57


「ずいぶん疲れた顔をしているな」
「……君もドラゴンと戦えば、この疲労感がわかるんじゃないかな」

長期休暇に入った暑い夏の事、地方の魔法使いからドラゴンを追い払って欲しいと懇願の手紙が届いた。
公正なる話し合いで選ばれたのは言わずともかな、今日の早朝ボロボロの姿で城に帰還した“俺”である。
どうにかドラゴンを追い払ったまでは良かったが、激しい戦いでの疲労は隠しきれるものではない。
それがどうだ。
顔を合わせたら、涼しい顔でサラザールはそうのたまったのだ。

「ああ、そういえばそんな話もあったな」

挙句に、この言い草である。話し合いの場で強く“俺”を推したのは君だったはずなんだが。
思わず深いため息を漏れる。
サラザールはそれすら一切関知せず、相変わらず感情の読めない顔で話を続けた。

「ところで、あと三日で休みが明ける。生徒らが戻ってくる前に城内を片付けなければならん。お前も手伝え」

……ああ、ともかくこの無慈悲な声を聞くと城に戻ってきたという気持ちにはなるな。
君は少し、いたわりというものを勉強するべきだと思う。

― 戻ってきた日常 ―


その日の夜、ジェームズ達が何をやらかしたのかが判明した。
寮に戻ると、彼らは聞かれる前に授業をボイコットした理由を話し始めたのだ。
ことに、ピーターは他の二人よりも多く話したがった。

「湖に大イカが棲み付いてるのは知ってるかい?」

こう口火を切ったのはジェームズだった。
続けてピーターが

「もちろん知ってるよね?」

とにこにこ笑う。
アラシとリーマスは顔を見合わせ、とにかく座らせてくれと揃って訴えた。
彼らは寮をドアを開けた二人に、座らせる間もなく話を聞かせようとしていたのだ。
それぞれのベッドの端に腰を下ろす。
聞いて欲しそうな三人の表情に負けて先を促したのは、リーマスの方だった。
気を良くしたピーターが、場数を重ねて上手くなった口上でもって話し始めた。

「まず、お昼休みにジェームズがこう言った。『湖の大イカに興味を持ったことは?』 僕もシリウスも、もちろん『あるわけがないだろう』って答えた」

物語を聞かせるような口調だ。
しかし先を紡ごうとピーターが大きく息を吸い込んだ隙に、別の声が横入りする。

「そしたら、ジェームズの奴、『僕は大有りだね』ときた」
「そして、二人を誘った。一緒に来ないか、実験をしようじゃないかってね」

シリウスがにやりと笑い、ジェームズが得意げに足を組む。
元々仲の良い二人だったが、一緒に悪さをするようになってからというもの、さらに絆が生まれたように見えた。

「何をしたんだと思う?」

ここで初めて、アラシとリーマスに発言権がピーターより与えられた。
しかしアラシはこんな話に興味はなかったし、何をしたのかなんてさっぱり思いつかない。
ピーターはそれを知っていてたずねたのか、「さあ」と言うアラシの答えに満足そうに笑った。
リーマスが「僕もわからない」と言うと、さらにその笑みを深くする。
そして、大々的に、これはとても勇敢なことで、彼らにしか出来ないといわんばかりに、誇らしく言った。

「大イカに乗れるかどうか実験したのさ!」

なんて、ばかばかしいことを考えたのだろう。
アラシはぽかんとピーターの顔を見た。
それは、授業をさぼるほど重要なことなのだろうか。
否、しかし“ゴドリックにも”、同じようにバカをやった記憶があることは確かだ。

