34 リーマスが、“何”を隠しているのか。 “どうして”あからさまに人を避けるのか。 たったの一言で、“何故”あそこまで動揺するのか。 ぜんぶ、わからないままで。 けれどそれは、自分にもいえることで。 ― 告白 ― 「……なんか、もうやだなぁ」 リーマスがそそくさと出て行った呪文学の教室で、アラシはぼそりと呟いた。 今日の授業はこれで終わりだから、早々急ぐ必要も無い。 ジェームズも、シリウスも、ピーターも、アラシに付き合ってまだ椅子に座っている。 教室には、彼ら以外誰もいなくなっていた。 「アラシ」 ジェームズが顔をゆがめた。 「苦しい、かな。なんて。言ってみたり、して」 少しだけ、弱音を吐いてみる。 どうしようもない現実を、突きつけられているようで。 “お前はもうトモダチではない”と言われているようで。 ふと、思考の中によぎるのは全部ばらしてしまおうかという、逃げるような考え。 けれどそれしかないように思えたし、第一隠しておく必要性も特に無い。 心配そうにこちらを見ている三人をぼんやりと見つめ返し、アラシはほとんど表情を変えないまま言ってみた。 「俺、ゴドリック・グリフィンドールなんだ。実は」 「……は?」 「え?」 「アラシ? 大丈夫?」 ――あ、今変人扱いされた。 アラシは軽くへこみつつ、のろのろと立ち上がった。 「大丈夫。いたって正常。通常。ばりばり元気」 声のトーンは、一向に上がらない。 意識してあげようとしても、身体が拒むように棒読みになってしまう。 演技するのは、それほど嫌いでも苦手でもないはずなのに。 「嘘がヘタだな、お前」 「シリウスは揚げ足を取るのが好きだね」 「そりゃ悪かったな」 シリウスが苦笑交じりに言って、がたんと椅子を揺らしながら立ち上がる。 「追いかけるか?」 問いかけに、アラシはそうだねと窓の外を見た。 また雪が、舞っている。 クリスマスの時と同じ天気。 「……深追いすると、嫌われたりしてね」 ぼんやりと呟いた。 リーマスとは、なんとなく馬が合って。 一緒にいるのが楽しくて、話す時間は穏やかで。 ――それが壊れるのが怖い。 「いつになく弱気だね」 ジェームズが笑い声を小さくたてる。 「行ってきなよ、アラシ。きっと医務室か、談話室だもん」 「そうでなきゃ、中庭だな」 ピーターと、シリウスが背をとんと押す。 アラシは二、三歩前へつんのめり、それから振り返った。 「カバンは預かっとくよ」 トドメとばかりに、ジェームズがひらひらと手を振った。 おせっかいな友人たち。 「……わかったよ。これで完全に嫌われたら、君たちのせいってことで」 「責任転換するな」 「がんばってね」 「きっと大丈夫だよ」 結構な笑顔で言ってくれるものだから、引き返すことも出来ない。 アラシは薄く微笑み返して、教室を出た。 少し、小走り気味に廊下を進む。 見慣れた一番の友達の姿を、きょろきょろと目で探した。 中庭には、いない。 医務室にも寄ってみたが、校医のマダム・ポンフリーが怪訝な顔をしただけだった。 残るは、寮。 「合言葉は?」 「糖蜜ヌガー」 ゆっくりと絵画のドアが開く。 アラシは“太った婦人”の横を抜け、談話室に入った。 けれど、予想に反してリーマスは来ていないと、皆が教えてくれる。 アラシはじゃあ一体どこに、と聞こうとして、止めた。 ――「また一緒に図書館行こうね」 談話室を出て、今度は半ば走るように図書館の道のりを急ぐ。 ――決めた。全部、言ってしまおう。 リーマスは、図書館にいた。 奥の個人席で本を開いている。 彼の周りには人はいない。 最も、平日だからもともと生徒の数もそれほど多くない。 アラシは、リーマスにゆっくりと歩み寄った。 あと数歩というところで、リーマスの肩が小さく揺れた、ように見える。 整ってきた息を大きく吐き出してから、アラシは声をかけた。 「リーマス」 ゆっくりと振り向くリーマスの顔は、どこか苦しそうで。 アラシは図書館であることを考慮に入れて、小声で切り出した。 「話が、あるんだ」 「図書館は、おしゃべり禁止だよ」 「一緒に来て欲しい。誰にも聞かれたくない」 びくりと、今度ははたから見てもわかるくらい大きくリーマスの肩が揺れる。 「アラシ……?」 リーマスは怯えたようにこちらを見た。 何かを恐れるように。 一体“何”を? 「俺たちさ、友達だよね?」 リーマスは一瞬迷ったように視線を泳がせ、それから頷いた。 「だったら、“関係ない”なんてもう言わない。聞いて欲しい。俺の、秘密を」 「……君の?」 リーマスが目を見開く。 アラシは頷いた。 「それで許して欲しいんだ。傷つけてごめん。一緒に来てくれないかな」 それしか、出来ない。思い浮かばない。 