48


その日は、星が綺麗だった。
珍しく雲も無く、星の観察にはもってこいの夜。
しかし残念ながら、そういうことには興味が無かった。
未来は予想するものではなく、作るものだと思っているからだ。
ふと、窓の外に黒い人影を見つけて、目を凝らす。
闇に説けてしまいそうなその男は、空を仰いでいた。
“彼”は、星占いをするのかもしれない。
好き嫌いや、興味の有無関係なしに、よく当たりそうだ。
ふと“彼の方”に興味が沸いて、机から離れる。
玄関まで行くのも面倒で、窓から外へ出た。
夜空を見上げるその男へこっそりと歩み寄る。

「ケンタウロスは、星を見て未来を占うそうだよ」

そして、“彼”の隣に立ち、声をかけた。

― 共有者 ―


翌日の深夜、アラシは音も無くベッドを抜け出した。
一人欠けたままのルームメイトの寝息(もしくはイビキ)が、薄闇に響いている。
月は、明るかった。
丸く太ったその姿を現したのは、今夜の六時過ぎのことである。
大広間で夕食を摂っていたアラシは、その天井に月が光るのを真面目な顔で見つめていた。

満月。
人狼が、人間から獣へと変貌する悪夢の日。

ローブの上にさらにマントを羽織ったアラシは、クリスマスにリーマスから貰った甘すぎるお菓子を数個ポケットに入れる。
一度は、躊躇いがあって諦めた。二度目は、我慢した。
今日が三度目の満月。
アラシは、リーマスを徹夜で待とうと決めた。
昨夜のリーマスへのお礼という意味も、あるのかもしれない。
けれど彼はきっと、喜ばずに困るだろう。
「危ないから」と言う友人の姿が目の裏に浮かぶようで、アラシは小さく笑った。
最後に杖をズボンのポケットに差し込むと、マントを翻して部屋を出る。
グリフィンドールの寮内は、静まり返っていた。
ところどころの部屋から寝言やイビキが響いてくる。
談話室を抜けて廊下に出ると、足元から冷えた空気が容赦なく襲ってきた。
太った婦人の迷惑そうな文句が、後ろから聞こえてくる。
いつものようにそれを無視したアラシは、小声で“ルーモス”の呪文を唱えた。
杖先に緑の淡い光が宿る。

――管理人に、見つからなければいいけど。
わずかな不安を残しつつ、やっぱりジェームズの透明マントを拝借するべきだったかと、後悔しつつ、アラシは足を踏み出した。
夜のホグワーツは、初めてではなかった。
しかし消灯時間を過ぎてから一人で出歩いたことは無い。
そう、仲間となら何度か――強制的に、あったけれど。
ひたひたと、静かな忍び足がひとつ。
確かに“アラシ”は初めてだったが、本当の意味で“初めて”ではないはずだった。
何度も後ろを振り返り、前方にフィルチの猫がいないかと意味も無く目を凝らすことを繰り返す。
規則を破ることが、やけに不安だった。
不安で、心もとなくて、“ゴドリック”だった自分はそのように怯える必要など、ないと知っているのに。
漠然とした、けれど確かな変化が起きている。
本当に“俺はゴドリックなのか”。
問いかけにすぐに答えられたあの頃は、どこへ行ってしまったのか。
“今の”名前を呼ばれる喜びが、大きい。
過去を持ち出されることが辛い。
そんなはずはないだろうと、誰かが否定する。
輝かしい時代を語ることこそが、幸せであり喜びなのだと。
“今の己”は所詮、“過去の己”には敵わないのだと。

――リーマスなら、答えを知っているだろうか。
そう思った瞬間、アラシは激しい自己嫌悪に襲われた。
困ったらリーマス。頼るのはリーマス。荷の預け先は、リーマス?
首を振る。
そんなことのために、徹夜をするわけではない。

アラシの心配も杞憂に終わり、ほとんど危険な目に合わずに玄関へたどり着いた。
外へ出ると寒さはいっそう厳しく、まだ解け残っている雪が、森の影に積まれている。
森番の小屋の灯りが、遠目にまだ点いているのが見えた。
息をつく。白い湯気となって、それは空気中へ消えた。
マントを巻きつかせ、玄関の階段に腰掛けた。
天を仰ぐ。憎い位に澄み切った空気が、星を引き立てる。

