47


全ての始まり。
始まりであり、終わり。

「――どうして、そんなことを」
「だから私は、お前を憐れむのだ」
「あなたがたとえどんなことをしても、私はあなたの味方でいたい」

いい年をした中年の魔法使い四人が円卓を囲み、真剣な顔を突き合わせている。
室内は心なしか暗く影がよどんでいて、ふ、と息を吐けばそれはわずかに白みを帯びていた。
冷えるというのに暖炉に火は無く、奇妙なまでの沈黙が降りている。
ぽつりと、切り出したのは“彼”だった。

「私が、許されないことをしたのは二十年前にはわかっていた」

“でも、そのときはすでに君たちがすぐ傍にいた。”
――言いかけた言葉を、呑み込む。
逃げ口上など、したくなかった。
だから代わりに、苦笑を浮かべる。
どこで、狂ってしまったのか。
四つの点で結ばれた正方形は、いつしかいびつな形になってしまった。

― 終着 ―


「どこ行ってたの?」

とがめるような、少女の声。
彼女と同時に目に入るのは、遅い夕食にありついているルームメイト達だった。
あれほどジェームズやシリウスを毛嫌いしていたリリーも、おとなしくその輪に入っているのは、食欲に負けたのか、それとも何か別の理由があるのか。
ジェームズを見る限り、どっちにしろ彼にとっては至福であることは確かだ。
リリーは、入り口に立ったままのアラシに怪訝な顔をして見せた。
ジェームズ達も、もぐもぐとチキンやら、カボチャサラダやら、はたまたピザやらを咀嚼しながらこちらを見ている。
一番向こう側に座るピーターは、なんとか状況を見ようと首を必死に伸ばしていた。
アラシは、肩をすくめて苦笑した。

「ついでに、リーマスの様子を見てきたんだ」
「どうだった?」

ジェームズが言って、ピザの最後の一欠けらを放り込む。

「うん、大丈夫そうだよ。ちょっと疲れているみたい」
「僕たちも明日お見舞いに行って平気かな」
「いいんじゃないかな。喜ぶよ、きっと」

ジェームズが嬉しそうに破顔する。
それを横目に、ちらりとシリウスとピーターを見ると、彼らは気まずいのかそろりと視線をはずした。
つきりと胸が痛んだけれど、リーマスの言葉が同時に心へ響き、次の瞬間アラシは細く微笑んだ。
それを向けられた二人は、驚いたように一瞬しっかりとアラシと目を合わせ、そして慌てたように夕食に専念し始める。
――今は、これでいい。
これが現実。
“普通ではない人間”が、そう易々と受け入れられるはずがない。
ジェームズこそが特殊な例であり、きっとリリーも心の底ではピーターのような気持ちを抱いている。
アラシは、ゆっくりと彼らが作った円に近寄りながら、どこに座ったものかと考えた。
無論、シリウスとピーターの隣はパスだ。
となると、ジェームズとリリーの間に割り込むしかないが――果たしてそれは出来るのか。

「アラシ、良ければここが空いてるわ」

リリーの声がして視線を落とすと、彼女はぽん、と自分の隣を叩いた。
にっこりとした微笑付きだ。

「いいの?」
「仕方ないから、エヴァンスさんの隣の特等席を譲ってあげるよ」

いいの――と聞いた相手は、リリーではない。
ジェームズに、だった。
つい先刻、彼はリリーへの奇妙にゆがんだ偏屈な好意をあからさまにしたばかりだ。
けれどジェームズは、あっさりとうなずいて見せる。
その言葉に甘えておそるおそる腰を降ろし、ジェームズの様子を伺った。
彼は今度はどこから持ってきたのか、ジョッキに入ったビールのような飲み物を飲んでいる。
甘ったるいにおいがするから、子供用なのか。
彼の表情はいつもと変わらず、本当にどうとも思っていないらしい。

