06 「ホグワーツ」 青年と呼ぶには少々幼い表情。 少年の心を持った、熟練の魔法使い。 「魔法を教える学校だ」 太陽のごとく明るい笑顔。 ― 忘れモノ ― 「――ッ! ッアラシ!」 自分を呼ぶ声がまどろみのなかで聞こえる。 まだ夢の中なのか、それとも“あの人”が呼んでいるのか――。 「起きてよ、アラシ!」 「へ?」 視界が戻る。 ガタゴトと揺れる汽車の振動。 「あれ? ジェームズ?」 そして目の前には、つい先ほど友達になったばかりの、眼鏡の少年が呆れたように微笑している。 そこでやっと、アラシは自分の状況を理解した。 居眠りをしていたところを、ジェームズに起こされたらしい。 それに気付いて、慌てて周りを見回した。 もしかしたら、ホグワーツとかいう魔法学校についたのかもしれない。 しかし、その予想ははずれ、窓の外は相変わらず景色が流れている。 ピーターとシリウスの姿は見えない。 「どうしたの? シリウス達は?」 幼馴染だと言っていた二人組み。 そろって別のコンパーメントへ行ってしまったのかもしれない。 どうやら純粋な“魔法使い”の一族らしいし、知り合いもいるだろう。 けれどアラシの予想は見事にはずれた。 「二人とも着替えてるよ。僕達も着替えない? もうすぐ着くみたいだしね」 ジェームズが窓の外を見遣る。 もう夜の闇が迫っていた。 ずいぶん長い間寝ていたらしい。 アラシはジェームズの提案に素直に頷いて、立ち上がった。 がしかし、その瞬間あることを思い出す。 ――確か、制服は……。 「あの、ジェームズ……」 アラシは、新品の制服を嬉しそうに取り出しているジェームズに、おそるおそる声をかけた。 「ん? 何?」 ジェームズはきょとんと聞き返してくる。 制服は持ったまま、今にもそれをまといそうな勢いだ。 アラシは、ごくんと息を呑んで途切れ途切れに小さく呟いた。 「制服、預けたトランクの中……なんだけど……」 ジェームズの手から、制服がすべり落ちた。 表情がかたまっている。 アラシもジェームズもまだ十歳なわけで、こういう場合の対処法は二人とも知らないのである。尤も、彼らの年頃であればたいてい近くに頼れる大人がいるので、それで生活がしてゆけるのだが。 「ど、どうするべきかな……?」 アラシは、ドキドキと心臓が早く脈打つのを感じた。 例えばこれがネクタイだけだったり、靴下の片方だけなら、これほど混乱しなかっただろう。 助けてほしい、と暗にジェームズに訴えかけてみる。 するとジェームズは次の瞬間表情を取り戻し、ぽんとアラシの肩を叩いた。 ついでとばかりに、綺麗にウィンクまで決めてみせる余裕ぶりだ。 そして彼は、飄々とこう言ってのけた。 「取りに行こう」 *** 「悪いねェ、ボク。荷物室は走行中、入ってはいけないことになってるんだ。忘れ物なら、駅に着いた時に出すといいよ」 車掌さんは人の良さそうな顔を、困ったようにゆがめながら非情な言葉を吐いた。 駅に着いてからでは遅いのである。 それでは着替える時間がないわけで、結局私服で歓迎会に出なくてはならない。 ジェームズが後ろで、ため息をついたのがわかった。 コンパーメントへ戻る道すがら、アラシはため息ばかりついていた。 これで希望は絶たれてしまった。 入学初日から私服で登校するという、とんでもなく目立つ行為をしなくてはならないのである。 アラシは目立つのは嫌いではなかったが、悪目立ちしたいと思うほどではなかった。 「はー」 もう何度目かわからないため息をつくと、後ろを歩いていたジェームズがふいに声をかけてきた。 「アラシ」 「なに?」 振り向くと、ジェームズは微笑んで一言。 「なんなら忍び込んでみるかい?」 驚いて唖然としていると、彼は本気になってきたのか、目を怪しく光らせた。 「僕、一緒に行ってあげるよ」 とんでもない提案に、勢いよく首を振る。 私服で登校どころではなく、それでは明らかに“不真面目な生徒”ではないか。 入学早々そんなことなど出来ない。 「遠慮しとく。しょうがないから、このまま入学式に出るよ」 目立つだろうけど、仕方ない。 入学式をする前に怒られるのは、さすがにいやだ。 ジェームズは「ばれないばれない」と笑ったが、根拠がない自信は怖い。 そもそも、入学式前に怒られると、入学は帳消しになってしまうのではないだろうか。 そんなことになったら、日本にいる祖父母に顔向けできなくなる。 「真面目だねぇ」 ジェームズが苦く笑うが、アラシは返事を返す気にはなれなかった。 ジェームズは小さく息を吐いて、次の車両へのドアを開けた。 がしかし、その先へ進もうとはしない。 彼の後ろからとぼとぼとついてきていたアラシは、「何かあったの?」とジェームズの肩越しに向こう側を覗き込む。 見覚えのある赤髪が、ゆらりと揺れた。 「あれっ? リリー?」 アラシが声を上げると、彼女は驚いた表情で振り向いた。 「アラシ? それに、ジェームズ? 一体どうしたの?」 そう言う彼女も、コンパーメントに入るわけではなく、ただ通路に突っ立っている。 どうやら彼女も、アラシたちと同じく、通路を通ろうとしていただけらしい。 「俺さ、トランクの中に制服入れちゃって。で、ジェームズと一緒に車掌さんのところに行ってたんだ。結局、駄目だったけど。 それで君は?」 アラシは一気にそう言って、返事を待った。 リリーはあぁ、と苦笑してジェームズへ目線を走らせる。 ジェームズの肩が一瞬びくりと揺れた。 「電話ないかなと思って、探してたの」 すぐに視線をそらしたジェームズに、リリーは顔をゆがめたが、それでも何事もなかったかのように口調は崩さない。 「妹に電話しようと思って。喧嘩別れしちゃったから」 アラシは、あぁ、と頷いて未だ動かないジェームズの肩越しに笑った。 「漏れ鍋で言ってたよね。えーと確かぺ…ぺチョ……ごめん、なんだっけ?」 「ペチュニアよ。私が魔法学校へ行くのが気に入らないらしくて」 リリーは淋しそうに笑って言うと、またジェームズへと視線を走らせた。 今度は、短く。 本当に、一瞬だけ彼を見て。 「でも、電話は無いんじゃないかなぁ。ほら、一応魔法学校への列車だし」 「そうなんだけど、あったらもうけもんじゃない? もう少し探してみる。じゃあね、アラシ。ジェームズ」 アラシの言葉に、リリーは苦く笑って答えると、二人の横を通り過ぎていった。 「一緒に探そうか?」 早足で歩いていく彼女の背中に問いかける。 リリーは、振り向いて笑った。 「あなたは制服の事を心配しなくちゃ!」 それもそうだと、アラシはジェームズの背中を押す。 彼が行ってくれないと、アラシも前に進めないのだ。 「ジェームズ、コンパーメントに戻ろう」 ジェームズは、寝ぼけたような声で「そうだね」と答えた。 - 06 - しおりを挟む/目次(9) |