「それで?」

ぼんやりしているアラシを横目で見ながら、リーマスが言った。

「どうなったの?」
「乗れるわけ無いだろ」

シリウスがくっくっと笑った。
ジェームズなど、にやにや笑いが先ほどから続いている。

「ぬるぬるするし、動きは速いし、捕まえるのだって無理さ」

そこで突然、ピーターが笑い出した。
驚いて肩が跳ねる。アラシは、笑い転げるピーターを首をかしげて眺めた。

「面白かった?」
「もちろん!」

問いかけに、ピーターはよどみなく答える。
アラシは力なく笑って「それは良かったね」と応じた。

「その後が傑作なんだ」

いつまでも笑い続けるピーターに痺れを切らしたのか、ジェームズが先を紡ぎ始めた。
どうやら話が長くなりそうだ。
いい加減興味のない話にうんざりしていたが、ジェームズはそんなことお構い無しに続ける。

「聞きたいかい?」
「悪いけど」

素早く、ジェームズが「聞きたいよね」と自答するより前に、リーマスがきっぱりとした調子で答えた。

「僕、そろそろ寝たいんだ」

時計を見ると、寮に戻ってから十分も経っていない。
もちろん、寝るには早すぎる。消灯時間だってまだだ。

「まだいいだろ。明日だって、そんなに早いわけじゃない」

シリウスがつまらなそうに言った。
時折見せる甘やかされた子供の態度で、顔をしかめる。

「付き合い悪いぞ」
「ごめんね。でもこの頃よく眠れないから、疲れちゃったみたいだ。アラシは聞いてくれるってさ」
「え」

これで話は終わりだと思っていたアラシにとって、リーマスの言葉は衝撃的だった。
思わずリーマスを見るが、彼はそ知らぬ顔でごそごそと布団に入ろうとしている。

「あんまりうるさくしないでね」
「わかった、気をつけるよ。じゃあ、アラシ。そっちじゃリーマスの迷惑だろうから、こっちに来なよ」

ジェームズが言いながら、手招きする。
アラシは一番端のベッドを使っている。唯一の隣はリーマスで、寝ている彼を挟んで会話するのは良くないと判断したのだろう。
仕方なくのろのろとベッドを降りて、三人が集まっているジェームズのベッドに向かった。
その途中で、すでに寝たフリを決め込もうとしているリーマスに、小さく声をかける。

「仕返しのつもりかい?」
「さあ、どうだろ」

返ってきた返事は含み笑いが感じられた。
中庭で、結局リーマスの方が大きく折れることになったせいだろう。
彼は自身の事情にアラシが首を突っ込むのを良しとしてくれない。
一晩の寝不足で許されるなら、それでもいいかとアラシは笑った。
ジェームズの話だって、もしかしたら面白いかもしれないし。

「で? 大イカとの交流はどうなったの?」

ため息混じりに促すと、三人は口々に事の顛末を話し始めた。


案の定、翌朝は酷いものだった。
大イカの話から、次は何をしようかという相談になり、アラシがそれに一言も発言しないでいると、今度はいつの間にかクィディッチの話に変わった。
そこから先は、ジェームズとピーターが激しく議論していた程度にしか覚えていない。
気付いたら自分のベッドで眠りこけていて、一時間目が終わる時間帯だった。

「うわぁ!」

悲鳴と共に飛び起き、アラシは慌てて身支度を整えた。
準備をしながらジェームズ達はどうしたんだろうと見やると、彼らもまた眠りこけている。
唯一リーマスの姿が見えなくて、アラシは顔をしかめた。

「起こしてくれたっていいのに!」

これも仕返しのつもりなのか、それとも四人が全く起きないから諦めたのかは定かではない。
とにかくアラシは、すぐにジェームズ達もたたき起こした。
ピーターなどは中々起きてくれなくて、結局一番寝起きが良かったシリウスが蹴飛ばして、「痛い!」とやっと目を開ける始末だ。
そうこうしているうちに、二時間目が始まり、塔の階段を駆け下りて教室に入る頃には、二時間目の開始から三十分が経過していた。