「あなたの分をとって置いたのよ」

リリーがさも自分が食料を守ったかのように、自慢げに言った。
それに多少困惑しつつ会釈で返し、オードブルへ手を伸ばす。
食べ物が体の中に入ったとたん、気分が落ち着いてきたようだった。
自分の事ながら、あまりのゲンキンさに呆れてしまう。
これほど食い意地が張っていたとは、驚いた。
リリーもこれと同じような感覚で、ジェームズの隣に落ち着いてしまったのかもしれない。

「明日も授業があるし、食べ終わったら寝ようか」
「そうだな……明日も、授業あるんだよな」

ジェームズがからりと言ったのに対し、答えたシリウスは妙にほうけていた。

「変な気分だな、僕。なんだかこのまま、もう一回クリスマス休暇がきそうなカンジ」

ピーターがビールのようなもの(ちょっと怖いのでアラシはまだ未挑戦だ)の、水面を見ながらぼんやりと漏らした。

「そうだったらどんなにいいだろうね。プレゼントがもう一度もらえる」

ジェームズが的外れなことを口走ったが、誰も彼の相手はしない。
わずかにリリーが顔をしかめたくらいだ。
その間、アラシはといえば突然よみがえった空腹感を満たすため、食べることに専念していた。
最後にためらってためらってとっておいた、ビールのような甘ったるい液体に口をつけ、思わず瞠目する。

「ウッワ、何これ。おいしい!」

つい口から、賞賛が漏れた。
全員の視線が、こちらを向く。うつむき加減だったシリウスやピーターも、びっくりした顔だった。
ジェームズが、ぱっと顔を輝かせた。

「そうだろう! それ、バタービールって言うんだ! 僕も、去年初めて飲んだんだけど、おなじこと言ったよ、君と!」
「バタービール……」

なるほど、確かにバターの香りもする。
もう一口と飲み下しているうちに、ジェームズはさらに解説した。

「イギリス唯一の魔法使いだけの村で売ってるんだ。三本の箒でしか手に入らないんだけど、しもべ妖精たちが買い溜めてたみたいでさ!」

へえ、と感心してうなずいていると、ふいにピーターが言った。

「知らなかったの? だって君はゴドリック――」
「ピーター」

ゴドリックでしょ、と言おうとしたのか。それとも、ゴドリックの記憶を持っているでしょ、と言おうとしたのか。
シリウスが途中でさえぎってしまったから、わからない。
彼は戸惑っていて、それが顕著に顔に表れていた。
二人に笑いかける。

「うん、知らなかった。そもそも、ゴドリックがいたのは千年以上も前だからね。クィディッチだって知らないし、空飛ぶ箒も知らない。ホグワーツだって、ところどころ変わってるから、時々迷うよ。特に温室は」
「ええっそうなの?」

そう言ったのは、リリーだった。
大きな目でこちらをじっと見ている。
彼女に「そうだよ」と返事を返して、アラシは杖を一振りした。
食べ終わり、器だけになった夕食を片付けたのだ。
残ったのは、バタービールのジョッキ五つだけだった。

「わっ……びっくりした。消すなら消すって言ってよ」

ジェームズが口を尖らせて文句を垂れる。
アラシはそんな彼に「うん、消したよ」とけらけら笑って見せた。
不思議なほどに、心安らかだった。
不安定な上に成り立つ会話が変に心地よくて、口元が緩む。
ほんの数十分前まで、あんなにぐちゃぐちゃだった感情が、呆気なく消えていた。
リーマスってすごい。
たった一言二言で、こんなに楽になる。

「結構、普通……なんだな。ゴドリックって言っても」

ぽつりと、シリウスが口走った。
ジェームズがぶちぶちと文句を言っていたのと同じタイミングだったので、聞こえていない――ように思える。
少なくとも、アラシには聞こえていた。
けれど、誰も返事はしなかった。
皆に聞こえていても、誰かが返事をしたのかどうかはわからない。

