55


「子供は、やんちゃなくらいがちょうどいいのよ」

すっかり“教師”の顔をした妹分は、くすくすと笑った。ころころと楽しそうな声をあげながら、散らかされた室内を片付けている。
おおらかな性格は昔からではあったが、子供にものを教えるようになると、それはさらにひどくなったように思える。もっとも、それはお前に似たのだと指摘されることも少なくない。

「しっかしね、ヘルガ。ここまで酷い状態でどうして怒らないかな」
「だって怒る気になれないんだもの。楽しい生徒よ」

あれのどこが、と言いたい。心の底から、しかりつけたい。
しかし、幼い頃から彼女を猫かわいがりしているせいか、どうにも言葉にはならないのだ。
ヘルガ・ハッフルパフは羊皮紙を全て集め終えると、最近“入学”したばかりの二人の生徒に向き直った。少年らはどちらかというと、唖然とヘルガの行動を見ている。

「さ、授業をやり直しましょう」

満面の笑みで言う彼女に逆らえるものは、今までいなかった。
毒気を抜かれてしまうのだ。困らせてやろうとか、泣かせてみようとか、そういった子供特有の悪意にさえ、彼女は気付かない。
ヘルガは、世の中の人間は善意しか持っていないとでも思っているかのように、無垢極まりなかった。子供らを城に招き入れるまでは、まだ若いせいだと思っていたが、そうではない。これは彼女の性格であり、治すことも難しい“くせ”のようなものだ。
そして案の定、二人の少年はぼそぼそと聞こえないくらい小さな声で「ごめんなさい」と謝った。
また、ヘルガの勝ちである。
ため息をついて、壁に預けていた体を起こした。騒ぎを聞きつけて慌てて来てみたが、ただただ呆れて終わりである。

「ヘルガ、俺は部屋に戻るよ。“楽しい授業”をしてやれ」
「ありがとう、ゴドリック」

ちょっとした皮肉もわからないんだもんな。
少しばかりの苦笑を漏らし、教室の出口に向かった。

― 嫌な予感 ―


“旧家ブラック家の跡継ぎが、その名にそぐわぬ騒ぎを起こした”

曖昧な噂は、瞬く間に広がった。
多くの生徒はそれを貴族の戯れだの、行き過ぎたお遊びだのと揶揄し、からかうに留まっていた。一部始終を目撃している生徒が、多かったこともある。
嫌な予感は予感に過ぎず、このまま日常へ戻っていくのかと思われた。
アラシも思いのほか寛容的なホグワーツに安堵し、シリウス自身もあまり大事とは思っていない。むしろ彼らは、件の事を日常的なトラブルとして片付けていた。
そんな平和的受容が一変したのは、三日目の午後のことである。
その日、グリフィンドールの一年生はスリザリンとの合同授業で飛行訓練にいそしんでいた。基本を呑み込んでだいぶ経つアラシを含む生徒達が、箒に乗って飛び回っている頃。地下室では別のクラスで一騒ぎ起きていた。
それは魔法薬学のスラグホーン先生が、レイブンクローとハッフルパフの合同授業中、かの事件に触れたことに始まる。
教授は決して悪い人ではなかったが、いかんせんその口調はイタズラを咎めるもので、彼は少々過剰に言い過ぎてしまった。
授業に出ていたのは、四年生。彼らの幾人かは現場を目撃していたが、教授の話に口を挟めるほどの者は残念ながらいなかった。この午後の一件をきっかけに、噂には事実とも虚実とも言えない尾ひれ背ひれがついていったのである。
そうして人の口から人の口へ渡るうち、いつの間にか噂は次のように固定された。

“旧家ブラック家の跡継ぎは、ポッター他グリフィンドールの仲間らと共謀して、教授陣へひどい嫌がらせをした”

嫌がらせの内容は実際にあった“廊下のらくがき”に始まり、城の一部を破壊しただの、採点の終わったレポートを燃やしただの、授業を妨害しただのと付け加えられていった。
そのあまりの騒ぎに、急遽罰則の内容が変更になる。最初に決まっていた“図書館の本の整理手伝い三日間”より、“教授の手伝い半日”の方が良いと判断を下したのは、ダンブルドア校長だった。
通達のふくろう便には、マダム・ピンズ急用のためとされていた。しかし図書館では生徒の目につきすぎるからだろうと、ジェームズが妙に感心した風に頷いたことはまだ記憶に新しい。続けて彼は監視付きでは気が抜けないと毒づいたが、同情する生徒はいなかった。