――「そんなことは知っている」

突然、耳に響いてくる低い声。
否、これは過去の記憶。

――「ケンタウロスとは、多少話をしたことがある」

侮辱されたと思った“彼”が、わずかな怒りを眉間を寄せることで表現する。
それ見て、ふいにおかしくなった“俺”が、笑い声を上げた。

――「別に君を馬鹿にしたわけじゃないさ! 話がしたかった。星占いについては詳しいのかい、ミスター・スリザリン?」
茶化すように問いかければ、“彼”はますます生真面目そうに顔をしかめる。
そして、言葉の返事は無かった。
わずかに漏れたその息は、シューシューと音を立てて理解できない。
噂に聞くパーセルタングだろう。
蛇語で、毒づかれたのかもしれない。
しかし理解できないものは出来ないので、気にせずに話を続けることにした。

――「今宵は星が綺麗に見える。君がもし占い師なら、俺たちの未来はどうなっているんだ?」

ふん、と“彼”は鼻を鳴らす。

――「知っていても、お前には教えん」

拗ねた子供のようなそれに、思わず笑いそうになって、慌てて堪えた。

――「それは残念だ」


幻影が見える。
黒髪の男。いい年をして拗ねる大人気ない顔。
奥歯をかみ締めた。
サラザールは、こうなることを知っていたのか。
超人的な力を持つ“彼”なら、可能だったのではないだろうか。
そこまで考えたところで、頭を振った。
マントの胸の辺りをかきむしるように掴む。
心臓が痛い。どうしようもなく、突然苦しくなる。
過去の記憶に、痛みを覚えたのは初めてだった。

「最近、“初めて”が多いな」

独り言をつぶやいて誤魔化そうとする自分が、嫌いだった。
今思ったことを否定しようとする自分が、何よりも。
――所詮、人を頼ることしか出来ない。
リーマスに助けてもらって、今度は過去の幻影に全てを押し付けようとしている。
受け止めなくてはいけないのは、自分であって、他の誰かには出来ないことを、わかっていて。
アラシは必死に誤魔化そうとしていた。
変化が怖かった。
まさか、こんなことを思う日が来るとは夢にも思わなくて。
入学したことを後悔しても、“ゴドリックだった”ことを後悔することはなかったのに。

――記憶を、消してしまいたい。

過去に惑わされることも無く、変な言動をすることも無い生活に戻りたい。
いきなり、望郷の想いさえ沸いてくる。
怖くなって、アラシはやっぱり誤魔化した。
ずるいとわかっていても、そうせずにはいられなかった。
“ルーモス”の光を強くする。
何か行動をしていないと、すぐに考えにふけってしまうので、それからごそごそとポケットを探った。
甘すぎるお菓子を取り出して、一口かじる。
ふわりと口内に広がった味は、予想通りに胃に来る甘ったるさだ。
けれどそれがアラシを現実へ引き戻させた。
空はまだ暗い。
そして、その闇の間リーマスは苦しみ続けるのだ。
それが、今の真実。確かな現実。
親友とも言える友人が、朝日が昇るまで自らを傷付け、咆哮する。
たった一人ですごすその夜が、どれだけ辛いだろう。
満月が雲から全貌を現し、体が変化する。
堅い毛が伸び、体の骨は変形し、理性が消えて、傷つけることだけを考えるようになる。
けれどそこに、対象の人間がいない。だから代わりに自分の体を甚振る。
爪で己の体を強く引っ掻き、腕を噛み千切るほどに強く牙を押し付けて。
どこでその夜を過ごすのか、リーマスは教えてくれなかった。
ただ困ったように笑って「ホグワーツの外」とだけ、言った。
ため息を付く。
その少年の重い運命の上に、さらに自分の荷物を背負ってもらおうとしているのかもしれない。
自分が情けない。
昨夜のリーマスとて今日の満月が、怖くないはずがなかっただろう。
それなのに、笑ってアラシを励ましてくれた。

一口食べて止めてしまったお菓子を、口の中に放り込む。
甘ったるい匂いが鼻をかすめる。
リーマスがどうして甘いお菓子を好むのか、少しだけわかった気がした。
気分が落ち着く。問題とは向き合えなくても、落ち込むことは無くなる。
“君にも僕の幸せをおすそわけ”。
クリスマスカードに書かれていた一文を思い出して、ふと口元が緩んだ。
――会ったらまず、お礼を言おう。
東の空が白みはじめていた。
もうすぐ、満月の夜は終わる。
吐く息は相変わらず白く、足元には霜が下り始めていた。