「ああ、いけない!」

突然、リリーが叫ぶ。
あまりに出し抜けだったので、ピーターが驚いてバタービールをこぼしてしまった。
絨毯の上に染みが広がる。
シリウスが慌てて染みを避けようと、立ち上がった。
ジェームズがすかさず魔法で染みを消そうとするが、どうやら呪文を間違ったらしく、倍の早さで広がりだす。
そこでアラシも急いで、杖を取り出した。

「私、変身術の授業、出なかったわ!」

男の子達の騒ぎなど一切目に入っていないのか、リリーは続けて叫んだ。
あまりといえばあまりな内容に、一瞬部屋が静まり返る。
沈黙が降りたその中に、染み抜き魔法を使ったアラシの呪文だけが響いた。
ピーターがほっと息をつく。

「今更……」

シリウスが小さく漏らした。
本当に今更の話だった。
アラシも、そのことはほとんど気にしていなかったし、ジェームズ達も同じだろう。
しかしリリーは、まるで今日が地球最後の日のように、絶望的な顔になる。

「なんてことなのかしら……マクゴナガル先生の授業を、無断で休んじゃうなんて」
「り、リリー……」

見かねたジェームズが、そっと声を掛ける。
すると彼女は、今彼の存在に気づいたようにぱっと鬼の形相に変わった。

「名前で呼ばないで、ポッター!」

びしりと、鬼気迫った様子で吼える。
あまりの変わり様に驚いて、誰も何も言えなくなった。

「私、マクゴナガル先生に明日事情を説明するわ」
「事情って、俺のこと?」

不安を覚えてつい問いかける。
ゴドリックのことを漏らされたのでは、たまらない。
しかしリリーは首を振った。

「いいえ、ポッターに落とされたところを、アラシ……じゃない、えっと、カンザキ君が助けてくれたって」
「そんな! それじゃ、僕がいけないみたいじゃないか」

ジェームズが心外だとばかりに抗議した。
が、こうなってしまうとリリーは止まらない。猪突猛進だ。

「実際、そうだったもの。私、暴力を振るわれたんだわ。本当に危なかった」
「ジェームズは悪くないだろ! お前が先に突っかかってきたんじゃないか!」

シリウスが憤慨して、真っ赤になった。
今にも殴りかかっていきそうな勢いだったので、急いで声を出す。

「俺は何があったのかよくわからないんだけど、り……エヴァンスさん。ジェームズは君に謝ったよ」
「謝ったらそれで終わりなの? ポッターはいい加減過ぎるわ」

リリーがつんとすまし顔になる。
彼女は完全にいつものペースに戻っていた。
シリウスが、苦虫を噛み潰したような顔で、舌打ちする。

「告げ口しかできねーのかよ、お前」

リリーがシリウスの方を睨んだ。
彼はそっぽを向いていて、目をあわせようとしない。
隣のピーターは、そわそわと二人を見比べていた。

「これは正しい行いだわ。あなた達に付き合わされなきゃ、今日の変身術には出てたはずだもの」

瞬間、アラシの頭に山高帽を被った老人が浮かんだ。
間違いなく、変身術に出られなかったのは彼のせいだ。

「いや、それはなんていうか根本的に、ゴーストが悪いんじゃないかな……」

そう呟いた瞬間、ジェームズが勢い良くこくこくとうなずいた。
リリーが間髪入れずに声を張り上げる。

「押したのは、ポッターよ!」
「喧嘩売ってきたのはそっちだ!」
「生憎、私はそういうつもりはないわ」
「つもりがなくても突っかかってきただろ!」

リリーとシリウスの激しい口論が続く。
ピーターが何度か止めに入ろうとしたが、その度に二人が彼を睨みつけるので、失敗に終わった。
シリウスの顔が次第に赤みを増し、握られたこぶしにも力が入り始める。
ぶち切れ寸前、といったところだろう。
このままいくと、本当に殴ってしまうに違いない。
そもそもシリウスは、あまり気が長いほうではない。
二人の間に割って入ろうとしたアラシだったが、それより先にジェームズが口を開いた。

