35 「人狼の入学許可?」 珍しく自分から集合をかけたと思えば、彼は開口一番にその話題を出した。 聞き返す三人に、深く頷いて彼はひとりの子どもの資料を取り上げる。 「そうだ。三人とも、人狼についての正しい知識は持ち合わせているか?」 「まあ、一応ね」 ロウェナが答えると、彼は黙って頷き資料をこちらに向けた。 十三歳の少女だと記され、そこには幼い頃襲われたと書かれている。 サラザールは静かに言った。 「人狼も人間であり、魔法使いだ。学ぶべきことは学ばせるべきだと私は考えている」 「……でも、サラザール。満月の日には――」 「私の地下牢を使えばいい」 「俺はかまわないけど、ヘルガ大丈夫?」 「……サラが言うんだったら……」 「私も賛成よ。ただし」 「ロウェナ?」 「今後の時代変化によっては、拒否するということを頭に入れておいて」 「わかった。仕方ないだろう。特殊なケースだからな」 そのときのサラザールは、どこか嬉しそうだった。 彼は、マグルを人とみなさない代わりに、魔法植物や生物、さらには危険なドラゴンでさえ、可愛がる。 人狼のことは多少違うかもしれないけれど、生物に詳しい彼は彼らに同情したのかもしれない。 昔、孤独だった自分に重ねて。 ― バケモノ ― 「リーマスの、秘密?」 アラシはオウム返しに聞いた。 まさか、そんな話に発展するとは思ってもいなくて、いきなり現実に引き戻された気分だ。 リーマスが真剣な面持ちのまま頷く。 「聞いてくれるかな」 少し泣きそうなその顔に、アラシは安心させようと微笑んだ。 大丈夫、友達だから。 「うん。おしえて。リーマスがずっと抱えていたこと」 リーマスは一瞬気が抜けたように息を吐いたが、直後いつもは柔らかい雰囲気を一変させた。 どこか寂しい、どこか哀しい、泣きそうで泣けない真剣な顔。 パキン、と暖炉の中で木が二つに折れる。 す、と彼は息を吸い、アラシの目を真っ直ぐに見た。 「僕が、一ヶ月に一度“どこか”へ行くのは知っているよね」 「お母さんのお見舞い……?」 アラシはおそるおそる答えた。 リーマスは少し戸惑ったように目を泳がせて、それからまた視線を固定される。 今度は、アラシではなく短い毛のじゅうたんの上へ。 「違うんだ。お見舞いなんて、一度も行っていない」 震える声。 嘘をついていたんだ、と彼は消え入りそうな声で言った。 ふいに、彼と自分がよく似ていることに気づく。 秘密を守るために嘘をつき、そのせいで人と一線を引かなくてはいけなくて。 だからだろうか。 今、彼がとても不安なのが手に取るようにわかった。 嘘をついたことへの罪悪感、責められるのではないかという恐怖心。 そして、秘密を知った時の相手の反応が恐くて――。 ただ、自分の場合それは“過去の自分”の影響なのか、とても薄かった。 アラシには、いつもゴドリックという友人がいて、ひとりではなかったから。 「大丈夫だよ」 アラシはリーマスの肩に手を乗せた。 びくりと、彼は大きく揺れる。 「俺は、俺の友達が何者であっても、友達って言える自信がある。君だって、俺を受け入れてくれた」 「アラシ……アラシ、違うんだ」 リーマスはふるりと首を振り、アラシの手をやんわりと退けた。 「僕は、人間でさえないんだ。“何者”なんて、いう問題じゃない」 「りー、ます?」 驚いて、言葉が出てこない。 リーマスがゆっくりと顔を上げた。 その目は、ひどく寂しい色をしている。 「僕は……っ僕は――」 彼の声は詰まったまま、続きが出てこなかった。 どこかでその目を、どこかで、その寂しさと不安で満たされた目を、見たことがある。 ――「ゴトリック、何を見ているの?」 ――「うさぎ」 ――「ウサギ?」 ――「動かないんだ……死んじゃってるみたい。