 ***

寮に戻ると、三人とも起きていた。
寝癖を直すピーターと、靴下の片方がないと騒ぐシリウス、そして課題をやるのを忘れたと必死にシリウスのを写しているジェームズ。
マントを脱いだアラシは、その騒ぎに乗じてすばやく制服に着替えることが出来た。
毎朝のことながら、にぎやかなことだ。
アラシの秘密が露見した翌日の朝――つまり、昨日のことだが――も、こんな調子だったので、彼らはほとんどそのことを気にしていないのかもしれない。
その方がありがたかったが、さすがに昨日の放課後隠し通路全てを案内することは出来なかった。

「おはよう、アラシ」

やっとこちらの存在に気づいたピーターが、声をかけてくる。
アラシは同じように挨拶を返して、教科書をカバンに入れた。

「どこ行ってたんだ? ずいぶん早いな」

シリウスが、諦めたのか、長さが違う靴下を履きながら言う。
そこでやっとジェームズも気づいて、椅子からこちらをちらりと見た。
けれどそれだけで、彼はそそくさと課題に戻ってしまった。
最初の授業“魔法史”のものなので、挨拶の暇は無い――と言いたいのかも知れない。
アラシはその“魔法史”の授業に睡眠を取ろうと思っていた。

「リーマスのところ。また調子が悪くなったみたいなんだ。だから今日も休むってさ。ポンフリーに放課後もお見舞いしたいって言ったら、面会謝絶って言われたよ」

用意していた台詞をそのまま、口に乗せる。
そう誤魔化しておいてくれとリーマスに言われたのは、先ほどのことだった。
そして、それが一番自然だからと請合ったのは、リーマスの秘密を知る保険医のマダム・ポンフリーである。

「そんなに悪いの?」

ピーターがネクタイを締める手を止めて、顔を不安げにゆがめた。

「何かの病気?」
「さぁ……。でも、もしそうなら感染の可能性があるから、面会謝絶なのかも」

とっさに思いついたことを、それらしく述べる。
するとシリウスが深刻そうにつぶやいた。

「魔法薬で治らないなんて、よっぽどだ。大丈夫なのか?」
「ポンフリーが、数日すれば治るって言ってるんだから、大丈夫だよ」

ふいに、ジェームズが背中を向けたまま朗々と言った。
確信めいた調子のそれに、シリウス、ピーターと顔を見合わせる。

「聞いてたの?」
「聞こえてたのか?」
「聞いてたんだ?」

三人の声が揃った。
ジェームズがそこでやっと振り返り、ボサボサの髪を揺らす。
その手には、課題の羊皮紙があった。

「やっと、課題が終わった」
「“写し”終わったんだろ」

シリウスがひったくるようにして、課題を受け取りカバンに突っ込む。
ジェームズは肩をすくめて、「助かったよ」と笑った。
それで、リーマスの話はうやむやになってしまう。

「それじゃ、朝食行こうか」

ひそかに安堵したアラシが声をかけると、三人はそれぞれ頷いた。


大広間のグリフィンドールのテーブル、中ごろ。
いつもの定位置に腰を下ろす。
今日はパンか、と感慨も無く思いながら手を伸ばしかけたところで、しかしその腕が誰かに掴まれた。
驚いて、隣を見る。
そちらには一つ空席があるはずだった。
いつもはリーマスが座る場所だ。

「おはよう、カンザキ君」
「りり……エヴァンスさん」

リリーは、アラシと無理やり握手をすると、すばやくリーマスの席に座った。
彼女の姿を認めたシリウスとジェームズが、顔をゆがめる。
つい一昨日の夜、彼女と再び大喧嘩をしたことは、記憶に新しい。
それに結局リリーがマクゴナガルに「ポッターに突き落とされかけた」ことと、「カンザキ君に危ないところを助けてもらった」ことを両方告げてしまったので、ジェームズは罰則を受けることになってしまったのだ。
アラシに対しては、グリフィンドールに五点追加され、ジェームズに対しては、グリフィンドールから五点減点された。
寮に損害は無い。
それでジェームズだけ罰則なのだから、彼らが怒るのは当然といえば当然だ。
その上、リリーはリーマスの席に座ったのである。