「じゃあ、“エヴァンスさん”はどうして医務室に一緒に来たの? 次の授業に遅れるかもしれないって、わかってただろう?」

リリーが言葉に詰まる。

「そ、それは……」

シリウスが勝ち誇ったように、口の端をあげた。

「ほら、お前が悪い」
「なっ……」

再び罵声を上げようとした彼女を、ジェームズが言葉で押さえ込む。

「“エヴァンスさん”は、変身術に出られないかもしれないってことも、ちゃんと考えたんだよね、もちろん?」
「それは、だって」

リリーの目が泳いだ。
ジェームズはおよそ十一歳とは思えない態度で、にこりと笑顔を浮かべて、とんでもないことを述べ始める。

「生憎、僕は血の気が多いんだ。シリウスもね。これ以上僕らを侮辱すると、どうなっても知らないよ。出来れば、喧嘩はしたくないな」

ジェームズの後ろで、シリウスが腕を組み彼女をにらみつけた。
彼の行動で、効果は倍増だ。
アラシはやりすぎだと、顔をしかめた。

「こっこんなの、脅しじゃない。上等だわ、これでも妹とよく取っ組み合いをしたんだから」

一体彼女の何がここまでさせるのか、リリーは気丈にも構えを取る。
まだまだ未発達な年齢なので、体格差はそれほど無かったが、リリーの腕の力が彼らより劣っていることは明らかだった。
それに彼女の普段の素行からも、こんな喧嘩になれていないことは誰から見てもわかる。

「へえ?」

シリウスが片方の眉毛をぴくりとあげて、ニヤリと笑った。
危険だ。
ピーターなんて、ジェームズの冷たい物言いに怯えている。
あまりの展開に、アラシはそっと声を掛けた。

「ジェームズ、シリウス」
「なんだい、アラシ」
「お前は黙ってろよ。大体この女、前から気に入らなかったんだ」

軽く拒否されているのがわかった。
スネイプを虐げる時のことを髣髴させる。
アラシは小さくため息をついた。
正直なところ、どちらにも賛同は出来ない心境だ。
そもそもの原因はアラシにあるので、三人が言い争いをすること自体が違う気がする。

「悪いのは、俺でしょ? 俺がゴーストに声を掛けなければ良かったんだしさ。リリーも、変身術は俺が教えるから。それで許してくれないかな」
「平和が好きなんだね、アラシは」

ジェームズが笑った。
つい、つられて答えてしまう。

「いや、理不尽な争いが嫌いなだけ。真っ当な喧嘩は結構す……だから、そうじゃなくて。えーと」

何、話してたんだっけ。
思い出そうとすると、今度はリリーが口を開いた。

「私、女子寮に戻るわ」
「え?」

言うが早いか、リリーは素早くドアまで動くと、ノブを捻った。
彼女はちらりとこちらを見て、何も言わずに部屋を出て行ってしまう。
あまりの早さに何も言うことが出来ず、呆然とそれを見送った。
シリウスが舌打ちするのと、ジェームズの安堵とも取れるため息は同時で。
その直後に、ピーターがぽつりと一言。

「け、喧嘩はやめようよ」

なんでそれ、もっと早く言わないのかと、問い詰めたい気分におちいった。
とりあえず、空のジョッキを魔法で厨房へと送り、息をつく。
和やかな夕食のはずが、とんでもないことになったものだ。
四人顔を見合わせたが、誰も口を開かなかった。
何を言えばいいのか、わからない。

「ねえ、そろそろ寝ない?」

結局ピーターの言葉が救いとなって、それぞれベッドへ向かった。
天蓋付きのそれにもぐり込んで、ぼんやりと隣を見る。
空のリーマスのベッドがひっそりとしていて、少しだけ寂しい。
長い一日が、終わろうとしていた。


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