33


「せんせー!」

子供の声と、ばしん、という扉を乱暴に開ける音。
羽ペンを置き、大きく開かれた扉の方を見ると、泣きそうな顔の生徒がいた。

「どうしたんだ」

驚いて問いかけると、少年は顔をゆがめて、小走りに近寄ってきた。

「ビリーが酷いんだ!」

事情を聞くところに寄れば、どうやら喧嘩をしたらしい。
しかも微妙にこんがらがり、彼は謝るタイミングをはずし、寂しい思いをしているのだとか。
思い返せば、よくその相手と共にいた場面を何度も見た。
苦笑し、子供の目線に合わせるように膝を折る。

「謝ればいいさ。向こうも、謝るタイミングがわからないだけかもしれないだろう」
「でも、でも……」
「そういうのはプライドとは言わない。ただの意地っ張りだ」
「……わかった」

頭を撫でて、褒めてやる。
まるで父親にでもなった気分だ。
扉を閉め、再び羽ペンを持った。
そういえば、サラザールと喧嘩をすると、必ずどちらかが謝るな、などと思いながら。

― 失言 ―


教授が時計を見て、ピクリとわずかに眉を動かした。

「片付けが終ったものから解散。次の授業に遅れるな」

薬学の教授は今日も厳しい。
アラシは彼の言葉を聞きながら、手早く片付けをしていた。
ペアを組んだリーマスが、とんでもない失敗をしたおかげで、この授業だけでグリフィンドールは二十五点も減点された。
もちろん、薬学教授はそれを注意しなかったことでアラシからも点数を引いている。
これはまあ、いつものことだ。
リーマスは薬学が大の苦手だったし、彼がミスをするのは日常ともいえる。
だからペアを組んだ誰かが気を付けなくてはいけないなのだ。
目を離すと、リーマスの手には血の気が引くようなものがあるのだから。
けれどアラシは、中々彼に声をかけられず、結果的に大量の減点という痛手を負ってしまった。
そう。問題なのは、二人の会話の無さである。
作業を進めている時も、こうして片付けをしていても、事務的な言葉以外は中々交せない。
アラシはなんとか会話を弾ませようとしたが、リーマスのほうがそれを避けているようで上手くいかなかった。
そな雰囲気が雰囲気なものだから、いつものように気兼無く話をすることが出来ない。
リーマスの様子は、一昨日あたりからおかしかった。
アラシはあの一言が彼を傷付けてしまったのだとすぐ様謝ったが、リーマスは苦笑して気にしないでと言うだけで、態度のほうは依然として変わらない。
というより、彼はアラシばかりでなく、人そのものを避けているように見える。

「リーマス、材料の残りは僕が持って行くよ」

ジェームズが彼の後ろからそう声をかける。
もちろん彼は好意から言ったのだ。
けれどリーマスは、一瞬肩を震わせ、それから不自然に間を置いて振り向いた。

「うん。ありがとう」

声音はしっかりとしていたが、その表情はどこか怯えている。
ジェームズはリーマスからトカゲの尻尾と、粉末にしたドラゴンの爪を受け取ると、教授のところへ返しに行く。
その一連のやりとりを見ていたアラシは、隣の友人の様子に顔をしかめた。
どうやら己は、とんでもない地雷を踏んでしまったらしい。
ダンブルドアがリーマスと直接話をするほど、彼には“何か”抱えているものがあるのだ。
それを不必要に刺激したのは、おそらくアラシのたったの一言。
冷たく突き放すように言ったことを、アラシは深く深く後悔した。
片付けもそろそろ終盤に入る。
シリウスとピーターは、もうカバンに教科書を入れていて、移動する準備を始めていた。
教室は、授業が終わった喧騒で徐々に騒がしくなっていく。
アラシは教科書を閉じ、羊皮紙を片付けるとリーマスに向き直った。
もう何度目かわからない、謝罪を彼に向ける。