「すみません!」

声高々に入室すると、薬学のスラグホーン先生は気が咎めたように顔をしかめた。

「席について」

鋭く言われて、アラシを先頭にしおしおと近場の椅子に腰を下ろす。
みんなが振り返って、ひそひそ話をし、くすくす笑った。
リーマスの姿を探すと、彼は呆れ顔だった。
どうやら、起こしたけど起きなかった、が正解らしい。
アラシは鍋の準備を終え、教科書を開いた。
もう二度と、ジェームズの長話には付き合わない――。
なんたって、薬学の授業中、朝食抜きの腹の虫が泣き喚いていたのだから。

もちろん昼食には思う存分にその腹の中へありとあらゆるものをかきこんだ。
満腹状態での午後の魔法史は、当然ながら眠気に襲われ、リーマスも含んだ五名は仲良く一点ずつ点数を引かれることになった。
魔法史の授業では居眠りも珍しいことではなかったが、昨日の騒動のせいか視線を集めている。
ビンズ先生は興味なさそうに授業を続けることにしたらしいが、生徒の方はそうはいかなかった。
後ろからローブを何度か引っ張られ、仕方なく振り返る。
同じ寮のジェイラス・マロリーが猫の様に大きな目でじっとこちららを見返した。

「なあ、カンザキ。昨日ポッターたちが授業をサボったのは、闇の魔法の実験をするためだって本当?」

どこでそんな風に話が捻じ曲がったのか、アラシは顔をしかめた。
ジェームズ達が次々と起こしてくれる騒動に賛同する気は毛頭ないが、彼らが不当な誤解をされるのも不愉快だ。

「まさか。そんなわけないだろう。俺も詳しくは知らないけど、大イカにかまけて――」
「大イカと遊んでやってたのさ。薬草学よりは楽しかったぜ?」

シリウスが前を向いたままぼそぼそとささやく。
ビンズ先生は気付いているようだったが、注意しない事にしたようだ。
アラシはジェイラスに向かって肩をすくめて見せると、前に向き直った。
馬鹿馬鹿しいことこの上ない。
考えてみれば、同じテーブルにいるのだからジェームズ達にも聞こえているのだ。
弁解をしたいなら、本人達がすればいい。

「遊んだって、何をしたんだ? 魔法を使ったのか?」

さらに追求するジェイラスに、ピーターが得意の口上でもって大げさに事の次第を話し始める。
ビンズ先生の“第一次魔法大戦争”の話など、もう誰も聞いていなかった。
ぼそぼそと話すピーターの言葉に、教室の大半の耳が向いている。
アラシはため息を漏らして、頬杖をついた。
そのまま目を閉じて、居眠りの体勢に入る。
半ば強引に授業を進めるビンズ先生の抑揚の無い声は、心地よい子守唄にさえ聞こえた。

「では、今日はここまで。次回は続きから始めます」

お決まりの言葉で、目が覚める。
三十分は寝ていたらしい。アラシは大きくあくびをして、立ち上がった。
すでに何人かの生徒はばたばたと教室を出て行っている。

「俺、図書館寄って行くから先に寮に戻ってていいよ。リーマスにも言っといて」

未だ昨日の話をしているシリウスの肩をつついて短く告げると、アラシは人の流れに乗って教室の外へ出た。
気だるい空気が抜け、目が冴えてくるのがわかる。
ビンズ先生には失礼だが、魔法史の授業は良い昼寝の時間になったようだった。
アラシは早足に図書館に向かった。


のんびりと図書館で寛ぐのは、久しぶりのような気がする。――それというのも、ジェームズとシリウス、それにピーターが引き起こした“グリフィンドール一年生組の騒動”のせいだ。
アラシは本棚の間を練り歩き、好みのものを手にとって個人席に向かった。
アラシを見て目配せをする生徒はいたが、話しかけてくるようなことにはならなかったのは幸いだ。
一番壁際の隅の席に陣取って、アラシは早速本を開いた。
歴史にも飽きて、ホグワーツに触れた内容も飽き、もっぱら読むのは「マグルの生活」や「他民族の魔法使い」といったものになってきている。
そのうちの一冊、「マグルの道具と我々の魔法」という電化製品と魔法の類似点を述べた本をアラシはゆったりと読み始めた。
ホグワーツに入学するまでマグルとして生活してきたせいか、なかなかに興味深い内容である。
冷蔵庫と冷却魔法、車と箒、などと順番に読み進めた。

「……カンザキ?」

少し驚いたような声で名を呼ばれ、本に没頭していたことに気付く。
顔を上げて振り向くと、久方ぶりに見る顔があった。

「ミスター・スネイプ」

呼んで顔をほころばせると、スネイプはわずかに頷いて歩み寄ってくる。珍しく本を抱えていない。

「なんか久しぶりだね。元気?」
「ああ」
「本を返したところ? 今日は何も借りていかないの?」
「いや、借りるつもりだ」
「そっか。じゃあ、邪魔しちゃ悪いかな。手続きが終わったら、また声をかけてよ」

それまで本読んでるから、と締めくくるとスネイプは眉根を寄せてため息を付き、小さく「わかった」と返事をした。
渋々、といった感じが嫌でも伝わってくる。
思わず苦笑を漏らすと、彼はさらに不機嫌そうに顔を歪めた。そしてくるりと向きを変えて、そそくさと本棚の間へ消えていく。
前にスネイプと話したのは、いつだっただろうかと考えながらその背中を見送る。
たぶん、リリーを探して城中を走り回っていたときだろう。あの時もスネイプは図書館にいたはずだ。
この調子だと、彼は卒業までにずいぶんたくさんの蔵書を読む事になりそうだな、とアラシは薄く笑みを浮かべた。
本へ視線を戻せば、先ほど読んでいた「なぜマグルは魔法無しの生活が出来るのか」という検証ページだった。
読書に意識を持っていき、分厚いその本をようやく読み終える頃。

「カンザキ」

再び、先ほどの声が背後から聞こえた。
約束どおり、スネイプが貸し出し手続きを終えて戻ってきたのだ。
最初に比べて彼はずいぶん変わったな、とアラシは考えつつ振り返った。
きっと、三ヶ月前だったならこんな風に律儀に声をかけてはこなかっただろう。黙って寮に戻られるのがおちだ。

「いいの借りられた? ――あ、隣座って」

返事をしながら、隣の椅子を引けばスネイプは素直に従う。
アラシは彼の事を友人、だと思っている。スネイプもまたアラシの事を知人よりは親しい人物と認識してくれているらしい。

「何か僕に用事でもあるのか?」
「いや、ただなんとなく話でもしようかと。ここんとこバタバタしてたからさぁ、たまにはノンビリしたいなって」

シリウスとジェームズのせいで、と脳内で付け加えてアラシは笑った。
逆にスネイプの顔が少し歪む。

「話? 僕とか?」
「うん、ミスターさえ良ければ」
「……何を話すんだ?」

問いかけられて、つい言葉に詰まる。共通の話題はそう多くないのだ。
増してや、図書館でお喋りなど長くは続けられない。あまりにうるさければマダム・ピンズが黙ってはいないだろう。
今もその司書は、貸し出し用のカウンターで目を光らせている。

「世間話、とか?」

考えつつそう答えると、スネイプは深くため息を付いた。

「実のある話ではなさそうだな。僕は失礼する。話相手は別に探すことだ」

あ、呆れられた――と思う間もなく、スネイプはするりと席を立つと、本を抱えて歩き出してしまった。

「あ。ちょっ……」

その姿を振り返って追いかけ、マダム・ピンズと目が合う。慌てて口を閉じている間に、スネイプは図書館から出て行ってしまっていた。

「あーあ」

落胆の声を漏らして、アラシは机に突っ伏した。ひんやりとした木の感触が頬を撫でる。
久しぶりに会ったと思えばこれだ。相変わらず、つれないというか淡白というか。しかしそんなところすら“ゴドリックの友人”に似ているのだから面白い。
ともあれ、ようやく日常へ戻ってきたような、そんな気分にさせてくれたのは彼である。
アラシはすっかり読む気の失せてしまった本を閉じ、元の棚に戻すために立ち上がった。


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