そして、あの日から二週間が経つ現在。そんな噂に伴って、アラシ達の生活にも飛び火が来ている。
どうやら“仲間”として認定されたアラシ、リーマス、ピーターは、“嫌がらせ”の内容について質問攻めにあっていた。どれが本当にあったことなのか、以前からそれはやっていたのか、などと同学年からはもちろん、先輩方に囲まれることもしばしばだ。
リーマスは問われるたびに自分は加わっていないと否定したが、ピーターは逆に誇らしげに二人から聞いたイタズラの詳細を語った。
彼の語る武勇伝のような口調に毒された一部の生徒達は、ジェームズ・ポッターとシリウス・ブラックに憧れを抱いているという。ホグワーツでは彼らほど派手な反抗をした生徒はこれまでいなかったし、規則と学問に押し込められた少年達の心を掴むには充分だった。
そんな中で有耶無耶になったのは、言わずともがな、情報を漏らしたシリウスの疑惑である。
もっとも彼らはそこまで考えてイタズラをしたわけではないだろう。結果的には良い方向へ転がったが、状況が違えばシリウスの疑惑は益々深くなったかもしれない。
アラシは彼らの危うさを少々不安に感じていた。
その一方で、絶えない質問攻めに嫌気がさしてきているのも事実だ。
リーマス同様「関わりは無い」の一点張りで通しているが、一括りにされてしまうことは珍しくない。授業が始まると、教授の目が真っ先にこちらに向いてくるようになったのは気のせいではないだろう。

 ***

三月の半ば。
ジェームズが口を開いたのは、昼食時のことだった。

「いや悪いね、僕らのせいで迷惑をかけちゃって」

悪びれた様子もなく、彼は笑っている。
わずか数十分前、教室から出てすぐ恒例の噂話に巻き込まれたせいで、アラシの機嫌は良くない。昼食の時間も充分に取れなくなるほど、収拾の付かない事態になっているのだ。
気の弱い者は、彼らの友人にはなれないだろう。
その点、ピーターはとてつもなく図太かった。今では話しかけられて一番に反応する彼である。むしろ誇らしげにしている姿は、立派な“マネージャー”だ。
リーマスはリーマスでそ知らぬふりを続けている。アラシもぜひそうしたいのだが、東洋人の特有さが目を引くのかなかなか上手くいかない。
最近では全ての根源であるジェームズとシリウスへ、たびたび苛立ちをぶつけていた。

「謝るなら、もっとちゃんと謝ってよね」

ため息まじりに言って、サンドイッチをかじる。
中身は、塩味のハムとレタス、トマトだ。バターが塗られたそれは少々油っぽいが、味は悪く無い。

「僕は別に迷惑じゃないけど」

すっかり武勇語りが上手くなったピーターが、にこにこと告げる。ジェームズは愉快そうに笑った。

「いや、ここまで反響があると面白いね。どうだい、今度は君も一緒に?」
「今度があってたまるかよ」

アラシは憔悴しきった調子で答えた。声に覇気が無い。
もはやジェームズも謝る気はないようで、独り言のように言葉を続ける。

「いっそこのまま、何か活動を始めるのも一興と思うんだけどな。ヒーローになった気分だ」
「確かに、気分はいいよな。くせになりそ」

シリウスがにやにやと応じた。
渦中真っ只中のくせに、二人は清々しくいつもどおりだ。元々注目されることに、抵抗を感じない性質(たち)である。むしろ、一部の生徒に英雄扱いされていることに興奮していた。

「こういうのはどうだろう」

ジェームズが幾分か声のトーンを低くさせ、身をかがめる。
内緒話をしようという意思を最初に汲み取ったのは、ピーターだった。やや遅れてシリウスが身を乗り出す。
片手にサンドイッチを持ったまま、アラシは逆に座る位置を少しばかり彼らから離した。これ以上巻き込まれてたまるかと、サンドイッチをかじる。それでなくても、国外からの入学生は目立つというのに。
ふと隣のリーマスを見ると、涼しい顔でココアを飲んでいた。片手には日刊預言者新聞を持ち、優雅な食事時と言わんばかりだ。その悠然とした態度は、まさしく“他人のふり”そのものだった。

「リーマスって世渡り上手だよね……」
「君が下手なんだと思うよ、僕は」

にっこり笑顔で返され、ぐうの音も出ない。
まったくもってその通りだ。
アラシはここ最近のことを思い返し、ため息を付いた。
質問攻めにあったとき、相槌したり解説したりしていれば、当然仲間だと思われるに決まっている。もっとも全てピーターに言われるがまま、が冒頭につくのだが。
嫌なら嫌で、最初からリーマスのように何も知らないふりをしていれば良かったのだ。騒ぎが大きくなってから慌てても、後の祭りというわけである。

