56


「怒るのが上手いのね」

生徒と入れ替わりに入ってきたロウェナが、開口一番にそう言った。
彼女用の新しいティーカップを用意しながら、問いかける。

「……それは、褒めてるの?」
「そのつもりだったけど、気に入らない?」

くすりと笑って、彼女は椅子に腰掛けた。カップを渡し、正面へ座る。

「そもそも、怒り方に上手い下手があるわけないだろう」

先ほど説教をしたばかりの生徒を思い浮かべ、反論する。良識ある魔法使いなら、当然わかることを説いたつもりだ。
ロウェナは「あら」と器用に片眉を上げる。

「あるわよ。下手なのは、ヘルガね。あの子は気遣いすぎて、強く言えないから」
「ああ、まあ。で、俺は上手いんだ?」

紅茶を一口飲んで応じると、彼女はふ、と笑った。どこか楽しんでいるようにも見える。

「ええ。悪いところを的確に叩くもの」
「そう? 誰にでも出来るんじゃないかな」

例えば今目の前にいる魔女様なら、とても痛いところをつついてきそうだ。

「無意識だからすごいわ」

ロウェナは呆れたような目をして、紅茶を一口飲んだ。

「俺、褒められてるんだよね?」

どうしてそんな目で見られなくちゃいけないんだろう。

- 半月のお小言 -


結論から言えば、何も無かった。
二時間続きの薬草学の時間は、ハッフルパフ寮監らしく平和的に、のんびりと行われた。
慣れた手つきで作業をする生徒へ向けて、教授が植物の生態を解説し、メモを取る箇所を付け加え、それからそれぞれの作業へ注意しに回る。普段の授業と何の変わりはない。
スプラウト先生はアラシやリーマスに偏見を持たない貴重な教授の一人だ。生徒の本質を見るくせのある彼女にとっては、彼ら二人は「大人しい生徒」のうちに過ぎないのだろう。
いつジェームズ達が乱入してくるのかわかったものではない。……と、いう不安を抱える約二名を除けば、この時間は穏やかなものだった。
三人は終了時間まで姿を見せず、彼らの不在はボイコットしたということで落ち着いた。おそらくマクゴナガル先生に報告がいくのだろう。
アラシとリーマスは安堵の息をつき、とたんに力が抜けてしまった。
いつもよりご機嫌におしゃべりをしながら、城への道を辿る。昼休みを満足に出来なかったから、今夜の夕食がひどく楽しみだ。アラシは鼻歌でも歌いそうな勢いで、寮の談話室への穴をくぐった。
ここまでは、ここ何日か無かった日常の風景だった。

事はもう、起きた後だったのである。

「あなたたちは、大幅に規則を破っているのですよ!」

女性のキーキー声が鼓膜を刺激する。
アラシは穴をくぐる途中で思わず、進みを止めた。後ろからリーマスが、「どうしたの」と不安げに問いかけてくる。それに答える前に、女性が再びがなりたてた。

「ポッター、ブラック、それからぺティグリュー!」

ああ、やっぱり見間違いじゃないんだ。
アラシは諦めのため息をついて、穴から降りた。続けてリーマスも談話室に足を踏み入れる。彼も当然、さきほどの声が聞こえていたのだから、事情は言わなくてもわかるだろう。

とどのつまり、“ご友人たち”は現在マクゴナガル教授にお説教を受けているのだ。

それも、寮の談話室で奇異の目にさらされるという、屈辱つきで。
三人はなぜか水浸しになっていて、シリウスなどは頭に水草らしきものが絡まっている。

「前回のことと含め、家族に連絡するべきかどうか、検討させてもらいますからね」
「なっ……」

声を上げたのはピーターだった。他の二人は、憮然とした態度で反省の色は見えない。
マクゴナガルは顔を真っ赤にして、再び声を荒げた。

「あなた方ほど、規則に反している生徒は見たことが無い! 授業に出ず、湖で実験を? それに何の意味が!」
「好奇心が満たされます、先生」

模範的口調のジェームズ。彼は面白がっているようだった。やはりあの神経は理解に苦しむ。
アラシは談話室全ての視線があちらへ向いている間に、踵を返して談話室を出た。彼らは友人だが、理不尽な理由でもって火の粉を被るのはごめんだ。廊下へ出ると、“太った婦人”が迷惑そうに声を上げた。

