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並べた答案用紙を見くらべて、しばらく考える。
羽ペンをインクにつけつつ、もう少し思考にふけってからようやく手を動かした。

「追試が五人、ね。妥当かしら」
「だと思うよ」
「何年か前みたいに全員合格、なんてことがなくて良かったと思うべき?」
「追試が五人もいることを嘆くべきじゃないかな」

肩をすくめると、ロウェナはふんと鼻を鳴らした。彼女の言いたいことはわかる。五人よりもっとたくさんいただろうに、甘く採点したでしょう。とそういうことだろう。否定できないが。

「サラザールの科目は合計七人。私のところは三人、ヘルガのところは十五人よ」
「……十五、ね」
「ヘルガの分の採点はサラザールがしてるから」
「俺も人のこと言えないけどな」

あいつはあいつで厳しすぎる、と苦く笑うとロウェナは同意するように口角を上げた。


― 始まりは修了式から ―


学期末試験は、六月の半ばに行われた。一週間のテスト週間は、午前で放課となる。これに喜び勇んで遊び呆けるものはさすがに少ない。
普段は寮ごとにわけられる時間割も、試験週間だけは全て一緒となる。内容が漏れないように防ぐためだ。もちろん、学年別ではわけられる。
一同が四苦八苦した一年生の学期末試験は、先輩方に心配されるほど高度だった。曰く、“闇の魔法使いに対抗するために、厳しく鍛える”というのである。余計なお世話だ、と悪態をついたのは誰であったか。
月曜日は変身術が午前一杯実技と筆記で行われ、火曜日には呪文学と薬草学、水曜日は防衛術、木曜日に飛行訓練と魔法薬学。金曜日は生徒のだれもが恐れている魔法史だった。
この予定を組んだのは教員の誰かは知らないが、意図的なものを感じてしまう。魔法史は授業中こそ居眠りし放題で楽なものだが、試験ともなると勝手が違う。それまでサボってきた分のつけが回ってくるのだ。いわば、一年分の勉強を半ばやり直さなくてはならない。試験に入る前に散々勉強してきてはいるが、付け焼刃もいいところだ。

アラシも例外に漏れず、この壁にぶちあたった。ゴースト姿のビンズ先生がほんのり笑みを浮かべていたのは気のせいだろうか。
この科目の結果が一番恐ろしいと一年生たちは口をそろえた。
そうは言っても、例外はいる。例えば、リリー・エヴァンスは憔悴しきった同級生をしり目に上機嫌で「満点の自信がある」とのたまったし、セブルス・スネイプはいつもの冷静な顔で羽ペンのインクをぬぐっていた。身近で言えば、リーマスである。力尽きて机に突っ伏したアラシ達に、彼は輝かんばかりの笑顔を浮かべて「一番楽勝だったね」と言ったのだ。アラシはもちろん、ジェームズたちも返す言葉がなかった。彼が真面目だからこそ出来た芸当といえる。


試験週間が終わると、いよいよ城内は夏休みへの期待で浮足立ってくる。クリスマス休暇以来、あるいは一年ぶりの帰郷に浮かれるなというほうが無理だろう。

「そういえば、アラシは夏休みに入ったらすぐに帰るの?」

チェスの駒を小突きながら、リーマスがぽつりと言った。夏休みを控えた七月二度目の日曜日、グリフィンドールの男子寮で久しぶりにのんびりとくつろいでいた時のことだ。
試験が終わるや否や、たまっていた鬱憤をまき散らすように同室の三人組は外で騒いでいる。今も、階下の談話室で何やら騒ぎが起こっているのが聞こえていた。

「先生に聞いてみないと詳しいことはハッキリしないんだ」

チェスの次の手を進めるでもなく、ちょんちょんとビショップをつついて質問に答える。
二カ月近く前、ダンブルドアに言われたことを考えると、安易に日本へ帰国していいのかも気になるところだ。

「そっか。いつ頃こっちに戻ってくるかもまだ?」
「それも校長先生次第かな」

苦笑すると、リーマスの手がするりと伸びてアラシがつついて動いてしまったビショップを元の位置へ戻した。

「新しい教科書を買わなきゃいけないから、新学期が始まるより一週間前には“漏れ鍋”にいると思うけど。去年もそうだったし」
「じゃあ、買い物は一緒に出来るかな」

アラシがようやく駒を動かすと、リーマスはすぐにクイーンに命令を下した。渋々といった感じに動き出す彼女を眺めながら、アラシは苦い顔をする。これでは負けてしまうことに気付いたのだ。

「予定がわかったら、ふくろう便で連絡するよ」

そう返して、嫌がるナイトを無理やりクイーンの前に出した。
ゴトン、と音がしてナイトが転がる。リーマスが口元を緩めたのが見えた。

「僕の勝ちかな」
「勝負は最後までわからないよ」
「よくぞ言った、若者よ!そうとも、わが軍は不滅なり!」

意気込みだけは立派なキングに「どうも」と返して、残りの手持ち駒を数える。
クイーンはけん制に使っているから動けず、ビショップが一つにナイトも一つ。それからうるさいキングと、それを眩しそうに見るポーン達が三つ。内一つは、こちらもけん制用で動けない。ルークは早々に捨て駒にしてしまった。
一方のリーマスは未だにビショップとルークを二つとも持っている。その上クイーンで攻めることが可能だ。
盤上の状態からも、白い駒を操るアラシが劣勢であるのは一目瞭然だった。