「でも、ニッポン人は嫌って言えない性格って言うし」
「国のせいにするのかい」

ぼそぼそ言い訳すると、リーマスはぷっと吹き出して笑った。
困ったように笑って返し、こしょこしょと話を続ける三人を見やる。

「俺はあいつらが異常なんだと思う」
「まあ普通はしないよね。そろそろ薬草学に行く?」

アラシの毒づきを見事に流し、リーマスは新聞を畳んだ。
時計を見れば、そろそろ午後の授業が始まる時間だ。予想通り、削られた昼休みの時間は少なかった。
アラシはゴブレットの水を飲み干すと、立ち上がった。返事はしなかったが、了解の意味と理解したリーマスもまた席を立つ。
未だ小声で話し合う三人の友人には声をかけず、二人は連れ立って歩き出した。
レポートの期限がどうとか、あの先輩には関わりたくないだとか、他愛のない話をしながら城の外に設置されたハウスへ向かう。城を出ると、同じように授業を受ける生徒の流れがあった。
彼らはこちらの姿を一度見ると、意味深に近くの友人らと目配せをするのが、七割だ。二割は無関係を決め込み、残りの一割が――。

「あら、“カンザキくん”にルーピン」

一割が、声をかけてくる。
洗練されたソプラノ声に振り返ると、見事な赤毛を二つの三つ編みにした少女が、そこにいた。
少し前ならば、笑顔で挨拶をしてきた彼女だが、今そのあどけない顔に表情らしきものは見当たらない。怒りさえ浮かべていないことこそ、人を不安に陥れることだとアラシは最近知った。

「どうも、エヴァンスさん」

リーマスがにこりと笑顔で言葉を返す。とても爽やかだ。
だからこそ彼は、世渡り上手なのである。

「あなた方の“ご友人”が、お昼休みに出口をふさいだのはすこぶる迷惑だったわ。今度は気をつけてね」
「言っておくよ」

リーマスが頷くと、それで会話は終わりだった。
リリーは何度かアラシを見たが、声はかけてこない。それをいいことに、アラシは会話をリーマスに任せきりにした。
噂が広まると、リリーの態度は徐々に変化し、今では他人行儀な口調でやけに辛らつな一言をぶつけてくる。
“冷たい”とはこういうことなんだろうなと、アラシはまた一つ大人になっていた。スネイプの態度も結構アレだとは思っていたが、彼の場合悪意がないだけましだ。
リリー・エヴァンスは、明らかに規則違反の“ご友人”を嫌っている。その仲間と認知されたアラシやリーマスにも冷たい態度をとるのは、当たり前といえた。

「僕らも大事な昼休みが短くなるのは、いただけないしね。じゃあ、また」

リーマスがひらりと手を振るのにあわせ、アラシもぎこちなく手を上げた。ハウスに到着したので、リリーが離れていく。
アラシとリーマスも適当な場所に荷物を下ろすと、一息ついた。
ここでも、七割がたの生徒がちらりとこちらを見ては噂話をしている。声をかけてくる者がいないだけ今日はまだいいなと、アラシは思った。
ハウスには、ほとんどの生徒が揃っていた。

――ほとんどの。

顔をしかめ、アラシはそっとリーマスを見た。リーマスも同様に眉根を寄せている。

「リーマス、ジェームズ達の姿が見えない」
「僕も今、それを考えてた。まさかとは思うけど……」

ああ、嫌な予感がする。
ジェームズの内緒話、そろそろ開始時間だというのに現れない三人。加えて、二週間前のらくがき事件。
どう考えても、これは凶兆にしか見えない。
顔を見合わせて、そのつもりは無かったのに、互いに血色が悪くなるのを確認した。
ただの遅刻ならいい。いや、遅刻は良くないが、遅刻で済むならそれがいい。
天にも祈る気持ちで、アラシはそっと空を仰いだ。どんよりとした灰色の空は、まさに今の二人の心内そのものである。
そうこうしているうちに、ハウスの出入り口が開いた。期待を込めてそちらを見たが、入ってきたのはスプラウト先生だ。小太りの魔女は、にこやかな顔つきで前の方に立っている。

「皆さん、お集まりね。では、薬草学の授業を始めます」

アラシとリーマスは、同時に同じ長さのため息をついた。
腹をくくって、もしもの時はリーマスを見習い他人のふりを決め込もう。
覚悟なのか、弱腰なのかよくわからない決意をして、アラシはドラゴン皮の手袋をはめた。


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