「入るのか入らないのか、はっきりしてちょうだいな」
「ごめんなさい」

続いて出来たリーマスには、ため息をついて見せた婦人である。彼女は睨みをきかせ、何か言いたげに口を開いた。
その口から文句と説教が漏れるより前に、慌てて足を進める。アラシとリーマスは、逃げるようにしてその場から離れた。後ろから、「待ちなさい、イタズラぼうやたち」と聞こえたが、揃って聞こえないふりを決め込むことにする。

「どこに行く?」

リーマスが言った。廊下にグリフィンドール生の姿はちらほらと見えていたが、目的もない二人はとりあえず足を階下へ向ける。

「図書館か広間、どっちがいい?」

アラシは先を切って歩きながら問いかけた。
さっきと同じ出で立ちで、しかし反対に不機嫌な空気を漂わせて来た道を戻る彼らを、絵画達が興味深げに目で追ってくる。中には、絵と絵を渡って、本当に“追いかけてくる”者もいた。
何秒か考えるようなそぶりを見せた後、リーマスが答えた。

「中庭はどうだろう」
「もうすぐ日も落ちるよ?」

思わず立ち止まって振り返る。リーマスは微笑して、続けた。

「今日は天気がいいから、星が見えるはずだ」

そしてアラシを追い抜き、階段を降りていく。その背に向かって、アラシは頷いた。

「ああ……なるほどね。それに」
「「人も少ない」」

リーマスに追いついたところで、口が揃う。
好奇の目にさらされるのは、こりごりである。二人の足は自然と速くなった。
案の定、中庭には人影も見当たらない。けれどベンチに腰を下ろすと、冷えた風が吹き付けてくる。まだ暖かくなるには早く、思わず身震いした。

「寒いね」
「空は綺麗だけど」

誤魔化すようにリーマスが言ったが、空を眺めたところで温まるわけではない。せめてマフラーの一つもあれば違うのだが、今日は陽気も良かったので、二人とも着込んでいるわけではなかった。
ひとつため息をついて、アラシは杖を取り出した。

「リーマス、カエルチョコレートの空き箱持ってる?」
「あるけど、何に使うの?」

不思議そうな顔をする友人に、にやりと笑いかける。リーマスは首をかしげながら、空き箱を鞄から取り出した。まだ甘い香りの残るそれは、昼休みに食べたものだ。
空き箱を膝の上に置き、舌に呪文を乗せて杖を振るう。
現れたのは、青白い炎。箱の上でゆらりと揺れると、炎は音も無く燃え出した。

「箱、燃やして大丈夫?」

リーマスが心配そうに炎を覗き込む。

「箱は燃えないから平気。少しはましになるだろ」

ベンチに置いた炎は、暖かさを帯びている。暖炉のそれには遠く及ばないが、二人ばかり温まるなら充分だった。
リーマスは嬉しそうに頷いて、夕暮れの空に視線を移した。薄っすらと星も見え始めている。日が沈むのも、間もなくだろう。

「ちょっと苦手なんだ、僕」
「何が?」

杖が中々ポケットにおさまらず、四苦八苦しているとリーマスがふいに言った。手を止めて彼を見やる。
リーマスは困った風に笑った。

「シリウスが」
「ああ」

「なるほど」と相槌し、肩をすくめる。特別驚くこともでない。リーマスは元々、当たり障りの無い交流をしようとしているふしがあった。人狼であることが深く根付いているのも確かだが、大人しい性格であるのも理由の一つに見える。アラシには多少心を許してくれているが、それでもどこか遠慮することがあるのはその性格のゆえであった。
特にシリウスは、同級生の中でもくせのある人物だ。彼が接し方に困り、苦手になるのも無理はない。