「リーマス……俺、謝るよ。本当に」

けれど、やはりリーマスは笑顔を浮かべるのだ。

「気にして無いよ。こっちこそごめんね。僕、考えが浅すぎた」

何かを隠すように。
取り繕うように。
彼は笑顔を作って、言葉をつむぐ。
アラシはリーマスの笑顔が引きつっているのがわかっていたけれど、頷くことしかできなかった。

「良ければ、その……いつもの通りに。誰も君を嫌ってなんかいない」
「うん、わかるよ。ありがとう」

いつもははずむ会話が、続かない。
きっと、誰から見ても今の自分達はギクシャクしているだろう。

「アラシ、リーマス。行こう」

リーマスが、ジェームズの呼びかけに応える。

「うん、今行く」
「りーま――」
「大丈夫だよ。また一緒に図書館行こうね」

言いながら、リーマスはアラシに背を向け待っている三人に向かって歩き出す。
アラシは彼の背を見ながら、顔をゆがめた。
こんなときでさえ、彼は大人びた返事を返してくる。
喧嘩、というものではないのだろうと思う。
だって一方的にアラシが悪いのだから。
そしてそれを互いに理解し、仲直りもしているのだから。
この微妙な距離のことをなんというのか、アラシにはわからなかった。

 ***

「仲直りできないみたいだね」
「一体何があったんだよ」

次の呪文学の時間、ジェームズとシリウスの間に座ったアラシは、詰問状態だった。
しかし誰かに相談したいと思っていたアラシにとって、これは好都合だ。
リーマスはピーターのフォローでいっぱいいっぱいだし、対して三人はこの授業は得意の部類に入る。
最も、だからといってフィリットウィック先生の授業を不真面目に受けていいということではないのだが。
彼らにとって、授業以上に重要な問題だったので、そのことは見てみぬふりをすることにした。
幸い、妖精の魔法で溢れた教室は様々な“動くもの”が置いてあるため、あまり目立たない。

「火曜日の放課後に、リーマスと話をしてたんだ」

アラシはそう切り出し、一瞬寝言や夢のことを彼らに言おうかどうか迷った。
ジェームズが先を促すように頷く。
反対隣のシリウスも、さっさと話せと言わんばかりに険しい顔だ。
アラシは息を吐いて、続けた。

「それでまあ、話の流れ的にちょっとキツイ話題になって。つい言っちゃたんだよ……その――」
「ポッター、ブラック、カンザキ!」

キーキー声がふいに割り込んでくる。
背の低いフリットウィック先生が跳ねるようにしながら、アラシ達が座る右奥の席へ近づいてきていた。

「先生、あーえーっと……」

シリウスが言い訳を考えている間に、先生が言った。

「“変色魔法”のことをきちんと聞いていましたか?」
「もちろんです」

これはジェームズだ。
先生がそれでは、とさらに飛び跳ねながら……ではなく、歩み寄ってきながら質問を続ける。

「教科書は何ページを?」
「え、あー……先生の話に夢中で、ページを、良く見ていなくて」

アラシはジェームズの話術に感心した。
これならおだてられたフリットウィックが、そのまま教壇へ戻ってくれるかもしれない。
しかし、この日のフリットウィックは警戒心でも強かったのか、それともマクゴナガルが変身でもしていたのか、甘くなかった。

「先ほどページを開くように言ったのです。夢中なら、わかるでしょう。グリフィンドールから三点減点」

落胆の声が、グリフィンドールの生徒から上がる。
フリットウィックは“しゃっくりを止める反対呪文”のページを開いているアラシの教科書を、杖を振って“変色魔法”のページにすると、キーキー声でわめいた。

「おしゃべりは禁止!」

フリットウィックが正しい。
アラシは苦笑して、彼女の小さな背中を見送った。
憎めない教授だ。
フリットウィックは教壇……というより、本の山によじ登ると再び授業を再開した。