「元気?」

にこやかなリリーに気圧されつつ、アラシは答えた。

「うん、まあ。ぼちぼち。何か用?」

話しながら、ちらりと向かいに座るジェームズとシリウスを見る。
彼らはリリーを鋭い目で見ていた。
気づかないのか、それとも気づいていてあえて無視しているのか、リリーは笑顔を崩さない。

「今日の放課後時間あるかしら? 私、案内して欲しいわ」

一体なんのことなのかさっぱりなので、アラシはきょとんとリリーを見た。
それにどうして、彼女はこんなに自分に付きまとってくるのだろう。

「アラシは僕らと、盤上クィディッチをする約束だよ」

ジェームズがぶすりと言った。
それを聞いたアラシは、ジェームズを見て困惑する。
そんな約束をした覚えは無い。

「あら。そんなのいつでも出来るじゃない。それにポッター? あなたは放課後、罰則があるわ」
「だったらその後だ」

シリウスがジェームズとそっくりの仏頂面で短く告げる。
アラシはやっと、彼らが自分を取り合っていることに気づいた。
ジェームズとシリウスを見ていた視線を、リリーに戻す。

「とりあえずリリー。案内って何のこと?」
「お城の中。詳しいアラシに案内して欲しいわ」

ふいにファーストネームが呼ばれたが、気にしないことにした。
つまりそれは、“ゴドリックだったから”?
思わず顔をゆがめると、独特の高い声が素っ頓狂に言った。

「ちょっ……どうして、エヴァンスさんがそんなこと知ってるの?」

ピーターだ。
リリーが勝ち誇ったように笑う。

「秘密よ」

アラシは諦めにも似た、ため息を付いた。
それと同時に、ジェームズが口調を荒げる。

「なんだよ、秘密って。僕たちは、アラシのことよく知ってるんだから秘密なんて意味無いよ」

明らかに苛立ったそれに、リリーはくすくすと笑った。
どうやら今言い負かしていることが楽しいらしい。

「秘密は秘密よ。アラシの秘密を私が勝手にばらしちゃったら、駄目だもの」

――ああ、やっぱり。
アラシは頭を抱えたくなった。
彼らは、アラシの“記憶”のことを互いに知っている事実に気づいていない。
明かしたのは別々なので無理もなかった。
そしてリリーは秘密は二人きりのものだと思い込んでいるのである。
アラシはもう一度ため息をつくと、睨み合っている二方両方に告げた。

「あのね、四人とも俺の秘密は知ってるんだよ。リリーも知ってるし、ジェームズ達も知っている」

それに悲鳴を上げたのは、リリーだった。
あまりの大声に、近くにいた何人かが何事かと視線をこちらに向ける。

「嘘でしょう!?」
「こんなことで嘘はつかないよ。同じ日に言ったんだ」

笑顔だったリリーが、しぼむように肩を落とした。

「なんだ、エヴァンスが言ってたのってソレか?」

とたんにシリウスが、馬鹿にしたように鼻で笑う。
ジェームズが「ああそれか」と、爽やかに笑顔になった。
ピーターも「なんだ」と、安心したようにパンをほお張る。
こうなると、リリーの立場は無くなって、彼女は逃げるように立ち上がった。
それでもしぶとく、問いかける。

「放課後は駄目なの?」

アラシは困って、誤魔化すように笑った。

「うーん……また今度ね。今日は変身術でいいかな」
「変身術?」

リリーが何の話、とばかりに可愛らしく小首をかしげる。
アラシはやっとバターロールを手にとって、安堵しながら答えた。

「一昨日の最後の授業、出られなかった分。教えるって言ったから。今日の授業が終わったら、図書館に――」
「僕も行くよ」
「じゃ、俺も」
「僕も」

言いかけたところを、三つの声がさえぎる。
ジェームズ、シリウス、ピーターだった。
とたんに、リリーの顔が歪む。

「なんであなた達が」
「変身術に出られなかったのは、何もお前だけじゃないんだぜ、エヴァンス」

シリウスがニヤリと笑った。
どうやら自分はとんでもなく人気者になってしまったらしいと、アラシはため息を付いた。
これでは、しばらくスネイプと話が出来ないかもしれない。

「全員変身術を学ぶつもりがあるなら、俺はかまわないよ」

肩をすくめて告げると、リリーは目を見開いてそれから怒ったように、そそくさとその場を去っていった。


リーマスが退院した時、彼が秘密の共有者だと知らない四人が、必死にアラシの秘密を隠そうとしたのは、この日から二日後のことである。



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