「ジェームズも少し苦手だよ、正直ね。自分で自分にびっくりしてる。どうして彼らと親しいのか」
「……成り行き上?」

しばらく考えて、そう答えた。入学式の夜、リーマスに会ったのは、その場の流れだったように思う。リーマスは小さく笑って、「たぶんジェームズのせいだ」と応じる。

「僕、駅で困ってたんだ。両親は汽車を使ったことが無かったから。田舎なんだ」
「そこへ、ポッター登場」

劇的な口調で茶々を入れると、リーマスは再び笑い声を上げた。

「そう。ポッター親子だよ。父親と一緒だった。彼らに教えてもらって、僕はホグワーツ特急に乗ったんだ」
「俺がジェームズと会ったときは一人だったよ」

ジェームズと出くわしたことを思い出す。あの時はリリーと一緒だった。

「じゃあ、途中で別れたんだろうね。仕事に行くって言ってたから」

リーマスはこくりとひとつ頷いて答えた。
空には闇の中に星が広がっている。一日の終わり、太陽が沈んだのだ。天気がいいのは確かだ。雲も少なく、月の姿もはっきりと見える。

「僕、ホグワーツでは大人しく目立たない生徒でいようって思ってた。そうすれば、月に一度同じ周期で休んでいることも目立たない」

リーマスはぼんやりと空を見上げて、独り言のようにささやいた。
――彼の、自分自身を守る方法。
アラシはそっと苦笑する。目立ちたくないのは同感だ。もっとも、アラシの場合世間一般と同じ意味合いで、なのだけれど。だからリーマスのやり方には、賛成できなかった。
だってそれは、とてもつまらない。全部を作り物にして、演技をして、そんな毎日を送るのは、つまらない。

「リーマスがそうしたいなら、すればいい。でもきっとすっごく退屈だよ」

ポケットに入らない杖を体の脇に置いて、アラシは膝に肘を置いた。背を丸めれば、多少は暖かくなるような気がする。

「……そうかな?」
「ジェームズやシリウスのやり方は過激すぎるけどね」
「うん」

リーマスの目には、月が映っている。丁度半分だけ欠けた姿。
今彼が何を考えているのか、無性に知りたくなった。月を見つめ、何を思うだろう。
突然、水草を頭に乗せた先ほどのシリウスの姿が脳裏を過ぎり、アラシは静かに苦笑を浮かべた。まだ説教を受けているだろうか。
リーマスは、満月の日とても退屈なのではないだろうか。

「次の満月の夜に、お茶会の約束をしようかリーマス」
「それはだめだよ」

リーマスの目が、こちらを向く。はっきりとした瞳に、なぜか安堵を覚えた。

「だめでも行くよ」
「見つかったら罰則だ」
「見つからなきゃいい」

リーマスが渋い顔をする。そういう問題ではない、と言いたいのだろう。
前回の時も、とても怒った――というより、複雑そうな顔で咎めてきた。危険だから、違反だから。と理由をつけて。
だからアラシは先手を打って付け加えた。

「今度は、ジェームズに透明マントを借りようと思うんだ」

マントの中は中々に暖かいし、丁度いい。
一瞬、リーマスの顔に迷いのような表情が垣間見えた。しかし、彼は頑なだ。

「僕は大丈夫だから――」
「俺がやりたくてしてるんだ。迷惑はかけないよ。ただ夜食のお菓子を持って、座ってるだけ」
「でも――」
「俺の夜をどうしようと俺の勝手」

言い訳めいたリーマスの言葉をことごとくさえぎって、アラシは至極わがままな事をまくし立てた。
リーマスがぼんやりするのは今に始まったことではなかったけれど、時々それが不安になる。ある日突然、学校を去って行ってしまいそうだ。