かわいそ――」 ――「ゴトリック、そこから離れて……こっちに来なさい、早く!」 青ざめた母は、すぐさまそこから“俺”を避難させた。 ――「母さん?」 その時見たのは、悲しい目をした狼だった。 ――「いい、ゴトリック。あなたに嘘は語りたくない。よく聞いて。この世には、重い物を持った人がいる――」 そう、遠いずっと以前。 まだ、“子どもだった”頃に、魔女の母が言っていた。 頭の中で再生される、セピア色の記憶。 「……じん、ろう……」 呟いた言葉に、リーマスが反応した。 瞳を揺らし、どうして、と消え入るほどに小さな声が漏れる。 ああ、そうかと納得する自分がいた。 どうして今まで気づかなかったのだろう。 彼には、こんなに傷があったのに。 一月に一度、満月の日にいなくなるのは偶然ではなかったのに。 クリスマス休暇前の雪合戦の日だって、その前日は満月だったのに。 何より、人狼についての知識が無いわけなかったのに。 「ごめん、リーマス」 「言わないで。わかってる。もう、近づかないから」 リーマスはにこりと綺麗に笑って見せた。 何を言っているんだろう、とアラシは逆に顔をしかめる。 「俺が謝ったのは、気づかなくてごめん、てことだよ」 「え?」 リーマスの目が見開かれた。 どうしてこう、この友達はマイナス思考なのだろう。 アラシは呆れつつも、続けた。 「あのね、リーマス。さっき言ったじゃないか。俺は“ゴドリック”の記憶を持っているんだって。人狼についての知識が無いわけ無いだろう」 「だったらなおさらだ!」 リーマスがかみついてきた。 その目は、やっぱりどこか寂しくて。 「君は僕がバケモノだってことをよく知っているん――」 “化け物”? 「誰が化け物だなんて言ったんだ」 怒りが、こみ上げてくる。 どうして。彼らがそうなってしまったのは、不可抗力ではないか。 魔法使いが、魔法使いとして生きるしか無いように、彼らはそう生きるしかないだけなのに。 リーマスが、再び驚きで目を見開いた。 「言われたんだろう、リーマス。そうでなきゃ、君が自分のことをそんな風に言うなんて思えない」 ぎゅ、と拳を握る。 魔法使いの中で、人狼が良く思われていないことはわかっていた。 “あの時代”もそうだったし、学校に一度受け入れを許可したものの、やはり長くは続かなかった。 けれど、化け物なんて間違っている。 リーマスは詰まった、どこか怯えたような声で答えた。 「む……昔、近所に住んでた友達に……」 「そんなのは友達じゃない」 強く、アラシは言った。 「化け物呼ばわりするのは友達がすることじゃない」 リーマスを傷つけられたことが、それに気づかなかった自分が、ひどく悔しい。 「その場に俺がいたらよかったのに。そしたら、一発殴ってたよ」 自分でもかなり無茶なことを言っているのはわかっていた。 まだその頃は、魔法使いだということも、ゴドリックの生まれ変わりだということも知らず、日本で暮らしていたはずだ。 リーマスを見据える。 彼は、ぽかんとアラシを見ていた。 ぱちぱちと、暖炉の火が音を立てる。 大きな窓の外では変わらず雪が舞い、雪遊びをする生徒の声が静寂にやけに響いた。 長い沈黙の後、リーマスがまだ呆気にとられた顔のまま言った。 「君は、僕を気持ち悪いとか恐いとか、思わないの?」 驚いて見返すが、その表情は本当に疑問に思ったようで真面目である。 アラシはため息をひとつつき、目を細めた。 「なんで?」 「え?」 「なんで、気持ち悪いの?」 リーマスは目と顔を伏せ、鳶色のさらさらな髪で表情を隠すようにした。 そして彼は、ぽつりとささやく。 「僕は、人を襲う」 声が揺れた。 今度はアラシが、呆気に取られる番だった。 「当たり前じゃないか。それが人狼の習性なんだから」 けれど、リーマスは首を左右に振る。 ゆらゆらと、髪が揺れた。 