言ってしまったことは取り消せないし、彼の秘密を消すことも、アラシの事情を無かったことにも出来はしない。 それでも、リーマスは微笑んだ。 「いいよ。そこまでもしなくても、僕は君の事をとっくに――」 「だったらなんで、避けるんだよ!」 許している、と言うつもりだったのだろう。 アラシはさえぎって、思わず怒鳴ってしまった。 驚くリーマス、ほとんど一緒に司書のマダム・ピンズがきっ、と眉を吊り上げる。 「図書館では静かに」 マダムは警告のつもりだろう。 きっと、これ以上うるさくしたら問答無用で追い出されるに違いない。 「アラシ……」 リーマスは複雑そうに顔をゆがめる。 「俺は、どうすればいい? どうしたら前みたいに話してくれる? 心から悪いと思ってるんだ」 司書なぞ構うものかと、アラシはわめき声を散らしながらリーマスに詰め寄った。 近くなってゆく、怯えた瞳。伏せられたそれに、アラシが映ることは無い。 「ごめん」 ずん、と胸に重い何かがのしかかる。 「っやだ!」 それを振り払うように、アラシは叫んだ。 「図書館では静かになさい!」 直後、マダム・ピンズが席を立ち、こちらへとやって来る。 アラシはリーマスの腕を引っ張り、無理やり立ち上がらせた。 椅子が倒れる。本が、床に落ちた。 本を無下に扱ったことで、マダム・ピンズはますます機嫌が悪くなる。 「本を拾いなさい、ミスター・カンザキ。読書をする相手を邪魔するなど、私が許しませ――」 マダムが言い終わる前に、アラシは本を拾わずに駆け出した。 リーマスの腕を引っ張ったまま。 「カンザキ!」 「アラシッ。ちょ、待って!」 「待たない」 しかりつけるマダムも、抗議するリーマスも綺麗に無視して、アラシは図書館を出た。 向かう先は、隠し通路を三つ抜け、複雑な階段を登ったその先の部屋。 ずんずんとリーマスのペースなど考えずに進むことに、さすがに疲れてきたのかリーマスが声を上げた。 「アラシ」 弱弱しい声。 離してくれ、と言わんばかりの不満の色がある。 けれどアラシは、一度怒鳴ったおかげで思考回路もずいぶん乱暴になっていた。 「もういい。勝手に話すから」 リーマスが強張ったのが、腕の振動でわかる。 「僕に聞く権利は無い!」 ぐい、と後ろに引っ張られる感覚。 リーマスが腕を引いたのだろう。 けれどアラシも負けずに、引き返した。 「ある!」 怒鳴り返す。 廊下にいる生徒達の視線を、これでもかというくらい集めていた。 「無いよ!」 リーマスの声はわずかに震える。 アラシはぐ、と腕を掴む手に力を入れた。 ――今わかった。 彼は、怯えている。 「俺がいいって言ってるんだから、いいんだよ!」 アラシはわずかに振り返った。 リーマスが泣きそうな顔をしている。 「だめだ! 僕になんか秘密を明かす必要は無い!」 「じゃあどうすればいいのか教えろよ!」 立ち止まる。 いつの間にか、周りに生徒も教授すらもいない。 階段をいくつか複雑に上りきり、アラシたちは目的の場所に着いていた。 リーマスが、目を伏せる。 アラシは掴んでいた腕を離し、自分よりほんの少し高い背丈の彼をじっと見た。 「どうしたら、戻れるんだ」 「……ごめん」 「なんでリーマスが謝らなくちゃいけないんだよ!」 「ごめん、アラシ。お願いだ。僕に関わらないで」 ずん、とまた胸に重りがつく。 「堂々巡りだ」 アラシはため息をついて、ただ広い妙な空間にある一枚のタペストリーに歩み寄った。 ポケットから杖を取り出し、タペストリーをめくる。 彫られた獅子の紋章。 低く響く声が、あたりに広がる。 「久しいな、若造」 リーマスが息を呑む気配がした。 アラシは杖先を獅子に向け、合言葉を口にした。 「“鍵の呪文はアロホモラ、我は魔法を知る者。杖と呪文は、我と共に”」 獅子は興味深そうにアラシを見るばかりで、ドアを開ける様子が無い。 アラシは何、と眉根を寄せて“彼”を見た。 「以前聞きそびれたが、おぬしグリフィンドール家の者か何かか?」 「もっと近くて遠い存在だよ。早く開けて」 急かすと、獅子は唸り声を上げてず、と壁をずらす。 リーマスが驚いているのが、なんとなくわかった。 「中に入って。それから話すよ、リーマス」 ドアを奥へ押しやりながら、アラシは言った。 リーマスがおそるおそる歩み寄ってくる。 「ほお、連れか。ここに二人以上入るのは初めてだな」 獅子がからかうように言った事で、リーマスの動きが止まった。 アラシは振り返り、ため息をつく。 「余計なことは言わないでよ」 獅子を咎め、アラシはリーマスに視線を移した。 「何もしないよ。大丈夫、入って」 「うん」 二人でそこに入れば、狭い部屋だ。スペースは、広くない。 