「お願いだか――」
「嫌がってるのは知ってる。でも、俺もいやだよ」
「アラシッ!」
ベンチが少しばかりずれ動き、音が漏れる。
満足に言いたいことを言えない苛立ちからか、リーマスが声を荒げた。それと同時に彼は立ち上がり、ベンチが動いたのだ。
さすがに驚いて、目を瞠る。リーマスは困惑した表情で、こちらを見た。
沈黙が、落ちる。かける言葉が見つからず、アラシは促すように首をかしげた。

「喧嘩?」

場違いな女の子の声が、中庭に響く。はっとして廊下の方を向くと、見知った人物が立っていた。

「珍しいのね。原因はなに?」

言いながら彼女は、中庭に入ってくる。
リーマスより少し離れた場所で立ち止まった女子生徒は、ルティ・ラインだ。クィディッチチームの新人シーカー。
彼女は、うっとうしそうに金の髪を払い、視線をアラシに定めた。こちらに答えを求めているらしい。
アラシは笑みを取り繕い、返事を返した。もちろん、問いに答えるつもりはない。

「ライン先輩こそ、どうして中庭に?」
「授業のあと先生に呼ばれて行ったら、長引いちゃって。このまま夕食に行こうと思ってたところよ」

中庭は近道だ。
リーマスが「そうですか」とそっけなく相槌する。ラインは気にした様子もなく、にこりと笑った。

「それで、どっちが悪いの?」

簡単に話を戻されてしまったが、頭で考えるより先に、口が動いていた。彼女があまりにあっさりとした物言いだったからだろう。

「アラシが自分勝手だから」
「リーマスが頑固なんです」

声が重なった。相手は、言わずともがなリーマスである。
互いに、むっつり顔を見合わせた。リーマスは怒ったように口元を引き結んでいる。アラシも負けじと睨み返した。

「じゃあ」

明るい声が、間に入ってくる。ラインがなだめるようにして、穏やかに笑った。

「とりあえず、夕食に行きましょうか」

予想外の言葉に拍子抜けしてしまう。二人揃ってマヌケな声でもって問い返した。

「へ?」
「え?」

ラインはにこにこと笑いながら、アラシの腕を掴み引っ張る。年の差からか、それともクィディッチで鍛えているのか、力強いそれに思わず立ち上がってしまった。

「あら、いい魔法を知ってるのね。通りで暖かいと思った。カエルチョコの空き箱?」

暖を取る為に作った炎に目ざとく気付いたラインが、興味深そうに箱ごと持ち上げる。

「考えたものね。さて、行きましょうか」

ラインは素早く杖を一振りすると、炎を消し去り空き箱をローブの中にしまい込んだ。
そして、アラシの腕を掴んだまま、反対の手でリーマスの腕をがっしりとわしづかみにし、歩き出す。

「え、あ、ちょっ……!」

予期できない彼女の行動に、リーマスもアラシも共に転びそうになった。前のめりになりながらも、慌てて声をかける。

「ちょ、待ってくださいっ」
「先輩、荷物!」
「え?」

廊下に入ったところで、ラインの力が緩む。
ほっと息をついて、アラシとリーマスは強制的に歩かされた道を戻った。ベンチに置きっぱなしの鞄を取り、そこで顔を見合わせる。
数秒そうして、先に口を開いたのはアラシの方だった。

「俺は譲らないからね」

リーマスが顔をゆがめ、ため息を付く。

「わかったよ。でも、徹夜はやめて欲しいな」
「ちゃんと寝て、明け方玄関に迎えに行く。それでいい?」

アラシは降参のポーズを取って応じた。ラインのおかげか、お互い固さが取れてしまっている。

「……ん、ありがとう」

ぽつりと小さい声が聞こえ、思わず笑んでしまった。
リーマスが心外だ、とばかりにもう一度ため息をついて、歩き出す。彼の隣について歩き、アラシはゆっくりと半分だけの月を見上げた。
ずっと半分のままならいいのに――。


*←前 | 次→#
- 56 -
しおりを挟む/目次(9)


トップ(0)
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -