
それを受け取ってかじりながら、アラシはまたびため息をついたのだった。


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