考えている間も、“魔法使いのチェス”たちはうるさく騒ぎたてる。何度もこれを使ううち、いい加減慣れてしまったのでいまさら注意する気は起きなかった。リーマスも同じなのだろう。のんびりと構えて、駒たちは好き勝手にさせている。
元はシリウスの品だったが、いまやこれに最も慣れて使っているのはアラシとリーマスの二人だった。というのも、こうしてのんびりと勝負をする機会が増えたのである。ジェームズとシリウス、ピーターが三人で行動し始めたからだ。

「あー……よし、ナイト。君に決めた」
「……また私が犠牲になるのか」
「ごめんねー」

だってビショップのほうが立ち回りしやすいからさ、とはさすがに言えないのでアラシは苦笑でもって命令を下したのだった。

***

次の週の金曜日に、修了式が大々的に行われた。今年の寮杯を獲得したのはレイブンクロー、次点でスリザリン、ハッフルパフと続き、どこかの一年生が大量に減らした点数を取り戻せなかったグリフィンドールが最下位となった。当然と言えば当然の結果である。
発表された直後、上級生の多くがジェームズ達を見て不快そうに顔をゆがめたのは見なかったことにしておきたい。また巻き込まれそうな予感をひしひしと感じつつ、アラシはご馳走を口に運んだ。

「そっか、じゃあ全員予定が決まってないのかぁ」

ジェームズが残念そうにごちて、かぼちゃスープをすする。

「ま、家に帰り次第だな。ピーターだってこれで結構制約多いんだぜ?」
「シリウスほどじゃないけどね」

肩をすくめて笑うのは、代々魔法使い一家で育ったシリウスだ。それを言えば他の三人だってそうなのだが、家名まで有名となるとシリウス・ブラックにかなう者はあまりいない。

「アラシは論外だしなぁ」
「なんかそれも失礼な言い方だけどね」

事実なのだから仕方ないかと笑うアラシは、ホグワーツ特急から降りた後空港へ向かうことが決定していた。
このあたり、魔法使い社会も厄介だ。アラシが見習いでなければまた違うのだろうが、行こうと思えばもっと簡単に行ける日本へマグルの手段を使うのである。ダンブルドアが探し続けていた“アラシの師となる日本人”は見つからず、結局魔法使いであることを隠して帰国することとなった。
心底残念そうに文句をたれるジェームズは、夏休み初日から皆で遊びたかったという。曰く、彼の家には優秀な箒があるので乗ってみないか、とのことだ。シリウスは乗りたそうにしていたが、彼の家も複雑なので承諾はできないようである。リーマスはリーマスで、あまり外には出たがらず(彼の事情を考えればわからなくもない)、苦笑を浮かべてジェームズの誘いを受け流している。

「俺は一応、こっちに戻ってきたら暇だから。その時に箒見せてよ。連絡する」

そう慰めると、ジェームズはぶすくれた顔で「来月ね、はいはい」と返事をした。
明日土曜日の昼前には、ホグワーツの生徒は全員特急に乗って帰路を急ぐ予定だ。アラシも夕食を共にしているルームメイトらも、荷造りはすでに完了している。あとは休暇中に会う約束をしたかったのだが(特にジェームズが)、シリウスは当然の流れとしてジェームズ以外の誰もいつ暇かはわからない状態である。まだ十二歳、遊びたい盛りだ。アラシとて、状況が許せばジェームズのように周囲を巻き込んで遊びに誘っただろう。五人でダイアゴン横丁や、ホグズミード村に繰り出してみても面白そうだ。

寮杯を逃すどころか最下位とはいえ、明日から夏休みとなると生徒の顔は明るい。グリフィンドールのテーブルは今日は一層賑やかだった。地獄の試験を生き延びた(とくにO.W.L試験やN.E.T試験を乗り越えた学年の)生徒達は、お喋りに花を咲かせている。


―「休暇に入ったら、しばらく城を出る」
―「は?」
―「サラザール、何言ってるの?」
―「冗談きついわ。まだまだやることあるのよ」

“彼”はほんの少し顔をゆがめて――もしかしたら笑ったのかもしれない――、言葉を続ける。

―「そう時間はかからないが、戻る気配がないようなら、死んだものと思ってくれ」
―「何をしに?」
―「言う必要が?私用だ」

相変わらず秘密主義だ。少々悩んでから、うなずいた。

―「行く前には必ず挨拶だよ、サラザール」
―「ちょ、ちょっとゴトリック!」

悲鳴を上げるのは心やさしい彼女。静観を決め込むのは、冷静な彼女。

―「戻らないようなら探しに行く。これは譲れないからな」
―「……わかった」

話はこれでおしまい、と笑うと女性二人は長い溜息をついた。


「……」

ゆるく笑みが口元に浮かんだ。久しぶりに記憶を垣間見て嬉しいような、戸惑うような変な気分だ。
彼らが話していたのは大広間ではないだろう。もっと狭く、くつろげる空間だった。おそらく、今は別のことに使用されている古い部屋だ。
日本に帰ってもゴドリックは姿を見せるのだろうか。そう考えると、少しだけワクワクした。

「俺も少し城を離れるよ、ゴドリック」

ぽつりと誰にも聞こえないように呟いて、アラシはチェスの戦利品であるリーマスのデザートに手を伸ばしたのだった。


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