その姿は、泣いているようにも見える。 アラシはぽんとリーマスの頭に手を置き、髪の毛をかき回した。 「それでも俺は、君を恐いとは思えない。だって俺は、満月の夜に君に出会ったわけじゃない」 リーマスの肩が震えたのがわかった。 もしかしたら、今度は本当に泣いているのかもしれない。 「それにもし、今日が満月で夜に狼の君と会っても、俺はきっと喜ぶと思う」 「っどうして!」 悲鳴だった。 未だ顔は伏せられたまま、リーマスは声を荒げる。 アラシは微笑んだ。 「夜中に友人と散歩なんて、なかなか洒落ているじゃないか」 冗談めかして言ってやると、リーマスは顔を上げた。 うっすらと、涙の跡が見える。 彼は、複雑そうな顔で、それでも静かに笑った。 「どこまで本気なのさ、それ」 「さあ。試してみるかい? なんなら、今度の満月の夜に待ち合わせを?」 にやりと笑って言うと、リーマスもまたにやりと笑い返してくる。 「そうだね、君さえ良ければ禁断の森の前で」 張り詰めていた空気がすっかり無くなってしまった事を、アラシは確かに感じていた。 うーん、と悩むフリをして神妙な顔を作る。 「じゃあ、準備をしていかないと」 「準備?」 案の定聞き返してきたリーマスに、アラシはあくまでも真面目な顔のままで答えた。 「だって、人狼が持てる紅茶のカップを用意しなくちゃだろう?」 「ぶっ……」 「くく……ッ!」 耐え切れなくなったのか、リーマスが吹き出した。 ほとんど同時に、アラシも我慢できなくなり、笑い出す。 たちの悪い冗談だったが、なぜかそれがとてもおかしかった。 しかも、リーマスが「じゃあ僕はテーブルを用意しておくべきだね」などと言い始めるので、さらに笑いは深まってしまい、笑いが収まるには十分もかかってしまった。 「はあ……笑った」 「僕、こんなに笑ったの久しぶり」 「右に同じく」 「アラシがいるのは左だよ」 「あ、本当だ」 なんて、また小さな笑いが起きる。 アラシは緩慢な動きで立ち上がった。 ずっと座っていたために、ローブにしわが出来てしまっている。 「そろそろ本当のお茶にしようか、リーマス」 「え?」 立ち上がって、しわを気にしていたリーマスが、小首をかしげた。 もういつもの調子だ。 まるで、ここ数日の出来事など無かったように。 アラシはにこりと笑った。 「寮に戻ろう。俺が淹れるよ」 リーマスは頷きかけて、あれ、と呟く。 「でも、アラシ淹れ方知らないんじゃないの?」 アラシはにやりと笑って見せた。 「これでも“元は”イギリス人だからね」 「あ、そうか」 なるほど、と納得した風なリーマスに、続けて話す。 「そういうの今まで誤魔化してたんだ。ってことで、ジェームズ達がいたら君に教えてもらったってことにしておいて」 「それはいいけど、彼らには話さないの?」 最もな質問に、アラシはそうだね、と呟いた。 「折を見て話すつもりだよ」 やっぱり、恐くないといえば嘘になるから。 などとは、言えない。 だって格好悪いではないか。 偉そうに、大丈夫などと言っておいて、自分は逃げているなんて。 「僕も、話せるかな」 リーマスは不安そうに顔をゆがめる。 これほど素直に接してくれることが、嬉しかった。 アラシは知らずに微笑んでしまった。 「リーマスなら大丈夫だよ」 「うん」 「さ、お茶だ」 出口――といっても、狭い部屋だから近い――に向かいながら、アラシはふと思いついたので聞いてみた。 「この部屋の合言葉、覚えとく?」 「その前に道がわからないよ」 「あ、そうか」 何秒か前のリーマスと同じことを言って、アラシはじゃあまた今度、と続けた。 部屋を後にするときに、獅子が「今時の若造は、泣いたり笑ったり怒鳴ったり忙しいな」などとごちていた。 - 35 - しおりを挟む/目次(9) |