「珍しいな」

シリウスが心底驚いたように呟く。

「いつもなら見逃してくれるのに」
「気が立ってたんじゃないの」

ジェームズが苦笑しながらも、教科書をめくる。
彼の手は、“変色魔法”のページで止まった。

「もしくはこの授業の問題、学期末テストに出るのかもしれないね」

アラシがそう言うと、ジェームズがああと頷く。

「そういえば、この間そんな話を聞いたなぁ。誰だっけ、先輩に。確か、OWL(ふくろう)試験にも重要だって」
「へぇ」

感心したように頷くのは、シリウス。

「三人とも、真面目に受ける気あるの、ないの」

後ろから小声で言ったのは、ピーターだった。
振り向くと、呆れたようにこちらを見ている。

「あんまり」
「そうだな、五分五分」
「どちらかといえば、無い」

アラシは苦笑しながら、ジェームズは眼鏡を押し上げながら、シリウスはきっぱりと、言う。
ピーターがため息をついた。
しかし彼の隣に座っているリーマスは、何も反応を起こさず、ただぼんやりと前を見つめている。
思わず、眉間にしわが寄ってしまった。
こんな他愛の無いやりとりも、無関心を決め込んでいるらしい。

「アラシ、さっきの続き」

ジェームズが促すので、前に向き直った。
丁度、実技に入るところである。
リーマスが実技の練習に入ったことを確かめてから、アラシは切り出した。

「どこまで話したっけ」
「なんか、キツイ話題がどうとか」

シリウスが説明する。
アラシは、それで、とあの言葉をもう一度口に乗せた。

「『君には関係ないよ』って、言っちゃって。おかしいのはそれから。俺、思いっきり地雷踏んだみたいでさ」

アラシはピーターの赤になるはずが水玉模様に染まった花をちらりと見て、それから二人へ視線を戻した。

「どうすればいいかな?」
「謝った?」
「もちろん。何度も」
「すぐにか?」
「うん。言ってからすぐに気づいたからね。かなり、酷いこと言っちゃったって」

ジェームズが唸る。
シリウスが頭をかかえる。

「もしかして、解決策無し?」

アラシが問いかけると、ジェームズが困った顔になった。

「だって一方的に君が悪いじゃないか、アラシ。リーマスが許してくれるまで待つしかないよ」
「それが許してくれてるんだ。気にして無いって、笑って」
「うわ、じゃァ嫌われたんじゃねーの、それ」
「やっぱりそう思う?」

はあ、と三人そろってため息をつく。

「何度も話しかけてみるしかないんじゃないかな。ほら、行ってきなよ。ペアを組むみたいだし、ピーターと変わってもらえばいい」

ジェームズが言いながらアラシの腕を引き、立ち上がらせた。

「リーマス、アラシと組んでみない?」
「え……」

戸惑ったようにリーマスは視線を泳がせる。
どうやら、先ほどの話はひとつも聞こえていなかったらしい。
アラシは、騒がしい教室と実技に感謝した。

「駄目かな?」

アラシは首をかしげ、リーマスの顔を覗き込むようにして問いかけた。
けれど視線をそらされてしまう。
ああ、これはシリウスの言ったとおり――そして、アラシが考えていたように嫌われてしまったのかもしれない。
アラシが、「無理ならいいよ」と言おうとしたその時、ジェームズがごり押しに出た。

「僕達五人だから一人余っちゃうし。シリウスはどうしても僕と組みたいみたいだからね」
「俺がわがままみたいに言うなよ」

シリウスが顔をしかめる。

「ピーターと三人で交替でさ。ピーターもいいだろう?」
「もちろん」

事情を知っているピーターは満面の笑みで頷いた。
リーマスは一瞬、鋭い目になったかと思うと(どうやら気づいたのはアラシだけのようだったが)、それなら、と笑みを浮かべた。

「アラシとピーターが組めばいいよ。僕、他の人と組むからさ。フィリップにでも声をかけてみるよ」

待って、と呼び止める間も無く、リーマスはフィリップの元へ行ってしまう。
どうやら彼も余っていたらしく、二人はすぐに実技の練習に入った。

「アラシ、お前本当にあれしか言って無いんだよな?」

シリウスの確かめるような言い方に、アラシは呆然としたまま頷くしかなかった。


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