アラシは杖を振って肘掛け椅子を片付け、暖炉に火を入れた。 この部屋の利点は、暖まるのが早いということだ。 「床に直接で悪いけど、汚くはないからさ。座って」 アラシは言いながら、腰を下ろした。 毛の短いじゅうたんはなかなかに心地良い。 リーマスも無言で、足を折って座る。 「あの、ここって……」 好奇心は、あるようだ。 アラシはにこりと笑った。 「ゴドリック・グリフィンドールの“部屋”だよ」 「ごど……」 目を瞬かせるリーマスに、アラシは一拍の間を置いた。 話すと決めたはいいものの、どこから話せば良いものか、順序に困る。 「まず、結論として」 アラシはそう切り出した。 「俺には、ゴドリック・グリフィンドールの記憶がある」 「え?」 聞き返すリーマスの目を、見据えた。 「なぜかというと、俺が彼の生まれ変わりだからだ」 「ちょっと待ってよ、アラシ! 生まれ変わりって、そんな話……っ」 リーマスは動揺を隠さないまま、困ったように言う。 先に説明したほうがわかりやすいだろうと、アラシはそれには答えずに続けた。 「前世の彼は自身に魔法をかけ、記憶が消えないように施した」 「そんな、こと……出来るはずが――」 「ゴドリックには出来た」 そのうちの事情を話すには、時間がかかりすぎる。 アラシはかいつまんで、事情を説明した。 「ゴドリックがまだ学校なんて夢を持っていないとき、“それ”は行われた。彼はまだ、十歳だった」 「たったの十歳で、そんな魔法を……」 リーマスが目を見開く。 どうやら信じてくれそうだ。こんな、バカみたいな話を。 「呪文学が好きで、魔法をアレンジするのが得意だったんだ。母親から教わったのは、忘却術と時間をさかのぼる魔法だったけどね」 そういえば、母は“俺”とは違って机に向かうことも好きだった。 父はもっぱら、実践で覚えていく方だったから、父に似たのだろう。 「おれ……“彼”は、こう思った。丁度ヘルガっていう友達も出来て楽しい時期。“この思い出を忘れたくない”」 「そんな理由で」 リーマスが眉を寄せる。 アラシは苦く笑った。 「そう、そんな理由。バカだろう、“俺”は。本当にバカだった。考えの足りないただのひよっこさ」 リーマスは笑わなかった。 ただ、神妙な顔つきでぴくりとも動かない。 「君が聞いた寝言はね、過去の出来事を夢に見るんだ。特に、サラザールのことをよく思い出す」 「……スリザリンの……」 リーマスの顔がわずかに歪む。 彼もまた、スリザリン寮に好感を持てない生徒のひとりだ。 アラシは笑みを浮かべた。 「うん、創設者。“俺”の一番の友人で、良き相談相手で、“二度と謝れない”相手だよ」 「あの時話してたのは、スリザリンのこと?」 リーマスは真剣な表情だった。 あわせて笑おうとはしない。 愛想笑いはせず、作ったような笑顔も浮かべず、リーマスはただ真面目に、話を聞いてくれる。 「……うん。“俺”は、あいつと喧嘩別れをしてね。そのままだ」 「サラっていうのは」 「名前が長いから、サラと呼んでいた。ヘルガもそう呼んだ」 他に質問は、と茶化すとリーマスはふいに笑う。 柔らかく、優しく、けれどどこか哀しそうな顔。 「じゃあ、最後の質問」 リーマスは一呼吸置いて、言った。 「あなたは、ゴドリックですか?」 どくん、と心臓が大きく跳ねる。 どくん、どくんと、早く打たれる脈。 ――そうだったら、良かったのに。 「わからない」 ――ゴドリックだと言えたなら、良かったのに。 「俺は、“彼”の魔法で生まれた。一部ではあるかもしれない。でも、本人じゃない」 アラシはリーマスに微笑み返した。 「俺はアラシ・カンザキっていう日本人、でいいんだ。今までも、これからも同じ」 リーマスが、浅く頷く。 大きな窓の外では、雪が降っている。 “アラシ”が初めてここに来た時と同じように、一面の雪が見渡せた。 あの時と違うのは、外で生徒が何人か遊んでいること。 「“関係ない”って言ったこと、謝るよ。隠していたことも。君を傷つけるつもりはなかったんだ」 ――ただ、自分を守りたいためだけに。 「ごめん」 頭を下げる。 「もういいよっ」 リーマスの焦った声が聞こえた。 「アラシは何も悪く無い、から」 「うん」 頷く。 頭はまだ上げない。 「僕は、君の秘密を知っても怖がったり、怒ったりしない」 「うん」 嬉しさで涙声になりそうだ。 「とも、だち……だから」 「うん」 胸の重さが、取り払われていく。 話して良かったと、思う。 信じて良かったと、思う。 「だから、アラシ」 リーマスの声が、わずかに強張った。 頭を上げて、彼を見る。 「うん?」 リーマスは、真剣な目になった。 「僕の秘密も、聞いてくれる?」 - 34 - しおりを挟む/目次(9) |